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vol.6 お気に入り

展示会が始まった。
有難いことに連日大勢のお客様で賑わい、私達スタッフはトイレに行く暇さえないほど忙しく、会場内に入り浸り接客に精を出していた。
クロスのペンダントを購入いただいたお客様は約束の時間きっかりに来場された。
正確に言うと来場されたようだった。

会場には受付係も配備されるようになり、お約束の顧客様の来場時には、売り場責任者の私に伝達が来るようになっていた。
が、その時間帯、予約以外の来場も多々あり会場内に来場者が溢れ、受付係は若干パニック状態に陥っていた。
唯一、手が空いていたのは社長のみ。

「お客さんが○○さんじゃないと嫌だって駄々捏ねてるんだけど…」

背後から聴き慣れた声がした。
社長だ…
商談中だった私は眉を潜め、目の前の大きなチャンスを逃してはなるまいとその声が聞こえなかった振りをした。
受付係であれば指示を出して済む事が、社長であれば指示を出される事になる。
自分のリズムを変えられる事を懸念したのだ。

「俺じゃどうしようもないからさー、行ってよ」

機嫌を損ねたのかその声色に棘が含まれているのを感じ、私は渋々席を立った。
社長の背中について行き指差す方向を見ると、クロスのペンダントを購入してくださったお客様が居心地悪そうに一人ポツンとテーブルの椅子に腰掛けていた。
私は、

「社長、申し訳ありません。この接客抜けたくないので空きましたらでよろしいですか?」

と言った。
すると社長が、

「とにかく行ってくれる?」

少し眉間にシワを寄せ、高圧的に一言放った。
こうなれば従うしかない…

もう! ちょっと相手しててくれればいいのに‼︎

危うく心の声が漏れそうになった。
その瞬間、弾けそうなくらいに膨らんでいたエネルギーと言う名の風船から、空気が抜けて行くのを感じた。それと同時に、社長に対して嫌悪感が湧き出てきた。
大口の商談が気になって仕方がない…
地団駄を踏みたくなるくらいに苛立つ気持ちを押さえながら、一人佇むお客様の元へと向かった。

「○○さん‼︎」

歩寄って来る私に気づいたお客様は、腰から上を宙に浮かせ両腕を伸ばし、こちらに向けて大きく広げた。その姿は、何十年振りに大切な人と再会したような、そんな姿を連想させた。
私は眉を八の字にし、

「○○様、ようこそお越しいただきました!お待たせして申し訳ございません。お出迎えも出来ませんで…」

小走りに駆け寄りそう言うと、お客様は私の両手をしっかりと握りしめた。

「○○さんを呼んで!って、言ってるのに、接客中だから待っててって言うのよ。約束してるのに…ね⁉︎」

お客様は重なり合った両手を左右に揺らしながら、満面の笑みを浮かべそう言った。
私の顔も自然と笑顔になったが、心の中は未だ不満な気持ちを抱えたままだった。
揺らしていた手をピタリと止め、お客様が私の顔を覗き込んだ。

「今日はね、黒いパールの一粒のペンダントを見たいの!20万までであるかしら?」

こちらが何も話す前に、そんな申し出をいただいた。普段ならば、こんなに有難い事はないだろう…けれども嬉しい反面、私の頭の中には先程接客していた三桁の数字と20万と言う数字が脳裏に順を追って現れたのだ。
何とさもしい奴だ…

「ありがとうございます!素敵なペンダントがございますのでお持ちしますね‼︎少々お待ちください‼︎」

そんな気持ちを見透かされるのを恐れた私はお客様の目を見ることが出来ず、浮かんだ数字を掻き消すように頭を下げた。気持ちの切り替えのせいかいちいち語尾に力が入る。
その場を離れ商品を選定していると、出会い頭のお客様の顔が頭に浮かび、何とか苛立ちも落ち着いて来た。
お似合いになられそうで尚且つ、予算に見合うペンダントを敢えて一点だけトレーに載せ、お客様の元へと戻りテーブルの上に置いた。

「こちらの商品でしたら○○様のお眼鏡に敵うかと思いお持ちしました」

何故そう思うのかを話した後、今度は私がお客様の顔を表情を窺うように覗き込んだ。
お客様は目をキラキラと輝かせ、

「さすが○○さん‼︎私が気に入りそうなのを分かってるわね!これいくら?」

提示した商品を一目見るなりそう言った。
そして、何の前触れもなく伝えた金額分の現金をテーブルの上に置いたのだ。

えっ…

まだ着けてもいない商品のお買い物までのスピードの速さに驚いた私は、現金に手を触れることさえ忘れお客様の顔を見つめた。

「どうしたの?これで足りるわよね?」

お客様は動こうとしない私を見て、不思議そうに首を傾げた。

「は、はい。あ、ありがとうございます。なんだかあまりに嬉しくて舞い上がってます。でも、まだお着け頂いていないので着けたお姿を是非、拝見させてください」

私がそう言うと、

「いいの、いいの。面倒だし、似合うの分かるから…(笑)○○さん忙しいでしょ?早く他の方接客して売らないと!あ~、宝石の展示会なんてお誘い受けたの久しぶりで緊張しちゃったわ。いつも買える訳じゃないけど、今日は頑張っちゃったわよ。何れ欲しいと思っていた物だったから、○○さんから買えるんだったらその方が安心だし、貴方なら素敵な物を紹介してくれると思ってたしね!」

私は一瞬ギクリとして、話しているお客様の顔を凝視した。苛立ちを抱えたままだったことに気付かれていたのだと思ったのだ。
ところがお客様の視線は少し宙を見ており、その言葉の中に淀んだものは一つも感じ取れなかった。私は言葉を失い、張り詰めていたものが弾け涙が溢れそうになった。

「どうしたの?」

涙目の私に気づいたお客様が驚いた顔をしてこちらを見た。

「違うんです。まだお会いして2回目なのに、こんなにも有難いお言葉いただいて、私のことまで気にしてくださって…何とお礼を申し上げたら…」

会話にならない言葉を返そうとした時、溜まっていた涙が両目から一粒づつ溢れてしまった。
それを見たお客様は、一層穏やかな優しい目をして、

「私はね、ずっと大勢の人前に立つ仕事をして来たの。だから、その人のことを一目見たら分かるのよ!その人がどう言う人なのか…まぁ、自分が好きかどうかだけなんだけどね。私が貴方を気に入ったってこと!はい!お会計してちょうだい。こんなところに長居は無用よ」

照れ臭そうにそう言った。
お会計を終えたお客様は、お見送りする私に手を振りながら颯爽と帰って行かれた。
お客様が帰った後、内側から溢れてくる感情が抑えきれずトイレに向かった私は、一気に涙を放出した。

この涙には、お客様への感謝の気持ちとは別に、もう一つの感情が存在していたのだった…

会場に戻ると、場内は少し落ち着いた様子を取り戻していた。受付係も受付に戻り、販売スタッフも数名は手が空いたようだ。

「休憩行きました?」

手の空いているスタッフに声を掛けると、どうやら現場は社長がコントロールしていたようで、交通整理がなさられていた。

「いゃ〜さすが副社長。大きいの決めたねー」

スタッフルームから社長の声が聞こえてきた。
何の話をしているのか直ぐに勘付いた私は、立ち止まりギュッと目を瞑った。
スタッフルームに入るのを躊躇したが、私物がそこにあるので行かざるを得ない。
スタッフルームの扉を開けると一瞬空気が変わった気がした。いや…空気を変えたのは私だったのかもしれない。

「さっきのお客さん、副社長に入ってもらったから大きいの決まったよ」

私の顔を見た途端、社長が声を掛けた。

決まるに決まってんじゃん。
準備してたんだから…

心の声が呟いた。

「あ、ありがとうございました」

私は俯き加減で心にもない言葉を吐いた。
荒んだ気持ちが態度に現れ、その場の空気を更に凍り付かせたようだ。

「それにしてもあのお客さん、○○さんじゃないと嫌だって言って聞かないんだもん。どうしたらあんなにお客さんに気に入られる訳?」

止まった空気を掻き分けるように社長が戯けてみせた。副社長も苦笑いで答える。
上司二人の取り繕うような態度が、より一層気持ちを苛立たせた。
抑えきれない感情が爆発しそうになった私は聞こえなかった振りをして、私物から化粧ポーチを取り出すと急ぎ足でスタッフルームを後にした。

「そんな態度はないんじゃない?」

副社長が私の後を追って来てそう言った。
傷口に塩を塗られた気分だった。
皺のよった眉間を払うように顔を撫で振り返った私は、

「えっ?どんな態度ですか?会場が気になるから急いで行こうと思っただけなんですけど…」

取り繕う自分も嫌になったが、ここで気持ちを訴えたところで通じるとも思えなかった私は、曖昧な言葉でその場を交わし歩き出した。
視線を背中越しに感じる…
けれどもそれ以上、副社長は何も言わなかった。

どれだけ準備してると思ってんのよ⁉︎
良いとこばっか自分達が持って行って、
私は都合の良い雑用係?
何で私ばっかり言われなくちゃいけないの?
自分達は休んでばっかじゃない!

頭の中に浮かぶ社長と副社長に対するありとあらゆる不満を、歩きながら心の中でぶちまけてやった。


展示会の準備は企画から始まる。
当時、その企画を担当していたのは副社長。
企画が終わると集客をはじめ来場の確約を取っていく。そこからは全て私の仕事だった。
与えられた目標値に対して、絶対に必要な人数を割り出しそれを必死に追う。
人数が集まると顧客一人一人に合わせ好みそうな商品を準備し、会場内での販売スタッフの動きやお客様の導線を考えシュミレーションを行う。
お客様の居心地の良い環境が出来ていなければ、お買い物などしていただける訳はないからだ。
当日を迎えると現場責任者の役割が待っている。
お客様のお出迎えから締結、スタッフの管理、おまけに自分の売上数字もそこに加算される。
私は入社以来ずっとトップの成績を収めてきた。
所謂、トップセールスだ。
事前準備を担当しているのだから必然的ではあったのだが、様々な準備を綿密に行い現場スタッフにバトンを渡すこと、責任者と言う重役、その力の源がトップセールスと言う肩書きにあった。
会社外の派遣販売スタッフが大勢入るようになっていたその頃、私の中でトップセールスでいる事は、会社の管理職の肩書きよりもとても重要なポジションを占めていた。
全国から来る宝石の販売を専門とするスタッフの頂点に君臨することは、それを束ねる者として絶対に必要なものだと思っていたからだ。
それが無くなれば、自分の価値が無くなるのではないかと言う不安さえ覚えていた。
それほどに、女同士、それも自分よりも何十歳も年上の経験豊富なスタッフを束ねることへの重圧を感じていたのだった。
それが今回、社長と言う権力が私の描いていたシナリオを狂わせた。個人の売上数字を見込んでいたお客様の接客を外されたからだ。
副社長に接客してもらったお客様の売上は、一緒に接客についた販売スタッフの数字になっていた。誰もが目の前の仕事に懸命に取り組んでいるのだからそれは当然のことだと、頭の中では理解しているつもりだ。

そんな中、展示会は顧客様方のおかげで無事目標値をクリアし幕を閉じた。
2010年12月その年最後の展示会…
この年、個人売上高のトップは私ではなかった。
8年間トップセールスに誇りを持ち続け、それを励みにしていた私の楽しみは消えた。
幸いにもトップに立ったのは一番信頼している販売スタッフだった。
救世主として登場したあの彼女だ。
私はそんな思いを悟られないよう、〝凄いね、頑張ったね〟と言った。
もちろんこれは本心からの言葉だ。
どんなに準備をしていても、お客様が〝買う〟と言う決断をされる事は簡単なことではない。
そこには、販売スタッフの努力が必ず必要となるからだ。しかも、何時もひたむきに仕事をする彼女の栄光を喜ばない訳はない。


結局のところ、私の涙の理由は自分の支えであった目的を果たせないことへの憤りと、不安が入り混じった感情だったのだ。
お客様の前で見せた涙は、張り詰めていた糸が緩んだからなんだと思う。
自分が一番欲していた言葉…
そう…
〝頑張ったね〟と言われた気がしたのだ。
社長に抱いた嫌悪感は、一番理解して欲しい人に理解されない虚しさから来るものだったのだろう。

それからもやるせない気持ちを抱えたまま時は過ぎ、新しい年を迎えこれまでと変わらぬ日々を過ごしていた。
そんな時、一瞬にして平穏な日々を崩壊させる出来事が起こる。
3月11日その悲劇は突然起こった。
東日本大震災だ…
私はこの時まで自分から見えるものだけを信じて疑わず、相手を理解しようとしていなかったことに気づかなかった。
自分が困難に遭遇した時、人はまた新たな〝気づき〟に出会うのかもしれない。

この時を迎えた私は、お客様の有難い言葉に含まれていたもの、社長や副社長に対する反発的な思い、そのどれもが自分から見えているものだけだった事に気づかされるのだった…


〜続く〜




百貨店を舞台に、出逢えたお客様に販売を通して教えてもらった数々の〝気づき〟による自身の成長記録と、歳を重ねた方々の生き方を綴っています。出会った順で更新していますので、私自身が少しずつ成長していく変化を楽しみながら百貨店の魅力も感じて頂けたら幸いです。 日曜日に更新します!