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私の学生時代1️⃣

こんばんは。
今日は私の学生時代についてお話ししていこうと思います。

私は今回のこの上の画像からご想像していただけるかもしれませんが、中学:高校とバレーボール部🏐に入っていました。
きっかけは、母がママさんバレーをしていた影響で何となく興味が湧いて
1人でボール遊びを始めた事が始まりです。

中学生の時は担任の先生がバレーボールの監督だったため、熱心に練習後も指導してくれていました。
ポジションはと言うと私の時では「エースアタッカー」今で言うと「オポジット」です。
私は中2からキャプテンでエースアタッカーでした。
とにかく私はジャンプすることが大好きで、ジャンプしてボールを打つことが何よりも楽しくてしょうがないという感じで毎日毎日ボールと触れ合っていました。
チーム自体はさほど強かったわけではないので、あまりガチガチな練習ではなく、どちらかと言えば楽しくボールを追いかけていたというような気がします。
中3の時に進路を決めるためにどうするか悩みました。
本当は進学校へ進んで大学へ行きたかったのですが、その進学校のバレー部はそれほど強いチームではなかったため、もう一つの候補として考えたのが進学校ではないけれどバレーボールの強豪校へ進むか…
かなり悩んだ末、私はバレーボールの強豪校へ進学することに決めました。

その後、高校入学前の春休みから練習に参加することとなり、各地域から上手な選手達が集まってきました。
私の中学校からは私だけが入部し、他の同級生は皆2人づつ入部してきました。
見ず知らずの同級生、そして先輩達に囲まれて厳しい練習がスタートしたのでした。
私はバレーをすることが大好きだったので、多少のキツイ練習にも耐えることができました。
練習後の毎日の皆んなで円陣を組んでのスクワット100回。
これにはさすがの私も驚きましたが、慣れてしまえは200回以上したこともザラにありましたね😅

でも私の時は今とは違って、「水を飲む」ということが許されなくて人一倍汗をかいた私にとっては、とても苦痛でした。
ちょっとでもお手洗いの時間が長かったら「水を飲んできたんじゃないの?」と先輩に言われたり、後は涼しい風に当たるのも許されず、また着替える時間が長いと「更衣室で休憩していたんじゃないの?」と先輩達から言われるようになりました。
最初は私も鈍感だったので気づかなかったのですが、どうやら注意されるのは私だけだということが段々とわかってきたのです。
何故か・・その理由は、先輩や同級生の僻みからきたものでした。
私は同級生の中でも背番号が一番新しい番号だったこと(上手な人が新しい背番号を付ける風習があり)、それから、監督から一年生なのにレギュラーのメンバーに入らされた事、それが原因でエスカレートしていったのでした。
泊まりがけで遠征に行った時、部屋で先輩達が私の陰口を言っているのを寝たふりをしていた私は聞いてしまったのです。
「監督は○○だけをエコひいきしているよね!」と・・
そこで初めて「私って、こう思われていたんだ・・」と気が付きました。
ずっと孤独でした。
でも、私はとにかく何よりもバレーボールが大好きだったから、そして何よりも皆んなに負けない自信がありました。
垂直跳びが70cm、右の握力が40kg、背筋力の測定値が130kgくらいでした。
きっと皆さんこれを見て驚かれるでしょうね😆
あの時は自信があったから耐えられたのかもしれません。
今の私には全く考えられないですが・・・

今日はここまでです。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました😊





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