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戦後77年から第二次世界大戦を振り返ってみる

こんにちは。Mickey★です。

今日は戦後77年の終結日ということで、以前に読んだ第二次世界大戦の日本軍の組織を研究した「失敗の本質」や戦争関連を調べた時のことを書こうと思います。

真珠湾攻撃の裏側

1907年の万国平和会議で「開戦に対する条例」が制定され、日本も加盟をしています。これによって、戦争を始める時は、相手側がその通達を受領してから開始することとなりました。
日本がアメリカの真珠湾を攻撃した時にその通達をしなかったため、アメリカからは、騙し討ちに遭ったと非難されています。
政府の中でも宣戦布告をするかどうかの決断は、割れていたようで、アメリカにある日本大使館に電報は入っていたようですが、解読と清書に時間がかかり、アメリカの国務長官に文書が渡った時には、既に真珠湾が攻撃された後だったようです。
開戦前に大使館側が文書を出さなかったことの責任も問われているようですが、大使館側は、戦争が迫っているという切迫感がなかったとのことです。そもそも、文書を渡すタイミングが攻撃開始の直前なので、アメリカが即座に対応できたとは考えづらく、一方的な奇襲攻撃には変わらないのではないかと思います。

なお、太平洋戦争の始まりは、日本軍の真珠湾攻撃だと思われていますが、実際は、その1時間程前に日本陸軍がマレー半島(イギリス領)に上陸し、イギリスとの戦争を開始しています。(こちらについても宣戦布告は、していません)

日本はなくなっていたかもしれない⁉

失敗の本質では、日本軍が敗戦となった過去の失敗事例を元に考察がされていますが、命令系統が2つあったことにより、誰がどこの判断の最終判断をするかが曖昧だったことや、作戦のパターンが一定であったこと等が挙げられていますが、何よりもデータ分析に基づいた科学的な考えよりも精神論(意気込みとか)に重きを置いており、お粗末感が否めません。
アメリカとしても本土上陸(沖縄戦)で日本が負けた時点で降伏すると思っていたのではないかと思うのですが、なかなか降伏しない日本に対して、広島、長崎と原子力爆弾を投下し、それでも、軍部は負けを認める考えがなかったようです。
昭和天皇が降伏する決断をして、軍部がそれに従ったから戦争が終わったんだという事実を知り、日本軍の中では、おそらく、どのラインまで攻め込まれたら負けを認めるという引き際の設定がされていなかったと思われます。
天皇のこの決断がなければ、日本全土が壊滅になる、もしくは東京が占拠されるまで戦争が続いていたのではないかと思えてならず、ゾッとしました。
今でこそ、日本という国が残っていますが、どこかの属国になっていた可能性もあると思います。

戦争を繰り返さないためには語り継いでいくしかない

過去の歴史は、それを経験している人にとっては重みがあると思いますが、経験していない世代は、その経験をしていないので、それを知る機会がなければ、同じことを繰り返してしまう可能性があります。
今日、「トランス」という本の中で『ジョーンズタウンの集団自殺』という単語が出来てて調べてみました。
人民寺院という社会主義キリスト教系新宗教(いわゆるカルト集団)がアメリカのガイアナ北部にジョーンズタウンという集落を作り、信者たちがそこに集まって生活していました。しかし、1978年に900人近くの人が集団自殺を起こしたそうです。
アメリカでの認知度は98%ということで、かなりセンセーショナルな事件だったと思うのですが、40年近く生きてきて、初めて知りました。
この時に生きていて知っている人は、警戒できると思いますが、知らない人はこういうものにひっかかる可能性が知っている人よりも高いだろうと感じました。
もちろん、知っていれば同じ過ちを繰り返さないかというと、そうではないと思います。ただ、知識として知っていることにより、想像力が働き、抑止にはなると思います。

人の命はいかなる時も平等ではないのか?

通常の日常生活で人を殺した場合は罪に問われるのに、戦争という状況で人を殺した時は罪に問われない(むしろ、名誉なこととして賞賛される)というのが、同じ人を殺すという行為にも関わらず、矛盾を感じます。
戦争に勝てば英雄扱いされ、負ければ戦犯扱いというところから鑑みると、戦争に勝った国が正義で戦争に負けた国は悪という考えが根底にあるのかなと感じます。
そして、不測の事態に人(敵)を殺すのは、正当防衛として扱われて許されるという考えなのかもしれません。


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