夜の中の魚


今日は待ちに待った私の作品の展示会の日だった。
この日のために新調した大きい花柄の青いトップスを1枚上に着て、
麻のショートパンツを履いた。
トートバッグにはリップと携帯と日焼け止めスプレーとイヤホンと財布を入れた。

外に歩く時は人目を気にするので、
黒縁の伊達メガネをかけた。
メガネをするとなんだか落ち着く。

玄関を開けた先はジャスミンの花が咲き誇る。
その香りは私を纏うかのように。

出かける時はいつも身体が重い。
脳のオーバーヒートでよく熱が出る。
ようは心因性の熱。

服を買いに行く時、旅行、美術館に行く日は
すんなり準備ができる。

でも今日はいつもより早起きできる自分に気づいた。
早起きが楽しくなる人生は気持ちがいい。


今日は京都で展示会を行う予定だ。
スケジュールとしては、
夕方から夜までの間に行うものだった。

夕方まで時間があるので、
南禅寺というお寺に足を運びたかった。
そこのお抹茶がとても好き。
翠緑の中、風を感じながら飲むお抹茶は私を生き返らせてくれる。

私の中で想像を掻き立てられるところは京都な気がする。

田舎すぎず、人の刺激と自然の融合が織り混ざっている京都がとても好きだ。

東京駅から京都までの新幹線は、
お決まりの牛しぐれ弁当を平らげる。
新幹線の窓は閉める派。
だが熱海辺りで私は窓を開けて、
東京からやっと解放されたことを目に焼き付ける。

そして京都に着いた。
久しぶりの京都。
だが展示会の緊張はどんどん高まっていった。
展示会が終わったら、予約した鰻屋で日本酒を飲む!
その心意気で気持ちを落ち着かせた。

私はお抹茶を飲まなきゃと思いキャリーバックをガラガラ音を立てながら急いで向かった。

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南禅寺の門の振る舞いは堂々としていた。
今日の展示会が上手くいきますように。
私はそう願いながら門の前で手を合わせた。

私の星座は魚なので、
魚をテーマにした絵を描く事が多かった。
本当に単純なのだけど、
その単純な思いから描く魚の絵は、
私の絵を好きと言ってくれる人には大変受けていた。

展示会の時間も夕方から夜にした理由としては、
私の絵のテーマである、
「夜の中の魚」の自信作に合わせたつもりでそうさせて頂いた。


門をくぐる。
広い道の中心を私は風を感じながら歩いた。
道なりに歩いたところの右側の小道を行くと
そこにお目当てのお抹茶があるのだ。
一本の野点傘が風情を出していた。

遠方のお出かけなので甘いものが食べたくなった。
「わらび餅とお抹茶のセットをください。」

そうだ。このわらび餅とお抹茶のセットは
思い出の食べ物だ。
彼と食べたこのセットは、甘くて苦かった。

彼とは距離を置いていた。
私のお金の管理能力のなさと、
人間関係にとても過敏になりすぎていた私は殆どの仕事を一日で辞めてしまい、生活費を折半せず彼にばかり頼っていたからだ。
罪悪感から私から距離を置こうと言った。

転職は計15回した。
あらゆる仕事をしてみた。
出版、ライター、接客。
どのお仕事も辞めた理由としては、
重圧をかけてくる上司に耐えられなかった。

「ハー。」
という上司のため息が私に聞こえるようにこちらに嫌な風を送る。
私はお腹が痛いふりをしてトイレに走った。
耐えられなかった。
トイレを閉めて用を足しているふりをして、
涙をボロボロ流した。
もう嫌だ。
心で何度も何度も叫んだ。

彼が脳裏によぎる。
彼のためにもちゃんと働かないと。

葛藤が渦巻く。

「お待たせいたしました。お抹茶とわらび餅のセットになります。」

お姉さんの笑顔がとても綺麗だった。

「ありがとうございます。」

私は笑顔で答えた。

私は元々美術部で油絵を描いていた。
今回の作品は馬筆を使い、私の荒れた心情を表現したかった。

魚は一体何処へ泳ぐのだろう。
何のために泳ぐのだろう。

私も魚のように、暗く深い海の闇に溶けようとしていた。

指を意識するのではなく、筆の先に
私の気持ちを乗せて描いた。
確かに震えている指をもう片方の手でそっと押さえた。
その記憶が脳をよぎる。

私はお抹茶を呑み、翠緑の森を独占した。
彼は元気だろうか。
苦みは少し増したように感じた。

その時一通のメールが私に届く。
”久しぶり、元気?
今日展示会あるって呟いていたから
連絡しました。
僕も今京都にいます。
展示会に行きます。“

私はとてもびっくりした。
「神様、助けて…」
小声だが声が出てしまった。

まさか来るとは思っていなかった。
彼はサプライズ的なことはあまりしないタイプだったので、少し嬉しかった。

私はお抹茶とわらび餅を平らげ、
お会計を済ませた。

「美味しかったです。また来てもいいですか?」
私は疑問系で言った。

笑顔が素敵なお姉さんは私にこう言った。
「絶対ですよ。」

この一瞬の会話が緊張をほぐしてくれた。

展示会開始と同時にお客様がチラホラ足を運んでくださった。
私はこの日のために絵の説明が記された冊子を手作りしていた。

「夜の中の魚」
| 魚は一体どこへ彷徨う
  夜は案外楽しいのかい
  深い闇の中で光を探しているのかい |

説明になっているのか、いまいちパッとしないが
何も考えず直感で書いた。

「ごゆっくりご覧になってくださいね。」
私はお客様に丁寧にお辞儀した。
こんな私のために遠方から来てくださる方も
チラホラいた。

人々が私の絵を見ている風景をカメラに納めた。
この瞬間は私は待っていた。

私は願望や理想が強いせいで、
よく挫けることが多かった。
願望も理想も程々にバランス良く調節しないと、
自分がダメになることを知った。
ある程度はこの世の中の仕組みを受け入れていかないと、私の身が滅ぶ事を知った。
私が私である為に、努力を続けていかないといけないと知った。


「君!」
私は誰かに呼ばれた気がして、
振り向くとそこにはSNSでダイレクトメールで
私の絵を展示会に出したいとオファーして下さった方が私の方を見て笑顔でこちらに来てくれた。

「あー!この度はこの場を作って頂き、本当にありがとうございます!」
私は体全体で嬉しさを表現した。

「君の絵は、暗い色ばかり使っているのに
 心が洗われるんだよ。
 世の中には色々な絵があるが、
 君の絵は新しい色が見える気がしてね。
 今の時代に囚われない素敵な絵だと思うよ。」

「本当にありがとうございます。
 私みたいなワガママに機会を与えてくれて
 感謝しかないんですよ。」
私は強く念を入れて伝えた。

「これからも楽しみにしているよ。」

その言葉は少し戸惑ってしまった。
私は絵の道を突っ走ろうとは考えていなかったからだ。

それでも私は、
「はい!頑張ります!」
と宣言した。


展示会はそろそろ終盤に差し掛かる頃、
彼からもう一度メールが来た。

“着いたんだが、入ってもいいかな?“

私は玄関に顔を出して、
「よっ!」とだけ言った。

「下手な絵だけど許してね。」
私は彼にわざとらしくペコペコした。

久しぶりの彼の匂い。
彼の癖毛。
彼の綺麗な白い手。

無性に絵を描きたくなった。

「ぼくたちもう一度やり直さない?」

「もうそれ言う?笑」

相変わらずタイミングの掴めない彼だったが、
それはお互い様だった。

「お金は縁の切れ目というけれど、
 私たちはいつだってやり直せる。
 人生だって、そう。
 もう一度やり直す努力が大事なんだ。
 私はこの魚絵を描いてそう感じたんだ。
 暗闇の中に光を探し続けるんだ。
 たとえ彷徨いながらでも。」

私は「夜の中の魚」を観ながら答え合わせした。

「って上から目線でごめんね。そういえば鰻屋さん予約してあるから一緒に食べに行かない?もちろんご馳走様する!」

私は彼の手を取って京都の夜を走った。



祇園の小道は魚の群れが広がり、
尾鰭を一生懸命動かす。
京都の隙間には竹藪がこっちだよと招いてくれた。


夜の中の魚は私の近くで確かに泳いでいた。





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