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中島みゆき『時代』

男ならば誰しも、イキっていた時代があると思う。

そのイキった姿が他者などの共同体に向けられれば、それは「不良少年」と呼ばれるし、
臆病で自分自身の中の物語で解決してしまうと、それは「中二病」と呼ばれるようになる。
私は後者だった。

高校生当時の私は、流行りの歌ではなくて、少し古い名曲と呼ばれるような曲を聴くことが美徳と思っていた。

その時、一番好きだった曲が、中島みゆきの「時代」だ。

私は高校の卒業文集の自由記述欄に、「時代」の歌詞をそのまま転写した。当時はそれが一番卒業文集にふさわさしいことだと思っていたし、一番粋だと思っていた。私の「中二病」という黒歴史の一幕だ。

今聴いてもこの歌が良い曲なのは間違いない。
だが、なぜ当時の私はハマってしまったのだろう。

改めて歌詞を見返してみる。

この歌は今日の良いことも、悪いことも、全て時代という、それらを全て包括する視点から描かれている。

当時の私は流行に流されることを恐れ、そんな流行に流される没個性な人間を醜いものと捉え、さらには、その上の「神」になりたいという意識があったのではないかと思う。その「神」と「時代」というのが同じ階層に存在していた。(これだから中二病というのは恐ろしい)

でも大人になってこの歌から高校生の時とは真逆な感想を抱くようになった。「時代」なんてものは真っ白な土地に最初からあるものではない。日々目の前のことを全うしている人間が時代を構築すると歌っているように感じた。
どんなに苦しいことがあったって人間は生き続ける。
この歌は人間を賛美する歌だ。そんな人間が結果として「時代」を作る。

令和と時代は変わっても、その時代の波に抗うことなく、飲まれることもなく、目の前の人生を全うしたい。時代は既成のものではなく、私たち人間の一歩一歩が築いた結果に過ぎない。

改めて思う。良い歌だ。


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