意味は煌びやか


とても居心地がよくて、今にでも夢の中に行ってしまいそうだ。

朝焼けの日の暖かさと秋風の寒さに季節の音を乗せて、葉の鼓動を感じ取る。
私は朝から散歩をしていた。
恒例の朝散歩。

誰にも言いたくない私だけの時間。


今までは朝がとても嫌いで嫌いでしょうがなかった。
深夜は胃が痛むやら、呼吸はしづらくなるやら、
起きてろと言われている気がしてならなかった。
それでも何らかの工夫を施して温かいミルクを飲んでみたり、あるいは足を上にあげて閉じたり開いたりして
体操を試みた事もある。
それでもなんの変わりもなく、ただただ日が出る朝暮れをカーテンの隙間から覗いては涙が溢れそうで我慢ばかりする朝に不安を覚えた。

そう。私はこの症状が病気だとは気づかなかった。
月に一度は内科へと足を運び、胃薬を先生からもらっていたのだ。
胃の痛さにイライラの限界が来ていた私は処方箋の
お会計の際に
「今ここで胃薬を飲みたいのでお水を一杯下さい。」
とわんわん泣きながら頼み込んだ事は忘れられない。
24歳にもなって理性を保てない自分に怒りを更に助長していく。
先生はあたふたしながらもお水を用意してくれた。
「痛いわよね。よくなるといいね。」
垣間見える穏やかな表情は私の涙を一瞬で止めるのであった。
まだ私が学生の頃は心の病とは自分の気の持ちよう次第で、最大級の落ち込みを不安障害という病名にただ当てはめたいだけなのだと人を疑ったりもした。
心が弱いから卑下しては落ち込む人を見て、
自分はまだ心が丈夫な方だと言い聞かせていた。
いつの日か私に向けて天罰が降ったかのように
更に体に異常がでてきた。
息が上がったり心臓に棘が刺さるように痛いやら体重が重く感じていた。
外に出ようとは一向に考えられなかった。
重力に逆らえず、ベッドに寝そべっては死にたい気持ちに居心地を覚え、ネットで自殺の仕方を検索しては
調べるのも面倒くさくなって寝る。
その繰り返しに悪魔が私の背中を摩る。
まるでこのまま起き上がらずに誰にも悲しまれずに息絶えよと囁かれている気がしている。
「怖い。」
言葉ではそう発するが心中はやはり少し楽な自分がいる。

何故気を遣わなきゃいけないんだよ、
何故我慢しろと押し付けてくるんだよ、
どこまで勝手なんだよ。

親に思う気持ちがいきなり湧いてきては、
私が死ねば終わる、死後の世界はきっと楽なことばかりだと。
悪魔との会話は素直になれるのであった。
昔と今ではこんなにも思考が変わるなんて、
過去に人を蔑むような目で見ていた事を本当に反省した。

「辛かったですよね。本当に本当にごめんなさい、
ごめんなさい。」
喉が熱くなる程私は反省をした。

朝焼けの日差しの手が私の顔にそっと
触れて、頬が赤く染まる。
この真っ赤に燃える太陽を手で隠して指と指の隙間から
光をチラリと見せる。
太陽のリングの完成。
「綺麗。ありがとうございます。」
温かい日差しは如何なる時でも和顔愛語で接してくれる。
なんでこんなにも温かいのだろう。
ずっとずっとこの奇跡が続いて欲しい。
涙目の景色は深い緑の木々が油絵の様に点々と
描かれていた。
まるでキャンバスの中に迷い込んだかのように。


ある本の一文が朝の散歩の呼び水であり、
本との出会いが世界を美しく豪華絢爛へと導いてくれた。
多種による本を拝読してきた私は
初手は心が軽くなると言われている本を漁っては、
あらゆる隙間時間に精神を安定させていた。
私にとって本は精神安定剤なような物だ。
常にバックの中には本を一冊に胃薬も念のため持っておくのが最低条件だ。
本にも旅をさせてあげたい。
温かい風と晴やかな文字が調和する瞬間が如何に幸せな時間なのか、
私はその気持ちを早く知っておきたかった。


本屋といえば、上野駅の新幹線乗り場の改札付近には書店が食品売り場の間に並んでいる。
その光景を見るだけでも本好きにはたまらなく嬉しくて、新幹線で読書本を忘れた人にはとても助かる良心的な書店なのだ。
それだけではない。
古書店を通りがけると、100円で販売されている本達が外にて気持ちよさそうに整列していた。
初めてこの古書店に足を運んだ時、香しい春の匂いに似ている本の山々に魅了された。

秘密の古書店を見つけた。

この本達は見ず知らずの誰か手に渡り、人々の生活に
潜入していたのだ。
一体どんな人がこの本を手に取り読んだのか、
心情を察しながら拝読する時間も愛おしく、
価値のある時間になっていた。

私だけの秘密の古書店に行く度に目を閉じながら、
ピアノキーのような寝そべる本たちに埃を払いながら指を滑らせて直観で手に取るのだ。
奇跡的な本の出会いと私はそう呼ぶ。


朝から行動すると自分が偉く感じる。
こんなに行動して偉いと真面目に思ってしまうからだ。この朝焼けを独り占めしていると、「エッヘン!」と
言ってしまうのはやっぱり自分らしいと思う。
ちょうどエヘン虫にかかっている自分がなんだか可笑しくて、いつもタイミングよく神様が面白いネタを私に届けてくれる。


そろそろこの静かな場所とさようならをする。
自分にほろ酔う時間は朝焼け空のいたずらなのだ。

「今日もありがとうございます。」

少し恥ずかしがりながら頭を縦にちょこんと振る。

またこの場所に来る事は間違いないのに、
なんとなく伝えなくてはいけないと使命に感じていた。

ベンチに座りっぱなしだった為、熱くなったお尻をホッカイロ代わりにして、冷え冷えとした手を急いでお尻に当てた。
歩き出すと同時に軽くなった足が、この朝焼けに飛び込めそうな心地にしてくれた。


体に出る症状は十人十色であって、決して比べてはならないと私は幼い頃から心に勝手に育まれていた。
周りの環境で気を遣う事に慣れてしまい、
私が気を遣えば事が早く済むと自分に言い聞かせてきたのだ。
自分のことは自分にしかわからない。

だから人は分かり合えないのだと思う。
でもそれが悲しい事ではないと今では思う。
それが当たり前なんだと思う。

不一致の連続から私たちはどう向き合うべきか、
その向き合い方で人生方向を曲げたり、坂道を作ったりして巡り会う事の楽しさに出会える。


そういえば朝散歩のきっかけをくれた本の一文で、
私は自分の事がやっと好きと言えるようになった言葉。それは、

「笑える選択を忘れないで。あなたが笑うと、
これから起こる全ての意味がいつか実り素敵な意味へとあなたを導いてくれるからね。まずは朝焼けから見てみてはどうでしょうか。」



この時間は秘密時間。

終盤の秋はマフラーを首に包める喜悦と同時に、
冬が来るのを早める。


私はもう夜ご飯の材料を買いに小走りにスーパーへと足を運ぶのであった。




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