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18歳 刺繍のワンピース



森ガール、というワードをご存知だろうか。

花柄やチロリアンテープ、ボタニカルの刺繍といったガーリーなモチーフや、体型を覆うようなズルズルとしたワンピース、ベージュやアイボリーなどのナチュラルな色合い、細かいパーマヘアといった、「森にいそう」なほっこりとしたコーディネートを指す。ロールモデルは「ハチミツとクローバー」のはぐちゃん。タレントでいうと、宮崎あおい、蒼井優など。平成後期に流行し、似た系統で「ファークロア」「ボヘミアン」などがある。これらは、森、というよりも、民族系という方が正しい。いずれにせよ、都会的でモードっぽい系統よりも、ふんわりとした優しい印象のファッションに、当時小学生だった私は強い憧れを抱いていた。

人間というものは年齢とともに、ファッションの好みの系統は、何となく変化していくように思う。私がファッションに興味を持ち始めた小学校中学年の頃に目指した系統は「森ガール」だった。とはいっても、田舎の小学生がオシャレをしようとしたところで、結局買い物するお店は地元のしまむらかハニーズくらいで、それらのショップで、見様見真似で「森ガール」に近付けるよう試みた。花柄のワンピースや、白のレースのブラウスは、26歳になった今でも好きなアイテムのひとつなのだが、好きになったきっかけは「森ガール」だったのだ。

歳を重ねるにつれて、流行は移り変わり、SNSや周りの友人の影響も受け、「森ガール」っぽい服装以外も挑戦するようになった。友人から「リサイクルショップに行けば、仙台パルコにあるようなブランドの服が安価で手に入る」という実に有力な情報を得て、セカンドストリートなどのお店にも足を運ぶようになった。

地元・岩手県には「ドンドンダウン」というリサイクルショップがあり、高校卒業後はそこでよく買い物していた。セカストと同じように、有名ブランドの服やシューズなどが揃っていて、大量の服の山から、宝物を探す感覚が、リサイクルショップの醍醐味だ。当時は、その魅力に強く惹かれていた。

盛岡駅付近に、ドンドンダウンがあった頃。いつものように宝探しの旅に出た私は、あるワンピースに一目惚れした。

クリーム色の生地に、胸元に紫や赤、ピンクのボタニカルの刺繍が施された、ロング丈のワンピース。フレンチスリーブで、ストンとした形をしている。後ほど知ることになるのだが、このようなワンピースは通称「メキシカンドレス」と呼ばれるらしく、まさに「森ガール」のお手本ともいえるアイテムだった。

2000円もしないという、当時学生だった私にはありがたい低価格だったため、即購入した。森ガールに憧れて約10年。厳密に言えば森ガールは卒業、いや中退した私は、ようやく誰もが認めるような「森ガール」になれた気がした。


18歳、春。盛岡の専門学校に進学し、人生で初めてのアルバイトもほぼ同時に開始した。

新しい環境に期待を膨らますというよりも、ついていくことに必死だった。
化粧を本格的に始めたのも、この頃からだ。アイラインはうまく引けず滲んでいるし、aikoを真似て、赤のアイシャドウを目の下に塗ってみたものの、完全に舞妓さん状態である。こういうのを、黒歴史と呼ぶんだと思う。

昔から夢見がちだった私は、両親の出会いの場所がアルバイト先だと聞いていたので、バイトを始めれば彼氏ができる!と信じていた。変なところ、プラス思考である。

そんなロマンを求めて飛び込んだ先で、案の定といっていいのか、気になる人ができた。相手は、年上で、いつも眠そうで、「疲れた」が口癖の人だった。気だるそうな雰囲気の割には、仕事ができる人だった。

 バイトを始めて1、2週間後、バイトのシフトや連絡事項などを共有する、LINEグループがあるとのことで、彼から招待してもらえることになった。たまたま、バイトの上がる時刻が同じということで、従業員入口のエレベーター前で待ち合わせることになった。これだけでも、当時の私にとっては一大イベントである。急いで制服から着替え、軽く化粧を直す。デートじゃないけど、デート前ってこんな感じだなあと思いながら。

 適当なスウェットに、適当なデニムとか、そんな手抜きな格好じゃなくてよかった。買ったばかりのレトロガールのデニムジャケットに、例の刺繍のワンピースに、刺繍の赤を拾った、同じ色の靴下に、キャメルのモカシンシューズ。美容室で染めたばかりの茶髪のミディアムヘア。なんとなく伸ばしていた前髪は、アメピンで留めていた。このままデートに行こうと思えば行けたのだ。まあ、LINEグループに招待してもらうだけだけど。

 私がエレベーター前に着いた頃には、彼はもう立って待っていた。こういう時、相手のファッションが気になってしまうのは、私だけではないはずだ。制服のシャツ姿だけではわからない相手のセンス(センスと言ったら見定めているみたいで嫌だなあ)、好みがようやくわかるのだ。

彼が着ていた、黒のMA―1は、制服姿とは打って変わって、今時な印象で、それが大きすぎることなく、ジャストサイズなのが、どこか清潔感があった。

私は、すみません遅れました、と謝りながらLINEの画面を開いた。全然待ってないよ、と笑う彼の姿は、私服である以外は、バイト中と何ら変わりはない。

バイトのライングループに招待してもらうために、彼とLINEで友達になる。友達だと思われる、同い年くらいの男の人とのツーショットのアイコンや、高校のクラスの集合写真のホーム画面。どこにでもいる男子って感じだ。QRコードの読み取りか、当時は健在だった、スマホ同士を近づけて「ふりふり」するやり方か、記憶が曖昧だが、仕事関連だとは言えど、彼のLINEを手に入れることができた喜びは、今でも覚えている。

エレベーターに乗り、このまま一緒に帰るのかな。そう思った矢先、彼が手にしていた折り畳み傘に目がいき、今朝雨が降っていて、傘をバイトの事務所に忘れてきたことを思い出した。

 私、傘忘れました。戻ります。エレベーターから降りると、扉を手で押さえたまま、彼は手を振った。思わず、私も手を振る。LINEを交換し、ここまでで3分にも満たない。

先輩に手振るなんて、失礼じゃなかったかな、と心配したり、傘なんて次の出勤日に取りに来ればよかったんだ、と後悔したり、でも、一緒に傘に入っていいですかなんて言う勇気はないよなあ、と勝手に妄想を膨らませたりしながら、傘を取りに戻った。

外に出ると、今朝の土砂降りが嘘のように晴れていた。カラッとした空気で、日差しが強くて、デニムのジャケットが暑く感じるほどだった。歩いて駅まで向かう間も、先ほどのエレベーター前の出来事を脳内で反芻していた。何度もリプレイしたおかげで、さほど特別でもない、ドラマのワンシーンにしては味気ないこの出来事が、色褪せることなく覚えているのだ。

こういう思い出は、いくらあってもいい。その辺に転がっているような、味気ない出来事も、まだ18歳だった頃の私にとってはキラキラしていた。多少の輝きは失っても、その時、自分がどんな服を着ていたかくらいは思い出せる。6、7年も時間が経過すると、青臭いあの頃も、重いコートがいらなくなった、春の気候のような、心地よいものに変わる。こういう時、歳をとるのも悪くないな、と思う。

家に着き、母にバイト先のLINEグループに招待してもらったことを話した。そして、彼とLINEで友達になったことも。

そのまま、解散しちゃったの?と母は聞く。

「もったいない、一緒にケーキでも食べてきたらよかったのに」

それは、そのつまり、デートってやつですか?それは緊張するなあ、と母の一言に慌てる反面、一緒にケーキ食べるってなったらどこに行くのかな、菜園のスタバはおしゃれすぎて緊張しちゃうから、大通りにあるドトールかなあ、2階席で、大通りを行き交う人たちを一緒に眺めるの、楽しそうだなあ、と妄想は広がった。いくらでも、楽しいことを考えられた。

以前実家に帰省した時、クローゼットの整理をしたと母から告げられた。

「ねえ、昔着てた、刺繍のワンピースってどこにやった?」

 私は母に聞いた。久しぶりに、袖を通してみたくなった。似合うかどうかはさておき。

「刺繍のワンピース?あれ捨てたよ」

捨てたんかい!と内心ツッコミを入れつつ、しばらく着てないし、これからも着るかわからないし、母が捨てるのも仕方ないなと自らを納得させた。

「ママにあげても良かったけど」

「着るわけないでしょ」

50代女性にはラブリーすぎるか。

あの刺繍のワンピースは、今の自分にはしっくりこないかもしれないが、26歳になった今でも刺繍も、花柄も好きだ。数年好きってことは、おばちゃんになっても好みは変わらないんだと思う。森ガールは中退したが、可愛らしい雰囲気のファッションは今でも好き。

春は特に、そんな格好をしたくなる。

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