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トウキョウの雨傘

午前9時。

道は雨に濡れている。
かすかに降り続く雨を、保守的に傘で身を守る人、フードを被ることでお手軽に済ませる人、これくらいだったら気にしないよと何も抵抗しない人が、それぞれいる。

透明の傘、赤色の傘、ちょっと高そうな黒色の傘。色んな色が入り混じる。

これから始業時間という方もおられれば、10時からの出勤に向けて通勤中の方もおられるかもしれない。そんな時間帯。

雨の日は、音にも色にも敏感になる。
車の音、飛行機の音、人の話し声、、
目に入る色はいつもよりはっきりと見える。

気圧の影響を受ける方も多いだろう。
ご無理はされずに。


一方で、何かを敏感に感じると、いつもよりも、少し「現実的」になれたりもする。

天気の良い日は、ポジティブになんでもできちゃうような、ハイになれる力があるけれど、雨の日は、物事を冷静に見極められる力が、あるように思う。
早く仕事を終えた日の、ふらっと寄り道したコーヒー屋さんで、悶々としている頭の中がすっきりと整頓できる、あの感覚に似ている。


・・・

雨に関する絵について、
画家ルノワールの作品をひとつ紹介したい。


ピエール=オーギュスト・ルノワール
『雨傘』1881-86
Pierre-Auguste Renoir
『Les Parapluies』1881-86


みんなが楽しそうに、同じ色の傘を差している。傘があちらこちらに描かれていて、お祭り騒ぎかのようなリズミカルさとコミカルさがある。

全体的に色や雰囲気に統一感はあるけれど、
傘も帽子も持ち合わせていない左手前の女性が、明らかに馴染んでいない。

それは、当時流行していた雨傘をあえて差していないから、という理由もあるが、女性の描き方が他の人物と明らかに違うことが大きいと思う。

諸説あるが、
ルノワールがこの女性に惹かれていて、圧倒的に周りの人と彼女が違う人なのだ!という気持ちが表現されているのではと思う。“違う”というのは、見た目の美しさや才能かもしれないし、生き方など、流行にとらわれない彼女の保守的な考え方を魅力に感じてたのかもしれない。

残念ながら、この絵に描かれた“違う”女性とルノワールは生涯を共にすることはなかった。悲しいのか悲しくないのかさえ、今となってはわからないが、美しい絵であることは間違いない。


画家として、「夢」を見るか「現実」を見るかを模索していたルノワールにとって、この絵は大きな分岐点になったのではと私は憶測している。


偶然か、必然か。
『シェルブールの雨傘』1964年(フランス映画)も、想い合う男女は、結果的に結ばれない。その様子を、ミュージカルという手段で、華やかに描かれている。悲しさを感じるかどうかは、みる者の感性に委ねる、ということなのだろうか。


「雨」に関するキーワードは、美しくもあり、そして「現実的」でもあると、ふたつの作品を例に挙げながら思う。


・・・


東京は、まだ雨が降り続いている。

傘をさすかどうか、そんなことは個人の自由だ。
いくつもの色の傘を町に並べて、雨の日を愉しくする。

「夢」を追いかけることは誰にでもできることじゃない、素晴らしいこと。
けれど、雨の日くらいは「現実的」になって、冷静に丁寧に物事と向き合ってみてもいいのかもしれない。


体調のすぐれない方は、ゆっくり休んでくださいね。


⬇️過去の東京のおはなし。


🌷参考資料🌷

・テレビ東京 新美の巨人たち、ピエール=オーギュスト・ルノワール「雨傘」
https://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin_old/backnumber/100220/

・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、シェルブールの雨傘
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E9%9B%A8%E5%82%98


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雨の日をたのしく

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