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金曜雑感

今週もいろんなところに出かけていろんな人と会って音楽を聴いたが、最も印象に残っていることは水曜日に行った「夕の祈り」だ。
「夕の祈り」とは、聖路加国際大学内の礼拝堂で月に一度行なわれている音楽と祈りの集会で、今回はオルガンとサックスの演奏があり、ミュージシャンである友達が演奏者ではなく録音技師として関わるという。当日いきなりのお誘いではあったが伺った。
私は特定の宗教を信仰していないのだが、宗教にまつわる様々には比較的スルッと参加できる。というか好奇心からあらゆる物事にズブズブ入って行くことの多い人間なので、宗教的な儀式などもその一つとして体感している。
この日司祭様が話されたのは創世記のことで、無から有が顕れたことや聖書に記されたことの解説などがメインだった。
明日の読書会のお題である福岡伸一著『動的平衡』を読んでいて、細胞のこと、ミトコンドリアのこと、宇宙のことなどに思いを馳せてはいちいちボーっと遠い目になっていたが、何かそういうこととリンクするお話であった。
先週はとても悲しいお別れに接したり、人の生き死にのことを考える時間が多かったこともあり、病院内でのこういった時間は非常に自分にしっくりきた感がある。

さっきふと思いついたことは、人間のこの世界の有りようや成り立ちに対する理解は太古からあまり変わることなく、ただ表現方法が実験に基づく科学的な論考だったり詩や小説だったり映画だったり音楽だったり絵だったり料理だったりするだけなのかな、ということ。
今頃そんなことに気づいたのかよ!と思われるだろうけど、実感を伴ったヒラメキでした。

今週は他にも、人のライブを観ていろんなことがわかってしまった。「しまった」という他ない。「ああ、そういうことなのか」と何かの膜が一枚剥がれたような。

あとは、「夕の祈り」に駆けつけた飲み友T氏と、例によって中華を食べながらビールをガブガブ飲んで宗教からオザケンやYMOについて話したのも楽しかったです。(今週は3日も餃子を食べました)