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#9 明るい不登校をふりかえる 嘘をつく子ども

助産師のHiroです。
末っ子が学校に行けなくなってから転学を決めるまでをふりかえるマガジンです。今回は不登校の始まりの出来事について書こうと思います。

おかあさん、僕はまた嘘をついた。

高1の夏休みが明けて、息子が学校に行けなくなった。
朝になるとトイレで吐いてたり、頭が痛いと言って起きられなかったり。
我が家は「学校はいつでもどんな理由でも休んでいい」という方針だったので、今日は体調が悪いと言われると学校に欠席の連絡をしていた。
1週間ほど休んでいる間、どんどん表情が沈んでいってさすがに心配になってきた頃、息子から話があると切り出された。

部屋で2人きりで話がしたいと言われ、久しぶりに息子の部屋に入った。
ベッドに腰掛けた息子は、うつむいてしばらく無言の後に「おかあさん、ごめん。僕はまた嘘をついた」とかすれた声で言った。
必死に勇気を振り絞って話をしてくれたんだろうなと思って、なんの話をしてくれるのかは全くわからなかったけれど、
「そっか、教えてくれてありがとう」と答えた。
私たち2人の中には「もう嘘をつかない」と話し合った小学5年のやりとりが浮かんでいたのだと思う。

嘘をつく子どもだった

末っ子は嘘をつく子どもだった。
嘘をつくことは誰でも状況によってはあると思う。
我が家の子どもたちは3人とも保育園の頃から公文式に通っていた。
毎日宿題があって「宿題やった?」と聞くと末っ子は「やった。もう終わった」と答える。けれど、実際にはやれていないことがほとんどだった。

嘘をつくと怒られる、特に夫は機嫌によって大きな声で怒鳴ったりする。
死んだ魚のような焦点の合わない目をしている末っ子を見て、小児看護学で学んだ虐待を受けた子どもの「フローズンアイ」という言葉が連想された。
冷たく感情のない目「フローズンアイ」は、対抗手段を持たないか弱い子どもたちが自分を守るための防御反応と言われている。

末っ子の嘘は普通じゃない、この子は心に傷を負っているんだと気付いたのが小学4、5年生の頃だった。
怒られるかもと思うと思考が停止して、すぐにバレるかもなんて考えられなくなって反射的に嘘をついてしまう。
小学5年の時に2人で泣きながら息子と話し合った。

わたしが伝えたのは「嘘をつくのは悪いことじゃなくて自分を守ろうとしている」ということ。そして息子を「そんな風にしてしまったお父さんとお母さんが悪かった」と謝った。
「このまま嘘をついてしまう思考回路が変わらないと、人を信じられない、人に信じてもらえない人になってしまう」「自分の人生をしあわせに過ごしてほしいから少しずつ嘘をつかないように変わってほしい」と話した。
息子が「嘘で自分を守ろうとしなくても過ごせるようにおうちを変えていくから」と約束して、わたしだけは息子が「どんな事をしても怒らないからほんとのことを話して欲しい」と伝えた。
それから、夫に対して感情的に怒鳴らないようにしてほしいと働きかけて、公文式に対する取り組み方も見直して、少しずつ息子は嘘をつかなくても過ごせるようになっていった。
中学生の頃にリビングのカーテンを破ってしまった時、すぐには言えなかったけど、数日後に教えてくれた時は「ちゃんと変われたね!」って、ほんとに嬉しかった。

僕は宿題ができない

ベッドに腰掛けた息子の前に座って、ゆっくり息子が話してくれるのを待った。
息子はいつも言葉を選んでゆっくりゆっくり自分の気持ちを話ししてくれる。
学校に行けないのは体調が悪いわけじゃない。
夏休みに宿題ができなかったこと、最初の数日で学校を休んでなんとかやろうとしたけど、身体が思うように動かなくてできなかったことなど。
同じように夏休みに遊んでいた友だちはちゃんとできてるのに、なんで自分はできないんだろうか、そんな自分がダメやと思っていること。

息子の話をしっかり聞いた後に、じゃあどうしたらいいかを一緒に考えた。
わたし達が出した答えは「宿題はやれるにこしたことはないがやれなくてもいい」「宿題ができないからといってダメなわけじゃない。いい所はいっぱいある」「今回の問題はやれなかった事実を先生に伝えるのが怖くてそこから逃げ出してしまったこと」「先生に正直に伝えてこれからどうするかを相談する」というものだった。
数学教師と担任は、威圧的なところが父親に似ている。息子はわたしとの話し合いの翌日、学校に行って先生に学校を休んだ理由をちゃんと話せた。
わたしは息子が嘘をつかない人生を選んでくれたこと、問題を自分の力で解決しようとしたことがうれしかった。

問題の本質、捉え方の違い

担任から電話がかかってきた。
「学校に来れない理由が宿題をできないことが大きいようなので、家庭でも宿題ができるようにサポートしてほしい」と言われた。
担任には宿題ができない理由は、単にサボっているというだけではなく精神的な問題があることを説明した。
わたしとしては「宿題はやれるにこしたことはないが親が手取り足取りサポートしてやれたとしても意味がないと思う」「宿題をやってなくても堂々と学校に行けるメンタリティをもてるようになることの方が大事だと思っている」と伝えた。

型にはめようとする教育の形

3人の子どもを育ててきて、保育園の頃から高校を卒業するまで、たくさんの先生と関わってきたけど、教師には2つのパターンがあると感じる。
1つ目は自分の理想の枠に子どもを当てはめようとするタイプ、もう1つが子どもの個別性を考えて一人一人の良さを伸ばそうとしてくれるタイプ。
残念ながら担任も数学教師も1つ目の枠にはめようとする先生だった。
わたしは助産師、看護師をしているので、医療の世界でも同じことを感じる。
医師でも看護職でも、医療者の都合で患者に自分の理想の治療やケアを押し付けるパターナリズムの人たちと、患者や家族の思いを尊重し個別性に合わせてその人らしく生きることをサポートしようとする人たちがいる。
わたしは後者の価値観を大切に仕事をしている。
育児に対してもその思いを大切にしてきた。
そんな風に育てられた息子が、学校で違和感を感じるのは仕方がないと感じた出来事。


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