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ブレイクタイムプレゼンツ~昭和62年度スポッットライト!

こんばんは( ノ゚Д゚)!

只今取り組んでいます小説が節目を迎えましたので、ちょっとここらで個人的には酷い思い出ばかりの昭和62年度のヒット曲を、思い出と共に振り返りたいと思います( ̄▽ ̄;)

と言いつつ、以前昭和62年度ベストテンとして、以下の記事をアップしていますので、今回も前回アップした曲は被らないように選んでみました。なのでトップイラストに偽りアリですが(苦笑)、下記記事と合わせてご覧頂ければと思います。

例によって高校2年生の時の思い出とリンクさせるため、「昭和62年」ではなく、「昭和62年度」の曲をアップいたしますので、後半は昭和63年リリースの曲になってしまいますが、悪しからずご容赦下さいませm(_ _;)m

では行ってみよーε=ε=ε=ε=┏(* ̄▽ ̄)┛


①「君が通り過ぎた後に/ALFEE」

アルフィーが春に出す曲には名曲が多い、が私の持論ですが、この年はアルフィーが勝負をかけ、バラード調のこの曲と、ロック調の「サファイアの瞳」を同時リリースしてきました。

先に書いた記事には、「サファイアの瞳」を取り上げましたし、売り上げも「サファイアの瞳」の方が高かったと思いますが、曲の内容としては、こちらの方が完成度が高いような気がします。

「タッチ」の主題歌になっていたのは、調べていて今回初めて知りましたが💦

この曲にまつわる思い出は、「サファイアの瞳」同様、中学校時代に続いて又も吹奏楽部の部長になってしまって色々な軋轢に苦しんでいた春先、これに尽きます!(笑)


②「I Love you,SAYONARA/チェッカーズ」

この曲がヒットしたのも春先ですので、個人的な思い出は①と重なりますが、クラス替えがあって新しいクラスになったことも、この曲を聴くと思い出すのです。
その新しいクラスに熱狂的なチェッカーズファンの女子がいたこととか、1年の時は違うクラスだった女子の中に、私のことが気になってる子がおるよ!と、吹奏楽部の同期の女子に教えてもらったりとか。

それは本当?と思いましたが、否応なくその女の子のことが逆に私も気になってしまう訳です(苦笑)

でも私が教室で観察していても、教えてもらったその子は、私なんか全く気にしてないようで、私としても動きようが無くて、その子との絡みは、高3の文化祭の準備の帰りに一度だけ一緒に帰ったことです。

でもその一度だけ一緒に帰った時は、結構話が弾んで楽しかったってことが、何故か忘れられないんです。

その高3の文化祭の頃は、酷い失恋を重ねたせいで私が女性不信、人間不信に陥っていた時期なので、何もアクションを起こさなかったのが悔やまれます(´;ω;`)ウッ…


③「ろくなもんじゃねぇ/長渕剛」

この曲は嘉門達夫さんが替え歌メドレーで、「6は4じゃねぇ」等と歌っていましたが、カモタツ氏曰く、替え歌メドレーに入っている曲は、全部権利関係者や歌手本人から許可を得ているとのことなので、よく長渕剛が替え歌にOKを出したなぁと、却ってその心の広さに驚いたものです。

個人的にこの曲は、歌詞が心に沁みて大好きです。
翌年の「とんぼ」もですが、寂しい心の者に寄り添ってくれる歌ですよね。

この曲の個人的な思い出となると、吹奏楽部ではなくクラスの思い出がリンクしてきます。

6月にある文化祭でクラスの出し物を何にしようかと迷った結果、「映画の吹き替え」「好きな人の写真、代わりに撮ります!」という企画を立ち上げたんです。
映画がなんだったかは忘れてしまったのですが、私に充てられた役のセリフの吹込みに行った際、女子から「ミエハル君、カッコいい~💖」って言われたことが思い出です(n*´ω`*n)
あ、もちろん後日談はありません(苦笑)

ちなみに「好きな人の写真、代わりに撮ります!」は大ヒット企画になりまして、翌年の文化祭では各クラスが真似をする事態を招きました(笑)


④「水の中のAnswer/杉山清貴」

分裂してしまった杉山清貴さんとオメガトライブですが、コンスタントに季節にぴったりな曲をリリースされる杉山清貴さんの方に軍配が上がってきた、そんな気が個人的には感じる曲です。

ヒットしていた時期が、吹奏楽部最大の危機の頃だったので(苦笑)、どうしてもその時の、自分がバリサクから打楽器へ行かなきゃ吹奏楽部は潰れる!という危機感を思い出してしまい、苦笑いしてしまいます(;^_^A

曲のイメージとしては、真夏というより、初夏って感じですね🎵


⑤「50/50 /中山美穂」

昭和62年の夏は、私には忘れられない夏なため、前回取り上げた「白夜/THE ALFEE」以外にも、好きな曲が沢山あります。
その中からミポリンを選んだのは、私がバリサクから移籍した打楽器で、唯一1年生として残ってくれていた女の子が中山美穂ファンで、夏休みの練習中も「50/50」を口ずさんでいたりして、そのせいか(?)忘れられない曲になってしまったからです(;^ω^)

実は私がカラオケに目覚めたのも、その打楽器の後輩女子に、半強制的にカラオケに連れて行かれたため、なんです(*ノωノ)

色々と喋って、冗談も言い合えるようになった頃には、私の頭を指して、中山美穂の「派手!」「ハゲ」に置き換えて歌ったりしてました(爆)
俺はハゲてない、額が広いだけじゃ!という応酬を何度繰り広げたやら(〃艸〃)


⑥「ダンス・ウィズ・ユー/TUBE」

まだTUBEが、夏の象徴になる手前の曲です。昭和62年の初秋の頃のヒット曲ですが、この曲を聴くとリンクしてくる私の思い出は、修学旅行です🚌
1年生の時の合宿も、カップル誕生率が高いのですが、修学旅行には敵わないですね(笑)
3泊4日で広島から長野に行き、最終日はまだ京葉線が出来てない頃の東京ディズニーランドで締めるという行程だったので、TDLで異性と過ごしたいみんなは、男女問わず焦るように告白を繰り広げていました💖

私はというと、勿論誰からも告白などされず、私自身もやさぐれていたので(謎)、男友達とジャングルクルーズに2回乗ったり、スペースワールドに乗って首を捻挫したりと、寂しい思い出しかないTDLになりました(苦笑)


⑦「禁断のテレパシー/工藤静香」

この曲も昭和62年の初秋の頃のヒット曲になりますね。⑥の「ダンス・ウィズ・ユー」と被るので、修学旅行を思い出す時もありますが、高2の体育祭もちょっとリンクしてきます。

小説ネタにもしてますし、それ以外にも一度記事にした記憶があるのですが、私の母校はセーラー服が可愛いということで女子人気が高く、どの学年も女子の方が人数が多かったんです。
となると、体育祭での3年生の思い出作り、フォークダンスで、何名かは延々と女同士で踊り続けなきゃならない方が出てくるので、それは解消しなくては!と、2年生男子が、不足する3年男子の枠に入ることになったんです。
私も選抜メンバー入りしましたが、たった1歳違うだけで、こんなに大人の女の色気を感じるものか…と思ったのを覚えていますよ(⋈◍>◡<◍)。✧♡


⑧「はいからさんが通る/南野陽子」

南野陽子さんの代表曲としてよく挙げられるのがこの曲ですね♪
映画にも出たということで、歌番組に出る時は着物で出ていたのを覚えています👘

昭和62年末~63年初めという年を跨いでのヒットでしたが、なんとなく私は63年の3学期にヒットしていたというイメージが強いです。

その頃は吹奏楽部内が敵だらけ(苦笑)、でも私に共鳴してくれた同期や後輩たちと、何とか楽しく過ごしていました。しかし・・・


⑨「悲しいね/渡辺美里」

前回書いた昭和62年度ベストテンでも触れたのですが、2月上旬から体調を崩してしまった私…。
それでも地域の音楽祭に出て、3曲演奏する予定になっていましたし、何より私が夢だったドラムを、初めて叩くことになっていたので、無理して部活に出ていました。

すると音楽祭前日の土曜日の早朝、呼吸をしたら苦しいという奇妙な状態と同時に高熱を発してしまい、親が救急車を呼び、そのまま入院する羽目になってしまいました( ノД`)

初の入院生活で戸惑ってしまい、また本番前日に打楽器に穴をあけてしまうという失態を演じ、めっちゃ落ち込んだ私の気持ちにピッタリの曲です(苦笑)


⑩「ほらね、春が来た/うしろ髪ひかれ隊」

高2の終わりに、吹奏楽部は第2回定期演奏会を開催することになっていました。
私が入院騒ぎを起こしてしまったせいで、逆に部内が団結してくれるようになり、定期演奏会へ向けての準備も順調に進んでいきました。

そんな忙しい頃だったので、歌番組を見る機会が減っていたのですが、この曲は爽やかに、いよいよ高2から高3へ上がる時が来たよ、と教えてくれたような曲でした。

そして苦難続きだった吹奏楽部の部長職を、後輩に託す時が来ました。辛い思い出ばかりでしたが、今は笑い話として、みんなと話せます(笑)


てな訳でお送りしました、ミエハル名物(?)昔を回顧するベストテン企画でした(^^)/~~~



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