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自分で選択すること

それぞれには段階がある

ここ最近、突き上げてくるエネルギーへの恐怖感とどう付き合っていいのかがわからなかった。

「感情と向き合う」とか「受け止める」「眺める」なんていう言葉も、すごく曖昧で意味をなさなかった。

振り返ると、家族に迷惑かけてしまうレベルだったので、余計に治そう治そうとして、病気にまでなっているのに「ちゃんと治っていきそうだから」なんて毎日言いながら、周りに心配をかけまいと、さらにいい人でいることを頑張っていた。

そんな時に、ひとつ前の記事で書いたセラピストの方との話がすごく腑に落ちて、助けになった。

光と闇のバランスの話。闇の部分に蓋をせずに、その要素を表現することで受け入れていったり、違和感から冷静に自己認識に繋げていくという話。

スピ界隈でよく耳にすることだけど、「自分がすべてつくっている」とか、「この現実世界は幻想だ」とか、「感情は自分ではない」とか、「眺めているだけ」とか、「コントロールしない」とか、色んなものがある。

そのすべては真実だと感じるけれど、それでもそれはやっぱり体験した人がいえることであって、知識の段階だけでそれらをやろうとすると、もれなく私の場合は「聖人」になろうとする方向へと行ってしまう。

やっぱり「形」ではどうにもならない。

まずは自分を責めることなく、相手を責めることなく、泥臭い人間臭い、綺麗事じゃない自分がここにいるんだということを、追いやらないことなんだと思った。

奥にある、静かな場所の話

だから、闇の部分、泥臭い部分に光を当てていくというか、否定しないで「そういうのがあるんだな」って、認識したり、「なんでそう思うのか」と問いかけてみたり、泥臭い人間臭い歌を歌ってみたりして過ごしていた。

そんなある日、お世話になってる面白いボディーワーカーの人が来て、ワークを受けた後にここ最近のシェアをしたら、その人が

「怒りとかを感じた時に、それを感じて感じて感じて、その奥に降りていくと、すごく静かな場所がない?自分にとってはなんにもない暗いところなんだけど」と。

「それが自分にとっては自分で、そこにいくとどうでもよくなってくる。怒りも自分じゃないなとか」と。

確かに、その時そんな感覚で降りていってみると、静かな場所があるように感じた。けれどこれはちょっと待てよと。

細かい話なんだけど、私から見るとその人は怒りを否定もしていなくて、むしろ好奇心で見てるような感じ。「おおお、俺怒ってる!なんだこれは」とかそんな風になるらしい。

怒りを好奇心で見られるって、めちゃくちゃ受容じゃないかって思うんだけど、私はそんな段階じゃないんすよ!とその人に言えた。

怒りの奥に降りていくっていうけど、否定していないから降りていける訳で、私は見ないように蓋をするとか、そもそも無き者にしようとしちゃってるから、蓋をしてることすらわかってなかった。その前の段階なんですよ!って。

だからその人に聞いた訳です。じゃあ最初からそうだったんですか???って。


闘って闘ってその先にあるもの

そうしたら、最初からそうだった訳じゃないなって。

武術も嗜んでいるその人は、とにかく闘って闘って闘って闘って闘って、その先に、「この闘っているのは自分自身なんじゃないか」ってふっと腑に落ちた時が来たと。

そして、表面的なその感情というか、表面的な何かにすっと入ってしまった瞬間にやられてしまうから、どうにもその奥の静かなところに日々いるように鍛錬してきている、というような話だった。

たしか、ある日ふっと真っ暗なところに入って、そこはキラキラしたものでもなんでもなく、なんにもない、言ってみれば恐怖、絶望という言葉が浮いてしまうほど何もないところだった。正気をやっと保って帰ってきたみたいにも言っていた。

聞いていて、そうだよなって。何も経験しないで、静かなところに行こうとしてもやっぱり行けないという気がする。これまで、自分なりに最大限妥協なく色んな方法でそれを試してみたけど、自分はできなかった。

だから、なんだろうな、闘って闘ってというか、泥臭い自分にもまみれてまみれてまみれて、表現して、なんかその先に、あるんじゃないかなって。

今はそう思う。
だから、色んな「型」みたいなものはあれど、達人みたいな人の言っていることは、多大なる経験や体験の先にあるものであって、鵜呑みにしてしまうとまた、新しい「聖人像」を自分の中に増やしてしまいかねない。(そのご本人にとってはぜんぜん違っても)


自分で選択していく

だからこそ、自分で選択していくしかない。これだと腑に落ちたものを、とにかくやってみてやってみて、一朝一夕にはいかなくても、練習して練習していく。

私なら、闇の部分とどう付き合っていくか、否定ではなく生命力として表現につなげていけるか、違和感から逃げずに、どうやってそれを、自分というものを理解する手立てにしていくか。

とにもかくにも、こうして書いていると不思議と自分がホッとしているし、無性に書きたいテーマも出てくる。しばらくこれを続けていきたい。


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