その時私はバルスを唱えた〜毒親の病根を断つ瞬間

先日相方にこう言われた。
「みどりーぬが私の親の毒の根っこを言い当ててくれてから調子いいんだ」

そういやそんなこともあった。
そうだ。
数ヶ月前のことだ。

元々紛うことなき毒親育ちの相方と、毒親傾向育ちの私は長いことお互いの親に関する悩みを共有し合っていた。
私が心理学関係の書物を思春期以降読んできたのもそのためである。
相方は更に言う。
「あれを言い当ててくれた時、まるで最終ダンジョンをクリアしたみたいな感じだったよ!」

そうだ、あれはは確かに最終ダンジョンクリアの瞬間だった。
クリアできるとは全く思ってはいなかったのだけれど。

それ以降の相方はとても軽やかというか、いつも頭上に乗っていた重石が取れたかのようにすっきりした顔をして、ブラック寄り企業で手こずりながらも以前よりは元気に働いている。

元々毒親による精神的不調は一生ものと諦めていた。
頭の重石も一生ものと思っていた。
スーザンフォワードの「毒になる親」に書かれた対処法をすべて実行したとしても、それで自分の気が済んでそれ以降全てが解決する、などということはあり得ないことだと思っていたし、実際そうだった。
しかし————。

その時確か、相方は親の相続の件でゴタゴタすることを嫌って、相続放棄(譲渡ではなく完全放棄)の手続きを裁判所にて完了してしばらく後だった気がする。
(なのでその数ヶ月後に相続問題が再度別の親族から再燃した時もそれらを一切スルーすることができて、相方は涼しい顔をしていた)

それで、普段は忘れてるが思い出したら恒例の、「なんで毒親ってああなのかねえ」談義が始まったのだと思う。
まあ昔から何度もしている繰言である。
毒親の気持ちなんて理解できるはずもないのだが、あれこれ過去の言動や今まで得た心理学などの知見などを総動員して毒親の毒がどこに由来するのかを探るのは、稀に思い出した時に必ず繰り返してしまう不本意で不毛なレクリエーションだった。

互いの親の生い立ちから毒エピソードから何から何度も話し合って来た既存の情報と解決しようのない疑問である。

なぜ、本来なら可愛いと思うはずの自分の子にそんなに邪険に扱うのか。
他人の子ですら可愛いと思えるのが普通なのに毒親が自分の子を一瞬でも可愛いとは思えないのはなぜなのか。
なぜ酷い目に遭った時に助けるどころか突き放したのか。
なぜ嘘だと断言して信じてくれないのか。

なぜ、なぜ、なぜ が飽和している。
そういったおちこちと無秩序な既知の情報や疑問をザッと脳内に再度軽く一巡りさせた時、不意に脳の隅でチカリと何かが光った。
脳内に一巡りさせた情報の流れが、暗がりの下をとぐろを巻きつつその光に繋がってるように感じた。
一つずつの流れを再度脳内で手探りしながら確かめる。
あのエピソード、このエピソード、そのエピソード…すべてがあの光に繋がっているのでは?

そうだ、最初大企業に入社した相方の父親は人間関係で退職し自営業者になったらしい。

相方の母親は、夫が大企業勤めで安定した家庭の専業主婦という当初の目論見の当てが外れたようだ。

しかしこうなっては自営を継いでくれる跡取り息子が欲しい。

そして待望の初子は…長女だった。

そうだ。
そうだ。
そうだ。
待望の初子が長男ではなく、長女である相方だった、これは、両親から見れば…。

「わかった。両親から見たら、あんた(相方)は失敗作だったんだ。生きて動く失敗作。顔を見るたびに親は自分に突きつけられたと感じるんだ、『失敗した、お前は失敗した、男が産まれなかった。これがお前の失敗の、生きて動く証拠品だ』って」

この瞬間、崩壊した。

これがバルスだった。バルスを唱えた瞬間だった。

頭に重くのしかかってた氷の最終ダンジョンが割れて飛散した。

視界が急に開けた。

相方の両親の全ての言動はここに端を発していた。

相方は、両親の本心をトレースした酷い言葉をそのまま再現した私の顔をポカンと見た後、私を指差し大声で笑い出した。
「それや!それ!!それやわ!!あいつらホントにそー思っとったんや!!!」
相方はむしろウケていた。
「ホントすぎてかえって気持ちいいわ!!!」
「いやだってそうやろ!?そーやんか!!」

しばらく二人してゲタゲタと笑い転げた。
ひとしきり笑ってからもう一度整理した。

彼らにはこう見えるのだ。
本来なら自分を頼りにしないと生きていけない幼いあどけないいとけない子供が、しかし自らの失敗を嘲笑う「失敗の証拠」そのものとして生きて動いているのだ。
その姿を見るたび、顔を見るたびに突きつけられたように感じたのだろう。
自らの失敗と、理想から脱落して2度と戻れない自分の人生を。
その子が笑えば自分の失敗を嘲笑われたようにしか感じられなかったのだろう。
その子が泣けば自分の失敗を責めてるように感じたのだろう。
失敗が生きて動いて成長していく。
知恵をつけて喋り出す。
その上自分の言うことに理路整然と反論する。
だから暴力を振るったのだろう。
(ちなみに私が友人であることも、何か都合の悪いことを相方に吹き込んだと思って気に食わなかったらしく、私の方が固定電話の受話器で殴られそうになったこともある)

…それはしかし私から見れば視野狭窄による単なる認知の歪みでしかなかったが。
その時点で最初の「跡継ぎ長男さえできれば全てうまくいくはず」という何の根拠もないただの思い込みを捨てて頭を切り替えればよかったのだ。

いや、仮にたとえ相方が跡継ぎ長男として生まれていたとしても、視野狭窄で自分の思う通りにならないと揉めて大企業退職して一人親方へ、そしてそこからただのアル中親父になるような親の元で真っ当に育つかどうか怪しいものである。
または田舎独特の黴臭い長男教で甘やかしまくってとんでもない勘違い男に育ててしまったかもしれない。

何せ
世の中まだ元気があり海外旅行ブームの折に子供放ったらかしで大枚叩いてエジプト旅行行ったり
流行りと聞けばミーハーにハスキー犬を飼い始めるも散歩もさせず放ったらかして、しまいには親戚に押し付けたり
公共施設で飼われてたウサギを盗んで飽きたら捨てたり
アル中のアレな頭で「特許取るぞ!」と言い出し自分の趣味の釣り道具作りと特許申請のために後期高齢者の母親(つまり相方の祖母)から7桁万円毟り取って無駄に注ぎ込んだり(勿論特許取れず。相方はおばあちゃん子だったので大変憤った)
と行き当たりばったりで金を使い、または気まぐれで(懐が痛まないように)窃盗し、金に窮すれば年金暮らしの自分の親からも金を毟り取るほどに老後の備えなどビタ一文たりとしなかった父親とそれを止めなかった母親である。
長男が生まれたらそりゃもう長男フィーバーでいいだけ甘やかし碌な躾もしなかったであろうことは想像に難くない。

彼らは「跡継ぎ長男さえできれば今後の人生全てうまくいくはず」という根拠なき妄想に全betするという己の見識の不明さを恥じるべきである。
仮に考えと行状を改めていれば女の子であっても結婚相手が跡を継いでくれたかもしれない。
いや、多様性の時代だ、女だてらに本人が跡を継いでくれた可能性だってないとは言えない。
可能性なら色々あったはずである。

全てはもう遅いけれども。

そして、毒親に頭の切り替えなどできるはずもない。
なぜなら彼らの思考回路内では、「(たとえ根拠がなくとも)自分の最初の思いつきや思い込みが全て正しく、それを訂正する羽目になったらそれは負けだ」と思ってるからだ。
そして「一度でも負けを喫したら(自分の考えを訂正したら)人生おしまいだ!だから絶対に自分の考え(ただの妄想に過ぎないのだが)は曲げない!それが頑固一徹の男の花道だ!」とでも自分に言い聞かせていたのだろう。

言い換えると、人生を「勝ち負け」でしか判断できない極めて短絡的な思考の持ち主だったのだろう。
負けたらやり直しが効かないと思ってるのは、本人自身が負けた相手をさらに追い込み完膚なきまでに叩きのめしたい嗜虐性向の持ち主だからだろう。
負けたら(意見を変えることは負けと思ってる)今度は自分が叩きのめされる番になると勝手に思い込んでるのだろう。
だから絶対に謝ったりしないし謝らないうちは自分は負けてないと思い込んでるのだろう。
そして人生はゼロサムゲームとでも思っていたのだろう。
他人が得をすると自分が損した気分になるのだろう。

アル中で人事不省になって居間で垂れ流ししてる時点で完全に負け組だけどな。
その時点で全て間違ってるけどな。

そうだよ、お前ら間違ってたんだよそもそも。
だけど間違いを認めたら負けだと頭悪いガキみたいに思い込んでて、ツッパるのがカッコいいと勘違いしてて。
ほんまカッコ悪いわ。ダッセーな。
自分の過ちを認めないって、くっそダサいわ。

だけど私が最終ダンジョンに辿り着いてしまった。
クリアして破壊してダンジョンは飛散してしまった。

もう呪いは効かない。

毒親の病根に辿り着いて全てを日の元に晒して消えてしまったから。

毒親の病根を言い当てることは、バルスと唱えることだったのだ。

それ以来相方は憑き物が落ちたかのように息をするのが楽そうに見える。
本人曰くずっと悩まされていたフラッシュバックがほぼなくなったそうだ。

そこまで辿り着けてよかった。
そんなことは一向に期待してはいなかったけれど、ずっと考えてきて、分析してきて、投げ出さないでよかったと思った。

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