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vol.3 〜最終章〜 作り上げてきたもの

詐欺事件から直ぐのこと…
今度はお客様は杖をつきながら来店された。

あら?

お客様の足取りは、杖が不要なくらい軽やかだ。

「◯◯様、凄い!杖でお出かけ出来るようになったんですね」

私が駆け寄りそう言うと、

「今度、息子が旅行に連れて行ってくれるって言うから歩行練習をしてるのよ。昔から行ってみたいところがあって、〝何処に行きたい?〟って聞かれたからそこを答えたら、あんなところガラガラと押し車を押してはいけないから、自分の力で歩けるようにならないと連れてけないぞって言われて…」

と、教えてくれた

「まぁ!!素敵な息子さん!次男さんですか?」

私が尋ねると、

「長男よ。私が詐欺にあった話しを聞いて、そんなに旅行に行きたいんなら俺が連れてってやるって…」

お客様の話しを聞き、私は目を輝かせた。そして、両手を固く結び、

「まぁ、なんて素敵なお話でしょう!素敵、素敵です〜‼︎」

まるでオペラ歌手のように、結んだ両手を左右に動かしながら感動を言葉で連呼した。数秒してやっと我に返った私は、

「それで、どちらに?」

興奮冷め止まぬ中、お客様に尋ねた。

「息子が住んでる四国よ」

何でも四国の観光名所で昔から行ってみたい場所があったらしく、そこに連れて行ってくれることになったらしい。

「じゃあ、お孫さん達にも会えますね!楽しみ〜🎵」

私は、自分が行くかの如く喜んだ。
それにしても、息子さんのこの行動力!!
さすが親子だと感心した。

それから暫くして、お客様は旅行に行って戻って来た。
その来店時、私は更に驚かされることとなる。お客様が杖を突かずに歩いて来たのだ。

「◯◯様、お帰りなさいませ! つ、杖はどうなさいました⁈」

目を丸くして尋ねる私に、

「旅行中に何処かに置いて来ちゃったのよ。それで、息子が心配して直ぐに買ってくれたんだけど、また置いて来ちゃって…そんなにばら撒いてくるぐらいなら要らないんじゃないか?って怒るもんだから、意地になって歩行練習してたら、歩けるようになっちゃったのよ」

えーー⁇

あれだけ背を丸めてシルバーカーを押していた方が歩けるようになるなんて…
現実とは思えない目の前の光景に私は仰天し、凝視した。

確かに、杖を突いて来店されたお客様が宝石を買って楽しんで帰って行かれる時に、杖を忘れて帰ろうとして慌てて追いかけた事は何度かあった。
しかし、お客様の場合は、始まりが杖ではなかっただけに一層、驚かされたのだった。

それからのお客様は、息子さんと良く出かけるようになった。
この間なんかは、次男さんが銀座のライオンに連れて行ってくれ生演奏を聴きながら食事を楽しんで来られたそうだ。
高齢のお母様をエスコートする息子さん。二人だけのデートを想像し、私まで幸せな気分になった。
私は、私達のホテル展示会のように〝また〟何かやって来たのではないかと思い、

「生演奏は如何でしたか?」

と、聞いてみた。
すると、

「私が大喜びで手を叩くから、なんだか目の前に座らせてくれて、ヴァイオリンの人が横に来て弾いてくれたわよ」

と、お客様。

やっぱりね…

想像どおり、〝何か〟はやったみたいだった。そうでもなければ、演奏者から前に呼ばれる訳はない。
そして、更にはイタリア旅行まで行くこととなった。お客様と息子さん達との旅の話しを聞きながら、〝歳を重ねて息子がデートに誘ってくれる関係っていいなぁ~〟などと、呑気に夢見心地になっていた私。

そんな時、お客様の外商担当が代わることとなった。今度の担当は、40代後半で背が高く、顔立ちも整っている結構やり手の外商員だった。前の担当のように、私に何かを聞きに来るような人物ではない。
私は、人づてにお客様がその外商員を気に入っていることを耳にした。
その証拠に、宝石を外商の招待会で買ったと言うのだ。私のように長年店内に出入りしていると、このような情報が耳に入ってくるのは臨時ニュースのように早い。
これまで外商の招待会では宝石以外の物を買っており、宝石は私達の会社の物を買ってくれていた。
それが…

私は一抹の不安を覚え、落ち落ちしてはいられないと内心焦った。
が、同時に最悪のシナリオが頭の中を過ぎり、嫌な気持ちと共にせり上がってきた唾をゆっくりと飲み込んだ。


その後、お客様が来店した時に、見慣れない指輪をはめているのに気づいた。

例の指輪か…

私は、お客様がどの程度外商担当を気に入っているのか確かめておく為、

「◯◯様、素敵なリングをお着けですね」

と、敢えて指輪に話しを向けた。

「これ?外商が持って来てね、綺麗だから買っちゃたのよー。私の気に入る物がどんなものか良く分かってるのよ。参っちゃうわ…」

予想以上に随分とご執心の様子。
その指輪はアレキサンドライトで、副社長が薦めた指輪とは石の形が違うものだったがデザインに大差が見えない。

何故にアレキ?

お客様が変わった形の石で尚且つ、レアストーンが好きなのは明確だ。
だか何故、同じようなものをまた買ったのか?が、ふと頭に引っかかった。
いつもならそこで選んだ理由を聞こうと話しを掘り下げる私。
けれどもその時、商売の話しを他所に、外商員に熱を上げているお客様を冷めた目で見ている自分がそこにいたのだった。
毎度、自身の欲求感情が出てくるとろくなことにならない。
分かっているのに繰り返す…
いつのまにか宝石の販売とは程遠い場所へと導かれていたのは言うまでもない。

あんなに外商員のこと気に入っちゃってさー。はぁ…参ったなぁ…
外商からばかり宝石を買うようになってしまっては、うちで買わなくなっちゃうじゃん。宝石だけはうちで買ってもらわないと…どうしようかなぁ…

そんなお客様を抜きにした考えは、残念ながら目の前で鳴った警鐘を無かったものにしてしまった。
そして、

外商員を気に入ったからと言って、やたら買いはしないでしょう?
こちらは何十年もお付き合いしてもらってるんだから…

などと、急に根拠のない自信が湧いてきた。更には、

まぁ、直ぐに冷めるでしょう…

と、安易な考えへと辿り着き、目の前で起きている現実からも目を背けた。そして、やるべきことまで見失い、高を括ったのだった。

すると、またもやビッグニュースが飛び込んできた。お客様が、アレキサンドライトのブレスレットを買ったと言うのだ。
金額は140万。

嘘でしょ…⁈

私は動揺し足が震えた。
あの時、何故アレキサンドライトを選んだのか?その理由を情報として捉えていれば、私達にもあったチャンスだったかもしれない。自分の仕出かした過ちに気づき、言葉も出なかった。
そんな最中、更なる大爆弾が放り込まれた。今度は、指輪を買ったらしい。
金額にして400万。
私は頭を木刀で殴られたような衝撃で目眩がし、倒れそうになった。購入した指輪は、またもやアレキサンドライト。

嘘でしょう⁇…⁈

同じ百貨店内での出来事だ。
あからさまに嫌悪感を訴える訳にもいかない。ましてや、会社にも、仲間内の誰にも知られたくもない情報だ。私は、全身に感じる寒さと震える手足に誰にも気づかれぬよう力を込めた。そして、

馬鹿、馬鹿、大馬鹿者!!

販売員として、会社の責任者として、自分の甘さと未熟さを一人心の中で罵った。
気づいたら、自分の腿の辺りを何度も拳で殴っていた。

それからと言うもの、私もお客様への商売に根を詰めるようになった。
言い訳するわけではないが、これまでの話しの中で、商売を抜きにしてただ雑談を楽しんで来た訳でもない。お客様にはもう十二分にお買い物をしてもらっていた。
十数年の長い年月の間お付き合いしてくれているお客様には、その年月なりの対応があると思って接していたのだ。
しかしこうなって、お客様にだけ照準を当てて動き出すと流れは変わってくる。
全力で接客に取り組むとお客様はそれに応えて購入してくれた。すると、外商員…
これまた負けずと販売してくるのだ。
そんな闘いのような買い物劇が三ヶ月ほど続いた頃、私の中に不安が芽生えてきた。

ちょっと買い過ぎじゃない?

売っている本人が思うことではないが、
段々とこの〝物売り合戦〟の結末をリアルに想像するようになったのだ。芽生えた不安はそのうち迫り来るものへと変化しつつあった。
そんなある日のこと、お客様の口から等々、恐れていた言葉が発せられた。

「最近、百貨店で買い物ばかりしてるって息子が喧しいのよ」

来たか…

百貨店での買い物は良いとして、宝石をこれだけ買っていれば桁が変わってくる。
この内容を息子さんに知られたらどうなることか…これまで、息子さんの話しを聴いてきた私は、そのうち息子さんから咎められるのでは?と、随分と前から、いや、始めの段階で予想出来ていた。
それを無視して闘いに没頭してきた三ヶ月間。もちろん、やって来たことに後悔はない。買い物の選択はお客様自身の決断だ。
しかし、これ以上弾を撃ち続けるのは危険だと思った。宝石に興味がない人からみたらこれだけの買い物を理解しろと言う方が難しいだろう…
そうして考え抜いた結果、私はこの〝物売り合戦〟に自ら白旗をあげることにしたのだ。その日から、気に入った商品が見つかった時やこの商品だけはお客様に…と、思う時だけお薦めする、以前のスタイルに戻した。つもりだった…

そんな中、館内のレストランで招待会が開催されることとなった。毎回、参加されるお客様は、もちろん今回も予約が入っていた。
お客様が来場され挨拶を済ませると、販売スタッフを接客に付けた。
有り難い話、私自身が接客をすることが出来ないくらい顧客数が増えていたからだ。私はその頃、会場内のコントロール(付け回し)が主な役割となっていた。
すると、商品を着けて遊んでいたスタッフがいきなり私を手招きした。

「見てください!凄く似合われます!!」

着けていたのはアレキサンドライトのネックレス。それも、ダイヤモンドとアレキサンドライトが交互に首回りを一周しているテニスネックレスと呼ばれるものだった。しかも、かなりの高額品だ。

このタイミング⁈

普通ならば喜ぶところだか、私は嫌な予感の方が上回り笑顔が引き攣った。
お客様に言われた息子さんの言葉が頭をよぎったからだ。
売上は喉から手が出るほど欲しい。
しかも、こんなに大きな金額なら尚更だ。けれども、企業にとってまやかしの数字ほど怖い物はない。私の心はネックレスを着けて満足そうに笑うお客様を目の前に、大きく揺れていた。そんな心配を他所に、お客様と販売スタッフは大いに盛り上がっている。
そして、買い上げが決まった。
私はお客様に、

「◯◯様、大変良くお似合いですが、息子様の方は大丈夫なんですか?お買い物の件、気にしていらっしゃったようですが?」

そう言い、敢えて息子さんの話しを切り出した。本来、締結の場面でお客様の購入意識を下げるようなことを言うのは、販売員としてはご法度だ。担当スタッフが一瞬、ギクリとした様子で私を見た。
すると、

「息子?あーいいの、いいの。自分で買うんだから…こんな感じのネックレスがずっと欲しかったのよ。イメージにぴったり!気に入ったわぁ!!」

お客様は、〝嫌なことを言ってくれるわ〟と言わんばかりに、右手を頭の上で雑に振ってカードを出した。販売スタッフは、安堵の表情で和かな笑顔に戻った。
ここまで来たら時の流れに身を任せるしかない…
お客様からの返事にこれ以上口出し出来る訳もない私は、そのまま買い上げの手続きに入った。
金額にして230万円。
現場の数字状況がリアルタイムで分かる会社内では、この大きな売上に歓喜の声が上がっていた。私はそれを目にして、更に焦燥感に駆られた。
お客様が帰った後、販売スタッフに建前の労いの言葉をかけ、頭の中ではこの数字を予算プラスαにする為にどう動くかを考えていた。自分の中の心配事は誰にも打ち明けず、現実にならないよう言葉にすることも敢えて避けた。そして、心の中で〝どうぞ何事もありませんように…〟と、一人静かに祈ったのだった。

それから一ヶ月後…
百貨店のマネージャーから電話がかかって来た。

「お世話になってます。すみません…いい話じゃないんですが…」

この時点で、予感が的中したことを感じた私は、

「キャンセルですか?」

と、こちらから答えを振った。

「実は、◯◯様の息子さんから連絡がありまして…まだ、話してみないと分からないんですけど、お母様が支払いが出来ないと仰っているらしくて…」

えっ…?

「支払いが?うちのお支払いは、お買い上げの時に確認して、お客様が大丈夫だと仰ったのでお買い上げいただいたのですが、その支払いが出来ないって仰ってらっしゃるんですか?」

自身が予感していた内容とお客様の話しの内容が違っていた為、私は首を傾げた。
〝キャンセル〟が起こるのではないかと予想していたのは、息子さんからのバッシングによるものとばかり思っていたからだ。

「実は、うちの外商に400万のツケがありまして、その支払いと御社のお買い物の支払いが一緒になってしまったんです。それをお客様が勘違いされていらしたみたいで払えないと…」

あれか⁈

随分前のお買い物の件を突然持ち出され、不意打ちを食らった私は、急に憤りを感じてきた。

「それ、うち関係あります?うちのお支払いはカードで決済が終わっているわけですから、外商さんの方の支払いは御社でご解決していただけないんですか?」

食らいつく私にマネージャーは困ったような声を出し、

「仰っることはごもっともです。私も、御社に迷惑が掛からないようにしたいと思っているのですが、ご子息様がどのように出られるかによっては避けられない事態になるかもしれないので、先にお耳に入れておこうと思いまして…」

と、マネージャー。
確かに、支払い云々の前に、ご子息様からお母様の意向を無視した形でキャンセルを言い渡された場合、百貨店側もそれを受けざるを得ない状態になることもある。
売り手側にとっては理不尽な話しだ。

「一旦、私にお客様とお話させていただけませんか?」

どうにか自社の買い物の支払いだけでも都合をつけてもらうようお客様にお願いをしようと思い、私はそう切り出した。
外商部の売上にしろ、私達メーカーの売上にしろ、結局は百貨店の売上だ。
この2つが消えることを考えたら、マネージャーの方が頭が痛いはずだった。
どちらの買い物にしろ、お客様の息子さんへ精一杯アプローチするのは間違いない。
でも、それでは空中から垂れている命綱をこちらに落ちてこないかと指を加えて見ているだけとなってしまう。
キャンセル依頼の内容に少しでも可能性がある以上、自社に損害が及ばないよう必死に抵抗しようと考えたのだった。
すると、マネージャー。

「それが、今日これからご子息様がいらっしゃると言うんです。うちも担当ではなく、私と外商部の部長で話しを聞こうと思っています。第三者同士の方が理論的に解決出来るかと思いまして…」

そう言われると、こちらは身動きが取れない。結局、命綱を握る努力をすることも出来ないまま、今考えつく全ての正論を伝え、やり切れない気持ちを抱えながら電話を切った。
結果を待つ時間の長いこと…

夕方…
再び、マネージャーから連絡があった。

「◯◯様のご子息様、凄い理解のある方で、お母様の意向をしっかり聴いてこられてました。結論から申しますと、御社のネックレスの方だけご購入いただけることとなりました。うちとしては……」

マネージャーは、外商部の大きな売上が無くなったことを話し続けていた。
が、私の耳に聞こえていたその声がだんだんと頭の後ろへとボヤけていき、

御社のネックレスの方だけ購入…
御社のネックレスだけ購入…
御社のネックレス…

その言葉だけが鮮明に頭の中を旋回していた。

ありがとうございます…

私は目を瞑り、心の中でお客様にお礼を言った。同時にゆっくりと肩の力が抜けていくのを感じていた。そして、社内が歓喜の声で溢れていた場面に戻り、販売スタッフも含め、一緒に喜びを分かち合いたい気分になった。
もちろん、話し終わったマネージャーには、言葉で感謝の気持ちを伝え電話を切った。

その直後の出店時
お客様がバツの悪そうな顔をして来店された。私がお礼を言おうと口を開こうとしたその瞬間、一気に話し出したお客様。

「なんだかごめんなさいね。息子が出て来ちゃて…お宅の買い物は自分でも分かってたから良かったんだけど、外商の支払いはいつでも良いって言ってたと思ってたら、今月払って欲しいって言うもんだから、
そんなお金、直ぐに用意出来ないじゃない?だから、息子に貸してくれない?って言ったら〝そんな大金、何に使うんだ⁈〟って始まって…」

お客様は、申し訳なさそうに話しを続けた。

「〝最近、やたら百貨店で買い物ばかりしてると思ってたけど、そんなに宝石ばかり買っていつ使うんだ? それで払えないから貸してくれとは何事だ⁈ 自分で買えないようなものを買うな!!〟って、怒鳴られて…そう言われると、もう返す言葉もないわよ。それで、自分が話しをしに行くって言い出して聞かないでしょ?だから、お宅のネックレスだけは買いたいからそう話してくるように言ったのよ」

と…更に話しは続いた。

「息子に今回の件で宝石をいっぱい買ってるのがバレちゃったもんだから、もういい加減にいいんじゃないか?って言われてね。考えてみれば、確かにたくさん持ち過ぎちゃったからいいっていえばいいのよね。最後に一番良い物を買ったし…だからもう、私は案内は要らないわ」

と、少し俯き加減でそう言った。

えっ?


突然の申し出に、私は目をキョトンとさせてお客様の顔を見た。

「◯◯様、ネックレスのお買い上げ、本当にありがとうございました。今、今後の案内が要らないと仰いましたが、メンテナンスなども踏まえてのご案内ですので、買う、買わないは別としてご案内だけは出させていただけませんか?」

と、私が言うと、

「メンテナンスなんかいいのよ。壊れたらその時にお店(百貨店)に相談するから…そうしたら、お宅に言ってくれるでしょ?案内が来ると楽しいからついつい来ちゃうから…買わないお客を相手するほどお宅も暇じゃないでしょう?だからもう要らない」

お客様の言うことはごもっともだった。
このお客様の決断力の強さは、十数年のお付き合いの中で充分に理解出来ていた。
私は、

「分かりました」

と、言葉少なくうなだれた。
お客様を見送った後、ネックレスを販売した担当スタッフが静かに私の元に寄って来た。

「◯◯様、もうDM出さないで欲しいって言われたんですか?そうですよね…私も、こうなる気がしてたので、あの時、敢えてあのネックレスをお薦めしたんです。外商から買ったブレスレットとセットになるから…時期的には危ない橋かとも思ったんですけど、そこは本部長が何とかしてくれると思ったから。最後になってしまったけど、お買い上げが決まって良かったです」

えぇっ⁇

私は、販売スタッフの話しに耳を疑った。
私の中の葛藤は、誰にも話していなかった。なのに、スタッフは全てを理解した上であのネックレスを薦めていたのだ。

「何で分かったんですか?外商からお客様が商品を買ったこととか、息子さんのこととか⁇ 私、言いましたっけ?」

驚いて尋ねた私に、

「何年一緒に仕事させてもらってると思ってるんですか?本部長とお客様の会話を聞いていれば分かりますよー。お話される全ての会話に意味があるってことも。それに、お客様が誰かって言うのは言わないですが、高額が売れた時には、私達の耳にも情報は入ってくるんですよ。だから、私は何が売れたのか?買ったのはどんな方だったのか?外商担当は誰だったのか?その時に気になったので聞いたんです。それで、お客様が買ったって気づいて…」

と、スタッフ。
その販売スタッフは、お客様に丁寧な応対は出来るのだが、販売となると詰めが弱く数字を作ることが中々出来ない。本人も分かっているのか、新規のお客様を対応するのは他の販売スタッフに比べて一歩遅れて取り掛かるような行動が毎度、見て取れていた。そのうち、彼女の特徴を活かすつもりで常連顧客への接客を任せるようになった。
私は、彼女が彼女なりに自分の出来る努力をやろうとそこまで考えて行動していたことをその時、初めて知った…
そうだった。三カ月間の〝物売り合戦〟で、私が準備して来た物を徹底して薦めてくれたのは彼女だった。
私を観ていた彼女は、自分にしか出来ない役割を見い出し、それを実践してくれていたのだ。
彼女がいなければ、私は最初の一歩で白旗をあげていたかもしれない。そして、最後のネックレスは〝確実に〟お客様へはお薦めしていなかっただろう。この一連の売上は、紛れもなく彼女が作り上げて来たものだった。
もう一つのドラマを知った私は、心から感銘を受けた。そして、

「あの時、手放しで喜んであげられなくてすみませんでした。大きな売上、本当にありがとうございました」

と、彼女に向かって感謝の気持ちを伝えた。彼女は私に目を合わせ、頷くように微笑んだ。

結局、お客様とのお付き合いはこのような形で終止符が打たれた。13年間の月日にしては妙にあっさりしており、私の心は不思議と晴れやだった。何故なら、私が描いた最悪のシナリオとは全く違った結末を迎えたからだ。お客様と息子さんには、私の想像出来ることを遥かに上回った豊かな関係が存在していた。
母の意思を尊重しながら寄り添っている息子さん達…

それが、お客様が作り上げてきたもの…


その後、たまに私達の展示会場前を通りかかると、大きく右手を振って足早に去って行くお客様の姿が見受けられた。
そのうち、たまにはお茶でも如何かと私が誘うと、お客様は、

「じゃ、お言葉に甘えて一杯だけ…」

と言って少し話しをすると、本当に一杯分の時間で腰を上げた。


それから時が過ぎ、私達はいつものように忙しく時を過ごしていた。

お客様も参加してくれた形の招待会が館内レストランで行われていた時のことだった。私が招待客をお見送りする為にエレベーター前に行った時、エレベーターの脇にあるベンチにお客様が座っているのに気づいた。お客様の顔が横目に映った時、顔が少し赤みを帯びているように見えた。
私が招待客を見送っていると、背中に突き刺さるような視線を感じた。
エレベーターが閉まった後、振り返ってお客様を見ると、やはりこちらをじっと見つめていた。その瞳は、とても優しかった。
私はお客様に近づいた。
赤みを帯びているように見えたのは気のせいではなく、お客様は少しお酒を飲んでいるようだ。

「お久しぶりです。今日は如何なさったんですか?」

私が尋ねると、

「今日は息子がご飯は要らないって言うから、ご飯を食べに来たのよ。ここまで折角来たんだから、ちょっと飲んでやろうと思ってお酒を飲んだら酔っ払っちゃって… だから今、酔い覚まししてるの」

と、お客様。
その時々を最大に楽しむお客様には感服するばかりだ。
この時点でのお客様の年齢は、88歳。
これまでならそこで世話の一つでも焼いただろう…けれど、招待会中の私には、招待客以外のもてなしをする時間は残されていなかった。案の定、向こうから大きく手を振り、スタッフが戻って来いと呼んでいるのが見える。
私は、

「酔っ払って転んだら大変ですもんね。お気をつけてお帰りください」

と言い、お客様をもう一度見た。
すると、

「大丈夫、行ってちょうだい」

お客様は手を振るスタッフを横目に、一層優しい目をして私を促した。
人によってはこの場面で、もてなされないことに様々な感情を抱くこともあるかもしれない。

私は会場へと急ぎ足で戻りながら、お客様の自由闊達な生き方と、学んだたくさんのことを思い出し、内側から溢れ出る温かい感情に顔を綻ばせたのだった。

お客様は、今日も百貨店で楽しく遊んでいることだろう…


〜vol.3 終わり〜













百貨店を舞台に、出逢えたお客様に販売を通して教えてもらった数々の〝気づき〟による自身の成長記録と、歳を重ねた方々の生き方を綴っています。出会った順で更新していますので、私自身が少しずつ成長していく変化を楽しみながら百貨店の魅力も感じて頂けたら幸いです。 日曜日に更新します!