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その一瞬だけに価値のある映画が存在するという事実(竜とそばかすの姫)

仕事柄、
構成として筋が通っていること
みんなが納得できるような終わらせ方であることが大切とされてきた
それは私がテレビという箱の中で動画を作る存在であったからだ。

ただ、私は映画(と小説)はそれが当てはまらないと思っている。

筋は通っていなくてもいいし
なんなら納得できる終わらせ方をすることがルールだとも思わない。
(私個人の意見を言うならば、小説はもっと筋が通ってなくてもいいし、納得できる構成でなくてもいい)

映画は刹那的な総合アートである。
ストーリーやメッセージももちろん大切ではあるが
映像や音楽だけでも何か人に伝えることができる。
そこがテレビとの違いだ。

先日、久しぶりにETを見た。
そして驚いた、ETってこんなにセリフの少ない映画だったんだ!と。
多分ETの台本はキャンパスノート1冊くらいの厚さなのではないかと思った。
ジョンウィリアムズの壮大な音楽と
スピルバーグの映像美、ただそれだけで本当に美しかった。
少年がETを自転車のカゴに乗せて走る。
あのシーンを見ただけで、
その前後の全てが説明されていなくても感動できるくらいだった。

そして
「竜とそばかすの姫」 である。

私は断言する。
この映画はUの歌を聞く
ただその一点だけでも価値がある。

そしてこの歌を全身で受け止められた人は
ご都合主義な展開であること
とんでもない問題が解決したように見せているが
現実に落とし込むと解決していないことが
全てどうでも良くなる。

伝えたかったのは、そこではないと思える。
私に伝わったのは
ただ「好きで得意なことをリアル世界では好きと言えないこと」
「本当の私を誰かが知ってくれている安心」
その二つだけだった。

それって
リアルにみんなが潜在的に抱えている問題ではないだろうか。

歌よ導いて・・・
そのワンシーンにいかに説得力を持たせるか
全てに力を注いで
それ以外の全てはそこに向かって
放射線状に力を集中させている映画。

それが私の「竜とそばかすの姫」の感想である。

話の筋が通っていることと
心に残る話であること。
それは別の問題であり、
誰かの心に何かを残したのならば
それは映画がアートとして完成した瞬間であると思うのだ。


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