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子どものリハビリテーションの歴史とこれから〜講演会に参加して〜

今回紹介させてもらうのは研修会に参加しての内容です。先日書いた学びの方向性にあてはめるとまさに「心の学び」を得た、とても素晴らしい内容だったのでぜひ共有したく概要を書いておきます。聞いた内容を自分の言葉でまとめているので、表現や細かい部分で自身の解釈も含んでいるのでご了承ください。

子どものリハビリテーションを取り巻く歴史

戦後、戦災孤児や知的障害児が学校に通うことができず、学習の機会を得られない子どもたちの施設として糸賀一雄先生は近江学園を設立しました。その中で、肢体不自由の子どもも生活していくことになるのですが、重複障がいのある子どもたちが徐々に増えていきます。その子どもたちが必要な専門的なサポートを受けられる施設としてびわこ学園を設立しました。東京では小林提樹先生が島田伊三郎氏とともに島田療育園を草野熊吉先生が秋津療育園を設立し、重症心身障害児施設の歴史が始まります。

その後全国各地で知的障害児施設、肢体不自由児施設、重症心身障害児施設など入所施設が必要であったため国策として進められました。しかし、今になって振り返れば当時入所した方たちの中には社会生活が十分可能な方たちもいたはず、というのが実情です。

現在の施設の在り方へ

現在は入所をされる方たちにとって「それでいいのか?」「地域で暮らせる方法はないのか?」ということが議論され、福祉サービスの中心が地域で生活するためのサービスへと移行していきます。

そうして短期入所、デイサービス、訪問看護、移動支援、グループホームなど地域生活を支えるサービスが充実してきました。

津久井やまゆり園の事件

津久井やまゆり園で元職員が起こした事件は記憶に強く残る凄惨な事件でした。事件に関して触れることはここではあまりしませんが、事件をきっかけに障がいのある方の人権について社会が改めて考えなくてはいけない、という方向に向かいました。事件後の施設への調査で過剰な身体拘束や個別支援計画における外出が実施されていないなどの実態が明らかになりました。

そのような状況を受けて事件の翌年、障害福祉サービスにおける意思決定支援ガイドラインが作られました。

やまゆり園においても今なお施設入所を希望する家族も多いが、地域生活を考える家族も出てきている。生活してみて家族が本人の変化を感じた事例も紹介されてきており、尾野一矢さんの事例がその一つです。

障がい児者支援の今後

重症心身障害児者が入所する施設においても個人に合わせた生活を送れる工夫をする施設が出てきている。具体的には

・久山療育園:施設敷地外にグループホーム

・横浜療育医療センター港南:ユニット型

・千葉リハビリテーションセンター:ユニット型

などがあります。

今後、障がい児者の支援に関わる現場では重度の障がいのある方たちが少しずつでも意思決定をしていけるよう支援の形を考えていかなければいけないという課題をもって取り組む必要があります。

私の思うこと

これまで講演会の概要を書いてきましたが、とても大切な話を聞かせてもらいました。最終的に意思決定支援をどのようにしていくか、という課題を考える形でお話が終わったのですがそこに至る歴史も聞けたので「ここまで来た、これからどう未来を作っていく?」という問いを与えられた気持ちでいます。
重度の障がいのある方の意思決定をどのように支援していくか、課題はまだまだ多いですがヒントは色々なところにできてきていると思います。

当事者の方の体験、大越桂さんのお話はとても印象に残っています。ブログ積乱雲でお話を見ることができます。

テクノロジーでは視線入力装置が安価に手に入るようになり、ポランの広場など使い始めやすいゲームなども開発して提供してくれている方々がいます。できわかクリエイターズさんは使い方が分からない人が導入できるよう分かりやすい情報発信をされています。オリィ研究所ではOriHimeで外出できない方への支援や労働環境を作っています。
また、Kids Loco Projectでは子どもたちの発達を保証するために移動経験ができるよう電動移動具の開発、ワークショップなどを行っています。

障がいによって意思表示や意思決定をすることが難しい方に関わる人間一人一人にできるのは、このような情報を得たり、共有したりしながら目の前の人に情報提供できたり、体験してもらうことで意思決定につながるような機会を多く作っていくことではないかと思います。
テクノロジーに限らず、注意深い観察や様々な体験を共有することは意思決定支援に近付く方法だと思います。

大切な課題を受け取ってこれからどうしていくか、私自身改めて見つめ直してみようと思います。



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