塔2024年2月号気になった歌10首④
「たうぶ」は、古語で「食ふ」の謙譲語・丁寧語。姉の真似をして50回かき混ぜて、納豆をねばねばさせて食べている。「ねばねば」を「たうぶ(いただく)」という表現におもしろさがある。
アプリの地図が言うことを聞かない。下の句から、黄色に色づく樹々のあいまで巻き起こる風に翻弄されているような情景が浮かぶ。現在地を見失うほど、見渡す限りの黄葉に囲まれているような詩的な表現が魅力的。
ジンギスカンが手招きをしている。これは厳然たる事実であろう。肉厚だ。ほかほかだ。ジンギスカンを食べてはいけないという禁忌はない。しかし、何もせずとも食べたくなるジンギスカンが食べて食べてと手招きをしているとなると、この誘惑に自分がまけて大丈夫なのか、実は美人局で、付け合わせのもやしに毒が仕込まれていて、知らぬ間にかけられていた保険金がジンギスカンに支払われるかもしれない。しかし、自分が滅びるとわかっていても誘惑に負けざるを得ないことがあるのだ。それは、愚かなことではなく、抗えない人間の業なのだ。
浴槽でありのままの自分の体に対峙している。自分の体を不確かであると感じるのは、自分の体でありながら、必ずしも思いのままにならないような感覚がして実感がある。輪郭をはっきりさせるかのように、BGMのボリュームを上げている。
長く住んでいる街であっても、隅々まで知っているわけでなく、意外と同じルートばかり通っていて、知っている箇所は少ない。「電柱の広告だけで組み立てる」という認識への把握に鋭さとおかしみがある。
娘からごっこ遊びに誘われる父親。ごっこ遊びだが、「パパはパパ」。しかし、前者のパパは、現実のパパであり、後者のパパは、フィクションの世界でゆっちゃんの妻であり、ゆっちゃんのこどもの父であるパパ。「お家やさん」というない職場が生み出されているのもかわいらしい。
ホチキスを使っていて、針がなくなっているのに気づかずに押し込んだときの独特な手触り。その手触りが残ったまま、その手を「あなた」にあてるという描写に、簡単な言葉で形容できない独特な相手との間合いを感じる。
舗装路は、道路の耐久力を増すために表面を石やアスファルト、砂利などで敷き固められたもの。舗装の下にある、脆弱な道とさらにその下にある下水路。舗装により無理やり隠していても、溢れ出そうとする下水の威力はかえって増すような比喩に、心の奥底にある欲望のどうしようもない強さがある。
川沿いで鳴るサイレンは、大雨で水位の上がった川の危険を知らせるサイン。しかし、そのサイレンの音は、大雨でゆがめられぼやけた音になっている。「ぽおんぽおん」というオノマトペが独特で的確。
窓枠を通して見る外の世界。「生きた絵画」という描写に、移り変わる景色とある瞬間を切り取った絵画のような空間の把握に妙がある。語りかけるような上の句も印象的。ぴかぴかの窓は、無限の景色を切り取ってくれる。
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