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勝手にどこかで元気にやってると思ってた

入学早々腐っていたぼくは、大学があまりに遠くて、途中下車しては映画ばかり観ていた。あの頃は単館映画全盛で、学校よりも多くを学べるとでも思っていたのかもしれない。そういう現実逃避癖は20年以上たっても変わらない。

知らぬ間に新歓の時期も終わっていて、ぼくはサークルにも入りそびれていた。当然、知り合いもほとんどいない。
ただ、その学部はクラスが縦割りで、クラスの集まりの際に、3年生の先輩2人が「どこにも入ってないなら俺たちのとこにくるか」と誘ってくれた。

自分の興味やキャラとはかけ離れたサークルだったが、先輩が面白い人たちだったこともあって入ることにした。いや入れていただいた。おかげで孤立した学生生活を送らずにすんだ。

ただ留年はした。

やがて新歓コンパの時期になり、同級生に混じって1人「1年生の小林です!」と得意げに自己紹介しては失笑を買うのが定番で、本物の1年生たちから「あいつなんであんなに溶け込んでるんだ」と訝しがられていた。

ぼくは、浪人+留年だったから1年生からしたら、2コダブっている。18と20だから1割増しだ。あの年頃としたら、そう易々とは踏み込めない差だったろう。

しかし、そんな差をもろともしない奴が1人だけいた。

分厚いメガネでいかにもガリ勉風情なその男は陰キャかと思いきや、自己紹介をさせれば、噺家かアナウンサーのように通る声で澱みなく語り出し、カラオケはプロ級。飲み会でのテンションも高く、笑いの震源地には常にいるような奴だった。

彼はすぐさまサークル内で、すげー元気な中心的存在となった。

しかし、今となっては、その元気キャラについてまわっていた影というか、どこか無理してねーかみたいな気まずさ、鍵と鍵穴が合わないままずっとドアを開けようとしている不器用さの方が心に残っている。

2浪してまでも意中の大学に入れなかった事実がひょっとしたら彼のなかでずっと澱のようにこびりついていたのかもしれない。

実際、同い年なのに先輩であるぼくにどこまで心を開いていたかわからないが、1個下の後輩の中では一番思い出が多い。
彼が同じサークルに入ってきてくれたおかげで、ぼくの残りの大学3年間(留年はしたが4年間で卒業した)は楽しかった。それは間違いないし、多くの人たちも同じような印象を持っていたと思う。

学生時代は濃い付き合いをしていたけれど、もう20年近く会っていなかった。それどころか、どこで何をしているかも知らなかった。

だから、今となっては、と考えてしまう。

それでも、あいつの事だから、どこかで元気にやっているだろうと勝手に思っていた。
あの明晰な頭脳と馬力と美声を持ってすれば、きっと人並み以上に成功だってしているはずだ、と勝手に思っていた。

そのうちハタとタイミングがやってきて、久しぶりなのに学生時代の頃と同じように盛り上がり、でも、あの頃みたいにはできないねー、もう年だねー、とかありきたりな、でもそう語り合える事はかけがえのないことなんだと噛み締めながら、馬鹿みたいに笑って、あー今日は楽しかったなー、みたいなことになると思っていた。

長く闘病していたという。

早すぎる。あまりにも。
同い年だから余計にそう思う。

忘れないぞ。
今度みんなと会ったら、お前の話をたくさんするよ。

合掌

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