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ことばの意味の反転についていろいろ

高校生のころに、英語の「rent」という単語が「貸す」「借りる」両方の意味でつかわれることを知って、なんという欠陥言語だろうと衝撃を受けたことを覚えています。

  • I will rent a room to my cousin.
    (私はいとこに部屋を貸すつもりだ)

  • I will rent a room from my cousin.
    (私はいとこから部屋を借りるつもりだ)

「貸す」を意味する際には「rent out」を使うことで意味を明確にすることのほうが多いようですが。

  • I will rent out a room to my cousin.
    (私はいとこに部屋を貸すつもりだ)

最近知ったのですが、こういう「同じ単語が全く逆の意味を持つ」ものを「contronym または contranym(自己対義語)」というそうです。

Wiktionaryに英語のcontronymの例がたくさん載っていますが、もともと悪い意味だった単語が、俗語としていい意味でつかわれるようになったものが散見されるように思います。

  • bad: 一般的には「悪い」、俗語では「とても良い」

  • ill, sick: いずれも一般的には「病気だ」、俗語では「とても良い」

  • wicked: 一般的には「邪悪な」、俗語では「最高」

このパターンは日本語でもよく見られて、「ヤバい」「にくい」「えぐい」などが最も一般的なものだと思います。「あまりにも良すぎるせいで、頭がおかしくなる(ヤバくなる)」というようなところから意味が反転したのでしょうか。
ごく最近使われるようになった日本語のcontronymとしては「しんどい」「かわいそう」があるように思います。自分の「推し」に対する愛が強すぎて精神力を消費する=「しんどい」、「推し」から過剰なファンサを受けた人の精神力が消費した=「かわいそう」ということなのでしょう。

contronymとは似て非なる話として、「昔はいい意味(悪い意味)でつかわれていた言葉が、今は悪い意味(いい意味)でつかわれる」ような単語というものがあります。一番有名なのは「絆」でしょう。
今では「絆」というと「ポジティブな意味における人と人との結びつき」くらいな意味でつかわれていますが、かつては「離れることができずに自らを縛り付けるような人との結びつき」を意味していました。たとえば、サマセット・モームの「人間の絆」は原題が「Of Human Bondage」であることから、「絆」は良い意味でつかわれていないことがわかります。最近の翻訳では「人間のしがらみ」というタイトルになっているそうですが、こちらのほうが確かにしっくりくるでしょう。

最近「蒼ざめた馬」「漆黒の馬」という二つの小説を読みました。20世紀初頭のロシア社会革命党(エスエル)においてテロリストとして活動したボリス・サヴィンコフ(筆名ロープシン)による小説作品です。「蒼ざめた馬」の帯には

「蒼ざめた馬」の帯

と書かれていました。今では「テロ」は「ナチス」という言葉と同じくらいの zero tolerance な単語だと思いますが、この邦訳が出版された1967年には必ずしもそうではなかったのでしょう。評論家である平野謙はこの本の解説文で「革命的ロマンティシズム」という言葉を使って、この本の主題を

愛とテロリズム(殺人)との二律背反

と述べています。平安時代には、

故先帝の御末の世に、中納言の御息所の御腹に、類なくうつくしき女宮の生まれたまへりしを、今さらの絆を心苦しうおぼしはぐくみし程に

亡くなった先代の帝の治世の末期に、中納言の御息所からこの上なく美しい女の子が生まれたのを、晩年の今になって生まれた子がかわいくて出家の妨げとなることを不憫に思いながら育てるうちに

狭衣物語

というような感じで愛情を出家の妨げと考える価値観がよく出てきますが、「蒼ざめた馬」「漆黒の馬」では愛情がテロリズムという求道に対する妨げと考えられているようです。(ここでも「絆」=「ほだし」が悪い意味でつかわれていますが。)

当時はまだ学生による左翼運動が盛んで、ソ連をはじめとした共産主義に対しても幻滅が広がっていなかったため、「テロリズム」も場合によっては正当化されるという空気が残っていたのかもしれません。
私の記憶では、ジョージ・W・ブッシュ大統領が9.11同時多発テロののちに「テロとの戦い」を宣言して以降、「テロ」=「無条件の悪」という空気が広まったように思っています(間違っているかもしれませんが)。

時代の流れにより、ある単語に良い意味または悪い意味が新たに定着されるということは、これ以外にもたくさんあるように思います。たとえば、「百姓」という単語は比較的フラットに「農業をする人」という意味でつかわれていたのですが、侮蔑的な意味があるとのことで放送禁止用語となってしまいました。「Queer」はもともとは「変な人」という良くない意味だったのが、いまでは性的マイノリティの方によりポジティブな自称として使われています。そういえば、「オタク」という言葉も、宮崎勤事件のころは近寄ってはダメな人というイメージだったのが、いまではだいぶんポジティブな意味が付与されたように思います。

この種の意味の反転が起きた単語をまとめていけば、時代による価値観の変化を追うみたいなことも可能だと思うのですが、かなり面倒なので誰もやらないでしょうね…。


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