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小川


 先週の事。東京は西の小平、小川駅に降り立った。ここは初めてではないが、地理を十分把握しているとは言いがたい場所である。用事を済ませ、ちょっと早めの時間に一杯引っ掛けて帰ろうと企み、一度訪れたことのあるほぼ線路沿いの居酒屋「百薬の長」に向かうが、空腹を感じ蕎麦でも手繰りたくなったので駅前に引き返す。北に向かって西武線の線路が右側なので、おそらく小川駅西口なのだろう。狭い駅前を抜けて見えるのは、街の中華屋。その風情は魅かれる店構えだが、いやいや今は蕎麦だ、とばかりに通り過ぎる。暫く歩くと、うどん屋の看板も少し先に見えるが、いやいや今は蕎麦、それにこの辺は武蔵野うどんのお膝元とも言える地域なので、”うどん”の看板では蕎麦が食べられない事もままある。しかも上等の蕎麦でなくて良いのだ。短時間低価格で欲求を満たしたいだけなのだ。かけかコロッケ蕎麦くらいだな、と冷静に判断に駅前に戻ると、見逃していたのか、駅出口から三十歩くらいのところに立ち喰い蕎麦があるではないか。その「そば」看板を確認したと同時に店に入ったので、店名の表記があったかは覚えていない。昔ながらの立ち喰い風情で清潔感があるとは言えない。他の客はおらず小さい音のAMラジオも些か喧しく聴こえるが、悪く無い。壁のメニューに目をやると、チャーハン等のご飯ものもあるしラーメンもある。価格はそば、うどん含めて五百円を越えるものは無かったと記憶する、まあ普通の立ち喰いの値段だ。ついさっきまで蕎麦と濃いめの出汁が想像を満たしていたのだが、メニューを見ると心が揺らぐ。そして、この店にはコロッケが無い。迷いに迷っているが、立ち喰いなのでここはスマートに、入店から一分かからずに注文する。「ソース焼きそば」。自分でも思いもしなかった一品の注文となったが、何がそうさせたのかよく分からない。「ちょっと時間ちょうだいね」と店主が気さくに返事をする。なので、傍らの新聞を広げる。調理の様子を観察するのは好きではないのだ。五分程で目の前に焼きそばが置かれる。湯気、青海苔、紅生姜が鮮やかだ。豚の細も思ったより多く甘みもある。全く普通のソース焼きそばだが、店で一人前で供されるのは実は初めてだったかも知れない。居酒屋の大皿か祭りの露店、しかも自分で進んで食べたいものだった事はほとんど無い。そして素材は露天とほぼ同じようだが、いや、これは旨い。想像を何ら越えないが、旨い。おそらくたいした事は無いのだろうが、今この瞬間、旨いことはとても重要だ。四百円程の一品をたいらげ満足し店を出た。ソース味を少し口に残し河岸を変えて、サッポロ赤星で喉を潤した。夕方暗くなる前に帰路についた。

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 冒頭からの以上の文章は八年ほど前にSNSの立ち食いそばのコミュニティーに書いたものだ。つい先日この小川駅に降り立ったので、思い出した次第だが、西口に降りた瞬間に愕然とした。出口周辺の店が全て無くなっていて、工事中の仮囲いが廻らされているのだ。小川駅西口再開発の告知も目に入る。先の立ち喰いも例外ではなく、出口から数歩のランチメニューも豊富な喫煙可能な喫茶店も跡形もない。どうやら結構高層の建築物ができるらしく、西口の狭い路地に面した店は全てその計画に含まれているようで、建物が残っているところも店じまいの様子だ。そう頻繁に足を運ぶことはなかったのだが、昔ながらのちょっとした狭い路地の商店や飲食店が無くなってしまったのは誠に寂しい。

再開発直前、まだ立ち喰いそば屋はあるが。やはり屋号わからず。

 そして、気になるのは居酒屋「百薬の長」。線路沿いを北に行くが、仮囲いも無くなり少しホッとする。店はあった。暖簾がなかったので、休みかとも思った。やけに静かな気配だったが、次の瞬間に焼き鳥の香りを感じ、ドアをひく。営業中。もちろん入店。駅から2~3分歩いただけで喉が乾く暑い夕方だった。
 コの字カウンターの店内はほぼ満員。そしてそのほとんどが私より年配の方々で皆静かに飲んでいる。久しぶりに見るテレビは相撲中継だが、大雨警報の文字情報もあり、そう簡単には落ち着かせてくれない。入り口付近に座ったので、店内でも西日から完全に逃れることは出来ない。それでも、久しぶりにこの店の味わい深さで喉を潤すと、少し重心が下がってきて、串をいくつか注文し時間がゆっくりしてきたのだが、土俵上の取り組みのアナウンスはペースが早く現在にすぐ戻される。だが勝負は一瞬、次の一番までの時間がゆったり流れ出すと、力が抜けてきて、落ち着きがやってくる。

 ここはタレが結構美味だった記憶があるが、今日はさっぱりと塩でハツとタンをいただく。程々の噛みごたえがいい。程よく美味い。

 さて、先日打ち合わせをした映画音楽制作の件をいろいろ考える。とにかく曲を作らなければならない。ああ、この夏の電気代は覚悟しなければ、とそこで考えを遮断し、お勘定。小一時間、800円程で店を出る。仮囲いのパネルというものは、気分的にも全く涼しさを提供してはくれず、急いで駅に行くが、再開発に憤りを感じて帰路に着く。しかし「百薬の長」店主ももう80歳過ぎと高齢で営業も週4日と減った。その先にあった中華料理屋はコロナ禍頑張っていたが、高齢のため店を畳んだ。件の立ち喰いの店主も高齢だったし、そこに再開発計画というのは致し方がないのかもしれないが、せめて街の規模に適合したものであってほしいと願うばかりである。しかし考えて見ると、西武線のターミナル駅で東口はブリジストン、新病院建設中、西口は学校多数、とまあ小平市もそこに発展を望んでいるのだろう。

 前々回のこのコラムに書いたレコード洗浄は牛歩状態だが、ようやく西アフリカまでたどり着いた。三十数枚持っているサニー・アデに取り掛かっていた頃、ちょうどミュージック・マガジンからサイケデリック・アフリカという題目でレコード評を書いた。サニー・アデ、ダラー・ブランド、フランコ、コノノNo.1の四作で、現在発売中の最新号ミュージック・マガジン8月号に掲載されている。そして入管法改悪、韓国音楽の記事はとても興味深い。

 しかし書いてみると、どのレコード評も文字数に苦労した。推敲で削っていくというレベルでは無く、はなからこの字数で収まらないことを書こうとしていた自分がいけないのだ。つくづく音楽ライターという仕事の難しさを知る。だから私が書いているのは単なる感想と妄想であるが、そんな駄文でも興味を持ってくださる方がいると嬉しい限り。今はサブスクリプションで全て聴くことができるはずだ。

 そのレコード洗浄だが、ようやくあと5~600枚までとなった。まだ終わっていないが、かなり長い道のりだった。と、同時にこんなに所有する必要もないだろう、とも思えてきた。そんな考えもあり以下のことを試してみた。

 42枚選んだのだが、これらそれぞれの後ろに3枚づつあると仮定する。例えばウィリー・コローンの後ろにはエディ・パルミエーリのシンシン刑務所のライヴ、ダニー・ハザウェイの後ろにはマーヴィン・ゲイのI WANT YOUとかそんな具合である。そしてこれから先に手に入れるものをその後ろに一枚づつと考えたら、まあ200枚程度で良いのではないか。とりあえず全部洗浄するまでその件は先送りにする。とはいえ年齢的には現実味もないわけではない。

 さて、一杯飲んでしまったが、本日の作業のキリの良いところまで進める。明日の録音に備え、ウクレレを試してみよう。なんだか尻切れとんぼの今回だが、最近のソロライヴの動画でお許しを。ではまた。

桜井芳樹(さくらい・よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki

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