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ノッティングヒルの恋人 天秤にはかけられない幸せ

こちらも、1月号のPOPEYEを読んで気になっていた作品。

歩きながら話す、という恋愛映画において重要なシーン。
カフェでお互い向かい合わせでもなく、車内で密室の中でもなく、公共の場で、しかし、2人並んで歩くことで、特別な空間が生まれる。歩きながら話す、ということは、恋が生まれるきっかけになる。夜は、特に。
このシーン観たさに、ネトフリで視聴した、といっても過言ではない。

※ここから、ネタバレ含みます!


旅行書専門店のウィリアムと、女優アナのラブストーリー。出会うはずのない2人が、出会ってしまったら、どうなる?叶うはずのない恋をしてしまったら、どうする?ありきたりな設定だろうが、シンプルに、かつ、ロマンチックに作り上げている。

印象的なシーンは、ウィリアムの妹の誕生日パーティーで、一人ひとり不幸自慢を話していく場面。いちばん不幸な人が、デザートのブラウニーを食べられるのだ。
仕事がうまくいかない、足が不自由、見た目のコンプレックス、、、ウィリアムをはじめ、パーティーに参加している友人たちも、様々な事情を抱えている。
女優として大活躍しているアナも、不幸だと、自分で語る。職業柄、ダイエットをし、好きなものを好きなだけ食べることができない、整形を2度経験している、マスコミに追いかけられる日々、、、。

みんな、辛い中、生きている。
20数年生きてきたわけだから、それくらいわかっている。しかし、未だに、周りばかりうまくいっているという錯覚に陥る。SNSが浸透している今日、それが顕著である。

こんな私も、恵まれている人生なのかも。

まず、実家暮らしのため、お金に困ったら、なんとかなる。現時点で、金銭面で窮地に立たされることはない。
両親と仲がいい。基本、なんでも話せるし、金銭面に限らず、精神的にも、頼ることができる。
コロナ禍で職を失う人がいる中、職場で必要とされ、ポンコツではあるが、上司に恵まれ、やりがいを持って仕事ができている。
友達がいる。定期的に会う友人がいる。会いたいと言ってくれる友人がいる。喜びを分かち合える友人がいる。
五体満足で、大きな病気にかかることなく、健康で過ごしている。

これだけで十分である。

しかし、あえて不幸自慢をするのならば、
精神的に弱く、希死念慮に襲われることがある(カウンセリングに通い、ここ最近でだいぶよくなった)、他人の発言に過剰反応してしまう(親に繊細と言われた)、恋人がいない、そもそもモテない、貯金がない、転職経験がコンプレックス、ど田舎暮らしで、キラキラとは程遠い生活、首のニキビが消えない、頬のアイロンの火傷の後が消えない、お気に入りのバッグが壊れた、お風呂で寝る癖が治らない(これは不幸自慢にはならないな、努力が必要だ)
など、、、まあこれの10倍はある。

みんなそれなりに不幸で、でも周りからは羨まれる状況だったりする。
ウィリアムの友人は、車椅子生活を余儀なくされているが、夫婦で仲良く暮らしている。
もう1人の友人は、慣れない仕事で苦労し、長い間恋人がいないが、おひとりさまを謳歌できるってのも、案外羨ましいのかも。(実際恋人いる方がいいって思っちゃうけど)
友人が少なく、大人数のグループ行動をしない私から言わせたら、ウィリアムも恵まれている。
パーティーをしたり、女性を紹介してくれたりと、男女混合グループで和気あいあいとする姿は羨ましいよ。

それぞれ、事情があって、いいことも、悪いことも経験して、生きている。
所詮、自分以外は他人で、100%相手を理解することは難しくて、でもその中で思いやりを持って接していかなくてはいけない。

恋愛だって、他人との関係構築である。
いいよね、あなたは、なんでもうまくいってさ、というスタンスでは、恋愛は成り立たない。
相手の苦しみを理解、というより、寄り添って、築いていく。
それって、大人でも難しい。というか、大人になればなるほど、事情や経歴がバラバラで、なおのこと難易度が高まる。

それでも、一緒にいたい、とウィリアムは思った。
アナもまた、強くそう思った。
こうして、信頼関係が生まれるのかもしれない。
よーし!これから君のことを信じるぞー!という意気込みから信頼関係を築くことって、そうそうないよね。
あなたと私は違う、でもどうしても好きだから、一緒にいたい、という切実な願いから生まれるのだと思う。

人の不幸と自分の不幸を、天秤にかけてはいけない。
もちろん、幸福も。
他人は他人、でも一緒にいたい。
育ちやステータス、価値観も違う。どうする?
一緒にいたいなら、そうするしかない。
シンプルだが、シンプルだからこそ、大切にしなくてはいけない考え方。

忘れないで欲しいの。
私だって目の前の男性に愛されたいと願う
ごく普通の女なのよ。

アナが、ウィリアムにかける台詞である。
《女優 アナ》ではなく、1人の女性として見てほしい、という思いが表れている。
この愛の告白で、ウィリアムは友人たちと、車に乗り、アナがいる記者会見の会場へと向かうのだ。このシーンの躍動感も好き。

恋愛ってすごいよな。
相手と似ているから惹かれるのではなく、ただ純粋に好きで、境遇が違えど、そばにいたいと思うのだから。

生まれた場所も、学歴も、生活習慣も、趣味も、休日の過ごし方も、好きな食べ物も、行きつけのお店も、よく聴く音楽も、違うのに、好き。惹かれる。

この作品に出会い、他人に寄り添うことを、もっと努めていきたい、と思った。
自分のことで精一杯だが、好きな人と一緒にいたいから、理解、というより、寄り添って、愛を与えたい。
あと、不幸自慢は程々にしたい。そして、友人も大切にしたい。
ウィリアムの友人は、彼に全力で寄り添い、全力で応援していて、かっこいい!

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