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芸術の商業化が難しいのは”ソレッテアナタノカンソウ”だから…という話

最近とある記事を読んで考え方のヒントになったことをまとめていこうと思いました。

デザインと商業は切り離せない

だいぶ昔のことになりましたが前職がデザイン会社でディレクターという役職を担っていたので(僕自身は非デザイナー)、デザインの現場やデザイナーの仕事に関わる機会が多くありました。

一方で”創作”そのものにも興味があったので美術展に行ったり、趣味ながら自分で何かを作るということも結構好きな方でした。

そんな中で頭に浮かんでくたのが「芸術とデザインはどこが違うのか?」という疑問です。たぶん多くの人が同じことを考えたことがあるんじゃないかと思います。

そして、その結論として「デザインの上位互換が芸術」という答えを導きだした人も多いんじゃないかと思います。僕も最初はそう思っていました。

ところが仕事を通じて色々な経験をしたりや人の話を聴いていくうちに、もしかしたらデザインと芸術は一直線でつながっていないんじゃないか?同じ地平の中に存在しないんじゃないか?と考えるようになりました。

特に印象的だったのはデザイナーの仕事を評価する際に”センス”という言葉が不適当(≒無礼)であることに気づいた時でした。

デザイナーと話をしていて感じたのはその人が優秀であればあるほど、その成果物に”センス”を感じる量は少なく、代わり伝わってくるのは圧倒的な知見と研鑽の結果でした。

それは何かを創っているというよりは、そのデザイナーが想像力を駆使して最適解を見つけ出しているという言い方の方が近い気がしました。

であればこそデザイナーに仕事を依頼するクライアントや僕のようなディレクターは、デザイナーがフルにその能力を発揮してもらうための情報や要望や条件や目的を正確に提供しないといけません。

実際そのやり取りをしている中に”センス”なんていう曖昧な要素が入り込む余地はなく、あくまで実体感を追求していくための議論が求められていました。

そして、デザイナーに提供しなければならないデザインの条件と目的の中には商業的な成果というのが必ず含まれています。きれいなものを作って満足しているのはデザイナーとして一人前とは言えなくて(ディレクターとしても)、そのデザインがクライアントのビジネスにどれだけの結果をもたらしたのか?も冷静に評価できていないといけません。

つまりはデザインは商業のために必要な手段であり、商業のためにデザインは存在しているということです。

芸術は自らの内なるものの表現

一方の芸術ですが、基本的にその成果物に注ぎ込まれているのは作者自身が感じ取ったことや伝えたいこと、作者自身を取り巻いている環境やこの世の中(世界)です。

それを非言語(ノンバーバル)的な形で実体化する作業、それが芸術です。

これはとても卑近な喩えなのですが、自分の興味のある事柄や世の中の出来事に対して話す「こう思うんだよね」とか「アレ嫌いだわー(or好きだわー)」という会話。それ自体が自らが伝えたいことやその人を取り巻いてる世の中の表現なので、実は芸術もそれに近い行為だと思っています。

ただ普通の人の世間話と芸術家の創作に大きな隔たりがあるのは、自分が感じ取ったことを言語に頼らずに実体化する作業が異常なほどめんどくさく、熟練にも時間がかかり、精神的な負担も大きく、総じて非効率であるということです。

普通の人なら喋って済むことなのに、喋る方法では伝えきれなかったり、喋る以外のことでしか表現できない人にとっての表現(表意)行動が芸術と言えると思っています。

芸術の商業化が難しいのは”ソレッテアナタノカンソウ”だから

こうして考えていくと「デザインの上位互換が芸術」という発想自体にかなり無理があるような気がしてきました。

例えば絵画のようにたまたま成果物が近しいものがあったりするから間違いやすいのですが、デザインは商業と密接な関係があり、芸術はそれを作った本人と密接な関係があります。

デザインと芸術は一直線でつながっていないんじゃないか?同じ地平の中に存在しないんじゃないか?

と先に書きましたが、"商業"という地平に並べて考えるとどうでしょう?
商業化しやすいものがデザイン商業化が難しいのが芸術と捉えることができるような気がしました。

芸術を商業化するのが難しい一番の理由、それは「俺、こう思うんだよね」というその人の思い(感想)が出発点になっているところです。そこに商業が入り込む余地はありませんし、”ソレッテアナタノカンソウデスヨネ”でお金が稼げるなら誰も苦労はしません。

(その意味でもしかしたらひろゆき氏はその人の感想を商業に結びつけた大芸術家かもしれませんw)

ただ、芸術を商業化するのが難しい理由、それを芸術の性質や特徴と捉えることができればその特徴を活かしたビジネスというのも考えられそうな気がします。

ましてやブロックチェーンやジェネレーティブAIなどこれまでの世界を大きく変えていく可能性がある技術が次々に出ていっている昨今です。僕はそもそもWeb2.0前からのIT屋でもあるので、今起きている”大きな波”がこれまでの常識を上塗りしていく確率はかなり高いと思っています。

そう考えた時に可能性を見いだされるのは新しいアイデアやビジネスばかりではなく、これまでの常識では無理筋すぎて見捨てられてたアイデアや商材であることも十分考えられるので今回書いた”芸術と商業”についても何かが起こせるんじゃないかな?と思っている次第です。

”芸術と商業”で何ができるか?についてはこれから考えていくこと。今回はそのヒントに気づいたという話です。

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