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いい人をやめる

パートナーや家族とのこと

ここ最近書いていることだけれど、私は「いい人」をやることにエネルギーを使って暮らしていたことにあらためてハッとするということがあって、中でもパートナーや家族に対して「いい人」であろうとしていることがよくわかった。

そこから繊細に自分に意識を向けて気づいてみていると、パートナーと朝から晩まで「いい関係」でいようと、これほどまでにエネルギーを使っていたのだなと。不必要に口角を上げて過ごしていたり、パートナーが起きると「ビクっ」と身体が反応していることを感じた。

思えば母や妹にもそうだった。それは、パートナーと同じなのだけど、あまりに酷かった昔の自分の贖罪みたいなもの。乱暴で殺気立って生きていた自分には、喧嘩がつきもので、理不尽な目に母や妹を合わせたという感覚が強く残っている。


妹とのこと

特に妹は、良くあることかもしれないけれど、姉の私のことが「大好きで大嫌い」憧れて真似したいという思いと妬みとの間で揺れて揺れて、苦しんできたっていうのは昔話してくれたことがある。

小さい頃に妹に対しても乱暴で、小学校に上がった以降はそんなに関心をもつこともなかったりして、嘘がつけない私と母の大喧嘩を見て育った妹は「お姉ちゃんみたいにならないように」と表向きは良い子をやって影でうまいことやるという手立てを見つけていった。

そんな妹は大学生の頃に鬱病を患い、その頃に久しぶりに気持ちをぶつけてくれた。「勝手なことばかりして、自由にやってさ!」と。私は「自由にやることだって、どれだけ苦しいか、わからないくせに!」と言った。

東京に住んでいた頃に「妹が自傷して救急車で運ばれた」と母から電話があって、飛んで帰ったこともある。そこから数日、どう扱っていいかわからず腫れ物に触れるようにしていた両親をよそに、私はなぜが妹を殴った。

その時妹は、「こうされたかった」と言って大泣きした。なんて言葉をかけたか覚えてもいないけれど、私は、妹の奥にあるものを信じて、ぶつかっていったことだけは覚えている。

パートナーのことを書こうと思ったら、妹のことになっていったのが不思議。でもきっとこれもなにかあるんだろう。


インドのアシュラムでの体験

話を戻すと、私は身近な人ほど殺気立つヤバい面を見せてきて、そうするほどに軋轢が酷くなっていたから、だからこそ、そんなヤバい面をなんとか変えたくてずっと生きてきた。

18歳で東京に出て、その後母と和解してからは、基本的に迷惑をかけないように気をつけて関わっているような気がする。

それでも、こんなに大人になって苦しむくらいなら、なんで小さい頃に自己受容できるよう育ててくれなかったのかとさんざん母を恨んだし、妹にも妬まれるような態度を取られるたびに、いつまでも恨んでんじゃねー!と、心の中ではものすごく苛立っていた。

視点が変わったのは30歳の頃に滞在していたインドのアシュラムでの瞑想体験。なんでこうしてくれなかったの!こうしてほしかった!という自分のそのままの思いを、瞑想の中でそのままを両親や家族に伝えていった。そしてその後に相手の身になって出来事を体験するというもの。

あぁ、母はこんなにも思ってくれていたのか、妹はこんなふうに苦しかったのか。視点がひっくり返って、涙が溢れた。

本当に小さい頃に、妹は一生懸命に私と仲良くなろうとしたけれど、最初に突き放したのは自分だったんだ。この姉と妹との戦いの最初の種をつくったの自分なんだ。

そんなふうにストンと思えて、インドから妹に電話した。ずっと妹とは一見表面では話しているようで、奥では交わせていなかったし、ちょっと踏み込んだ話になると、「ごめんね。でも、そっちもさ」とお互いに自分を正当化してしまっていたけれど、

その時は、ただただ自分の最初の種を詫び続けた。そうしたら、ようやく妹の心の扉が開いて、ようやく本当に心から交わせたような気がした。


乱暴な不良と優等生のいったりきたり

結局、今こうして振り返ると、私にとってはあまりのフラストレーションから身近な人にとんでもない迷惑をかけ続けた過去があって、

そんな周りに爆発的に怒りをぶつけていたところから、「自分に原因があったんだ」という視点に切り替わって、心からそれを認め詫びた時に、はじめて「つながり」というもの「交わせる」というものを感じた体験できたのだ。

それは、母も妹もパートナーも同じで、だからこそ、そこからは一転して「自分に原因を求め続ける」ということを続けることで、「ずっと喧嘩しない関係」を保とうとしてきたんだ。と今思った。

書いていると、これもまた極端で笑ってしまう。思いっきり反対側から反対側へと舵を切って、今はそれをずっと続けようとしてしまっている。

「自分に原因がある」というのはそうなのだけど、それが行きすぎて、「自分を責めている」=「人とうまくやっていける」みたいになってしまっているのだ。


安定とは、バランスが取れる状態のこと

こうして見てみてると、やっぱり私は(というか人間の性かもしれないけれど)、予測不可能なことや、痛みやフラストレーションに恐れを抱いていて、なるべくそれらを感じないように、避けて生きているんだな。

そして、何事もないことが「安定」「よいこと」と思って生きているんだなと。パートナーシップ、家族との関係をみてもそうだ。ずっといい関係、いい親子、いい姉妹、喧嘩もなく、仲良しな関係、それが「安定」だと。

でもそれは、人間が考える「安定」であって、海や山や空や、草木という自然を眺めれば、人間の考える「安定」はどこまでも不自然だ。

今お世話になっているボディーワーカーの方がいつも「安定とは、予測不可能な刺激に適応してバランスが取れる状態のこと」と言う。

「この世界は縁で、自分でやっていること、コントロールできることなんてないよと、俺は自分のことを"ポンコツ"って認めざるをえない時があって、そこから楽になったよ」って。


世界に飛び込んで、バランスをとって生きていきたい

私は、自分の考える「安定」を自分でコントロールできると思い込んで必死に保とうとして生きてきた。でもそれには、無理があるんだよ、この世界は揺れ動いているものなんだよって今回身体が教えてくれた。

そして、自分の考える「良い・悪い」というジャッジがどれほど、まるごとのいのちから見ると表面的なものか。教えてくれている。

私は、ここから違和感というものを大切に生きていくことで、そのジャッジを超えて生きていきたい。正直に、生きていきたい。

まだまだ、はじまったばかりだけど、この言いようの無いエネルギーを、押し込めることなく表現に使っていきたい。

ガチガチの「安定」ではなくて、予測不可能な揺れ動く世界に飛び込んで、刺激を受けながら、それを味わい、バランスして生きていきたい。

なんとなく、熱量みたいなものが少しずつかえってきている。




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