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自分という存在を知りたい

光と闇

ここ最近、私は体調を崩した。そんな中で自分だけではどうにも受け止めきれないと感じて、信頼するセラピストの方にヘルプを出させてもらった。

表面的な寄り添いや優しさではない。どんな病気であれ、状況であれ「なんとかできる力を持っているのは本人なのだ」と心底、人間という存在自体を信頼して関わってくれる人だ。

その方とお話しして「この世界はバランス」という話を聞いた。

陰と陽、光と闇。そこにいい悪いというジャッジメントをするのは人間であって、それはただ、どちらもエネルギーだと。

一方向へと極端に暴走すれば、反対側も強く浮上する。それがバランス。置いていかれた闇が底から突き上げてくる。「私はここにいる!」と。それが今の体調の原因なんじゃないかと。

私にはそれがとても腑に落ちた。


爆発的なエネルギー

光と闇、それはどちらもいい悪いもない。光も闇も含めて自分で、そもそも、光とか闇とか区切りようもない、そういうものを包括したところ、すべてを支えて、そこを眺めているようなものが魂であったり本当の自分というもの。

それは、知識としては触れてきた。もちろん時に調子こいて、それを知っているような感覚にさえなっていた。でもやっぱり知識だった。体験ではなくてそういうものなんだと知っているというだけ。

それは今の病がメッセージとして、あらためて教えてくれた。どちらかといえば場を持って、ファシリテートする側の人間として、痛い事実。体験の薄い口だけの言葉が無性に嫌いな自分にとって、生き方に反映されていないということは、痛すぎる事実だ。

でも、じゃあここからどうするか?

思えば私は私の爆発的なエネルギーが怖かったし、どう取り扱って良いのかわからなかった。そして、その爆発的な怒りというか違和感はどうにもならないもののように思うから、時に浮上しては、取り扱い方もわからず、

やっぱりそれはまた、奥の奥の箱の中にしまわれるしかなかった。けれど、しまいこむのでもなく、誰かにぶつけるのでもない、エネルギーを自己認識に使っていけばいいんだよと、今回その方から聞けたのだ。


noteを書き始める理由

闇といっても、それ自体もただの自分のエネルギーだから。抑圧したり無き者にして追いやるのではなくて、バランスなんだと聞いて

じゃあどうしたらいいのか?というところで、闇の部分との付き合い方というか、闇の要素や毒的要素を人生の中に取り入れていく、表現していくという案をいただいた。

誰しもすべての人にオープンに開示している訳じゃなく、そういられる場所だったり、方法を持っていてなんとか生きているからと。

そんな話を聞いて、最初の数日はすっかり埋めて蓋をしていたような毒々しいものを、冷静さも何もなくただただ、メモ帳やら非公開のTwitterなんかに出し続けた。あまりに閉じ込めておくと、やっぱりそれは噴出する。

それを見るのも嫌で仕方なかったけれど、数日続けて行った時に、吐き出したい衝動が少し落ち着いていって「違和感を自己認識に使う」という、その方の言葉があらためて浮上してきた。

私は自分という存在を今より深く認識したい。すぐに蓋をしたくなる部分も含めて、というかそこを認識したい。だから、このnoteという場で、私は私のために、私に出逢いたいから書き始めようと思った。

私はどんな人間で、どんなことに違和感を感じ、どんなことか嬉しく、どう生きていきたいか。あらためてここで出逢っていきたい。


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