見出し画像

Vol.11 【緊急提言】今だからこそ間に合う、「歴史から学ぶ」大切さを訴えたい…のお話

皆さん、1週間お疲れ様でした。HANABIが勤務する中学校では、教員から卒業生への三年生を送る会を開催したり(もちろんソーシャルディスタンスを意識して!)、お世話になった校舎の大掃除をしたりと、いよいよ卒業ムードが出てまいりました。しかも、既に進路が決まっている生徒からは、受検がこれからの仲間に対して応援プレゼントをあげたりもしていましたね!心温まる1週間となりました😊

しかし、こんな幸せな時間ばかりが、世界で流れているわけではありません。そう、ユーラシア大陸で起きている「あの問題」です。報道がされて以降、ボクなりに、日本だけでなくイギリスやアメリカのニュース番組をチェックしながら、細かい情報をキャッチしようと努力してきました。

今回noteに残したいことは、「歴史から学べ」という視点の大切さです。「そんなこと、当たり前じゃない?」と言われそうですが、原点を見つめ直すという意味では、とても大切なテーマだと思っています。
これまでは、主に学校教育に関わるお話を書いてきましたが、今回はこの世の中に生きる「人」として、今の思いを綴りたいと思います。あくまでも、個人の思いです。お付き合いいただけると嬉しいです😌

退屈な日常=幸せな時間、と気づくとき

ボクたちがnoteを書ける日常って、やっぱり幸せな空間が広がっているからこそ、成り立っているように感じます。

明治時代のビゴーの風刺画にもあったように、言論弾圧されるような空間であれば、自由な意見発信は、まずはできないことですよね。

出典:清水勲『ビゴーが見た日本人』講談社学術文庫、2001年.

この雰囲気、取り付け騒ぎが起きていることも含めて、二度の世界大戦前と同じ状況になってきているような気がします。

出典:『新編 新しい社会 歴史』東京書籍、2019年.

SNSに書く内容はともあれ、自分の意見や考えを配信したにも関わらず、「あの問題」に関係する投稿が誰かに消されるという出来事が起きてきています。また、実際に反戦を支持した人たちが拘束されたという情報まで…。ここまで来たら、「あの問題」を世界中で注視し、平和に導くための話し合いができなくなってしまいそうで、かなり不安になってしまいます。

上の太字の内容、実は昨日のボクの授業で発言された内容の一部です。すなわち、中学校3年生でも自分事に考えてしまうくらい、今のヨーロッパ情勢は緊迫化し、ボクたちの日常に入り込もうとしていることが分かります。

ボクたち大人は、こういった素朴な考えに対して、どういった反応をすればよいのでしょうか?

ユーラシア大陸で起きている問題に対して、「可哀想」「恐い」「どうなるんやろ?」と無関心に近い考えを持たないことが求められているように思います。にも関わらず、ボクの周りにいる大人はほとんどが無関心。中学生の方が真剣に考えているくらいです。
この状況に危機感を感じているのはHANABIだけでしょうか?いや、きっとちがいます。こうしてnoteを書ける時間そのものが「非日常」になった時に気づくことがあるかもしれませんが、それでは明らかに遅いです。そういう今だからこそ、もう一度原点に戻りたいと思います。

名著『歴史とは何か』を再読してみて

「ある問題」が起きてから、ボクはE.H.カー(清水幾太郎訳)の『歴史とは何か』(1962年、岩波新書)を読み直しています。これで5回目になるんですが、決まって、こうした歴史的転換になりそうなときには手にとっています。さて、カーは、21世紀に生きるボクたちに、こう語りかけます。

「歴史とは何か」という問題に答えようとする時、私たちの答は、意識的にせよ、無意識的にせよ、私たちの時代的な地位を反映し、また、この答は、私たちが自分の生活している社会をどう見るかという更に広汎な問題に対する私たちの答の一部を形作っているのです。

出典:E.H.カー(清水幾太郎訳)『歴史とは何か』岩波新書、1962年、p.3.

ボクなりの解釈でいくと、現在起きている出来事を見るための「メガネ」が歴史であり、「歴史から学ぶ」意味は、まさにそこにあるということになるでしょう。更にカーは,ボクたちに語りかけます。

・・・(略)歴史とは過去の諸事件と次第に現れて来る未来の諸目的との間の対話と呼ぶべき(略)。

出典:E.H.カー(清水幾太郎訳)『歴史とは何か』岩波新書、1962年、p.184.

なるほど。ということは、今まさに起きている「あの問題」と過去の諸事件が類似しているところを探して、今後の国際社会の行方を考え続けることができるということになりそうです。

2日間で一気に読破したので、「おいおい、そんな単純な解釈しちゃっていいの?」と突っ込みを入れたくなる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、今の自分を見つめ、対話し続けることで、新しい発想や行動が生まれてくると思っているので、こういう作業はとても大切だと考えています。

カーの助言に基づき、過去の諸事件と今の「あの問題」との類似点を考えていますが、HANABIの頭の中ではなかなか整理できずに今に至っています😱上に書いた中学生の発言自体がカーのいう「歴史と未来との対話」になるんだと思いますが・・・。HANABIに教えていただける人がいましたら、コメント欄にて教えてください!!よろしくお願いします😖

今こそ「誰一人取り残さない」を実践するタイミングなのでは?

noteは政治的な発言をする場ではないかと思うので深入りは避けますが、それでも、ボクとして今の国際社会の動きは許しがたい思いでいっぱいです。国連としてSDGsを提唱しているにも関わらず、安全保障理事会は機能せず(国際政治を進めていく上での手続きや、各国の思惑が渦巻いているのは分かりますが…)。

皆さん、そもそも「SDGs」って一体何のためにあるのでしょうか?

一部の国の利益のためにつくられた目標だったのでしょうか?
それとも先進国のためのものだったのでしょうか?

どれも違います。
MDGsからSDGsに進化したのは、「世界全体で」という理念が強く働いてできたものだからです。

あそこにいる全ての人たち(国籍・性別等は関係なく)が苦しんでいる今、国際社会はどういった形で手を差し伸べることができるのでしょうか?そこを真剣に考え、議論し、どういった形であれ行動に移していくことこそが、ボクたちができることなんだと思います。

しかし、中学校教師ができること、しかも公務員という立場であれば、惨めになるくらい何もできません。
できることとしたら、フェイクニュースに騙されることなく、たくさんの情報を比較検討し、その内容をもとに目の前にいる中学生や同僚と、この国際問題を考えたり語り合ったりすることだけしかありません。

ただし、どんな形であれ、アウトプットしない限り、ほんの小さな変化を起こすことはできません。コツコツと、HANABIなりにできることをやっていき、最終的には「形」にして発信出来たらいいなと考えています。

今こそ、「誰一人取り残さない」の意味を、全世界の人々で考え合うべきときです。そして、今回の問題をきっかけにして、他の出来事に関しても目を向けていける世の中にしていきたいものです。

最後に一言

やはり、武器を取り合って「人が死ぬ」ということは、この世の中からなくなることはないのでしょうか?
確かに、歴史を眺めてみると、人類は戦いを繰り返して現在の文明を構築してきました。でも・・・、それでも、「人が死ぬ」ことに憤りを感じてしまいますし、何とかできることはないのか・・・と考えてしまいます。

noteの中だけでもいいです。
みんなで知恵を出し合って、「悲しみ」や「怒り」を一つでも消していける取り組みをしていきませんか?

今までとは全く違うnoteになってしまいましたが、HANABIの思いをそのまま綴ってみました。

*最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この記事が参加している募集

読書感想文

SDGsへの向き合い方

中学校社会科教師のHANABIです!学校教育の現状、中学校社会科の面白さ、自分の生徒・卒業生や全国にいる中学生へのメッセージ、時にはHANABIのプライベートまで、いろんな角度から掘り下げて綴っていきます!!SNS初心者ですが、よろしくお願いします(*^▽^*)