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「死生観を感じる」に引き続き。
前回のnoteでは36枚のカードの中から大切だと思うカードを選びました。

今回は配られたカードの中から大切だと思うカードを取捨選択していくというルールで行いました。

ヨシダルール(説明書に書いてあったルールの1つ)

①それぞれ5枚ずつカードを配る
②山札から5枚、場に出す
③1巡目、必ず手札の1枚と場の1枚を交換する
④2巡目、交換しなくてもいいならパスをする
⑤誰も交換しなければ場の5枚を流し、再度山札から5枚場に出す
⑥山札が無くなるまで②~⑤を繰り返す
⑦最後に手札の5枚の中から大切だと思う価値観を3枚選ぶ

さて。
私の大切な価値観は「いい人生だったと思える」でした。

今回のルールでは配られた手札の中から選んでいくことになります。配られた手札を見ながら「なんかちょっと違うかもな~」と思いつつ、手札と場のカードを眺めていました。

すると「単体のカードだけじゃ気が付かなったけど、実は自分にとって大切かも」と感じ始めたカードがありました。

「いい人生だったと思える」というカードとは全く違うようなカードを選んでいきました。最終的には以下5枚のカードを集めました。

〇神が共にいて平安である
〇あらかじめ葬儀の準備をしておく
〇私の価値観や優先順位を知る意思決定支援者がいる
・家族が私の死を覚悟している
・呼吸が苦しくない


〈「苦しくない」ということが前提にあった〉

「呼吸が苦しくない」というカードが手元に来た時、ハッとしました。

確かに「いい人生だったと思える」ことも大切だけど、それは身体が苦しくても、辛くても同じことを思えるだろうかと。「いい人生だったと思える」という前提には身体がつらくないことあったのだと気が付きました。

私自身「死」という未知の世界を体験するにあたり、恐怖を感じるかもしれません。そんな時、「大丈夫」という安心感があったら怖くないかなと思いました。その安心感はどこから得られるのかなと考えた時、生死というスピリチュアルなことを扱えるのは神様かなと、単純に感じました。

そして私自身が余命を宣告された時、家族はどんな反応をするのか。

おそらくうれしい、楽しいというポジティブな感情を抱くことはないだろうと思います。どちらかと言うとネガティブな感情を抱くのではないかなと思います。ショックを受けるかもしれません、恐怖を感じるかもしれません、悲しむかもしれません。

家族が「寿命だから」と受け入れて、安心して、落ち着いていてくれたら私はうれしいなと思いました。

そしてお葬式ってもめるポイントだと思うんです。
どこに頼むのか、どれくらいの規模で行うのか、などなど。

数年前に祖父が他界し、お葬式をした時のことです。地元の繋がりのある葬儀屋さんに頼んだり、告別式で誰がどこに座るかの席順を考えたり。しきたりなど祖父が生きていた時には見えなかったものが見えてきました。

私の実家はかなり田舎の方で、目に見えないしきたりが存在していそうです。家族が大変になるのが分かっていたら、自分でお葬式をあらかじめ準備しておくのも悪くないかもと、ちょっと現実的なことも考えてみました。

◎Sさんが選んだカード

〇人との温かいつながりがある
〇大切な人とお別れをする
〇誰かの役に立つ
・機器につながれていない
・清潔さが維持される


〈人は誰かがいて、初めて存在出来る〉
無人島に1人で生きている人は存在しているのか?

無人島には1人しかいません。誰もそこに人が生活しているなんて知りません。果たしてその人は存在していると言えるのでしょうか。

自分という存在は他の人がいて初めて成り立ちます。ストレスや悩みのほとんどは人間関係、つまり人との繋がりです。それが温かいものであったらいいですね。生きている間は誰かの役に立って、旅立つ時はお別れの挨拶をして最期を閉じる。

それも良いな~って思いました。

あとは「機器につながれていない」というのも確かに、と思ってしまいました。機器というと、人工呼吸器や点滴、胃ろうや経管栄養、尿カテーテルかなと思いました。医療機器、特に人工呼吸器は一度つけると外すことは出来ません。

それが自分自身にとってどうなのか?
考えさせられることだなと思います。

◎Kさんが選んだカード

〇ユーモアを持ち続ける
〇私が望む形で治療やケアをしてもらえる
〇痛みがない
・祈る
・人生の最期を1人で過ごさない


「ユーモアを持ち続ける」最期笑って逝きたいと思っても、痛みがあったらどうだろう?

強い痛みがあったとしたら、痛み止めを使ったり、適切に麻薬を使えた方がいいかもしれません。それでも望む以上の医療を受けたくないと思った時、それを受け止めてくれる医療従事者や家族の理解が必要だろうなと思います。

「ユーモアを持ち続けたい」ならマインドだけではなく、身体の方もどうするかという意識が必要かもしれません。

終わってみて

自分で選べたら最高かもしれないけど、現実はどんな状況になっているか分かりません。

そんな時、目の前にある状況(カード)の中から、最善だと思うものを選んでいくことになるのだと思います。もしかしたら、それは自分が望むものではないかもしれません。

それでも目の前の状況(カード)の中から最善だと思うことを選び、生きていくことも必要なのかもしれないと思いました。

ダブルケアでも、目の前にある選択肢の中から自分で最善だと思うことをしていって欲しいなと思います。


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