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映画『アボカドの固さ』に見るありふれた日常の面白さ

 映画『アボカドの固さ』を見てきた。長年付き合った恋人との突然の別れに始まり、傷心の中での仲間との関係、復縁を期待しながらの元カノとの関係など、主人公の男性を中心にした若者の日常が描かれる作品。

 これがね、バリー・レビンソン監督の『ダイナー』みたく、若者の日々のありふれた出来事を、会話を中心に追いかけるようなつくりでね。何か劇的な事件が起こるわけではないけれど、いつまでも見ていたくなるような映画だった。こういう日本映画って、ありそうでなかったと思う。うまく説明できないけど、私はこの映画のこういうところが好きだ!ってのを、ちょっと書いておこうと思う。

 一部ネタバレも含めて書くつもりなので、映画を観た後で読んでほしいけど、「うちの近所で『アボカドの固さ』上映してない! でも、みえ氏のタワゴトは読んでみたい!」なんて奇特な方もいらっしゃるかもしれないので、いちおう「ここからネタバレ」というのがわかるようには書くつもり。

(2020/10/25追記)2回目を見てきたら、1回目はちゃんと見ていなくて勘違いしていたと判明したので、その部分を追記。

映画『アボカドの固さ』公式サイト
https://avokatas.com/

不意の別れ

 まずね、予告編にもあったけど、主人公の前原瑞樹が恋人の「しみちゃん」こと清水緑に突然別れを切り出される。自分では、何の問題もなく良好な関係が続いていると思っていたのに、彼女の心はすっかり離れていたこの感じ、すごくわかる。別れ話になるなんて晴天の霹靂で、内心すごく動揺しているし、もちろんすぐには受け入れられない。でも、すでに心の離れた彼女は冷静だし、唐突に別れを切り出されたからといって、たぶん普通の20代男性は泣き叫んだりもしない。

 だから映画としては淡々と描かれているように見えるかもしれないけれど、この感じが私はすごく好き。傍から見たら劇的なことが起こっているようには見えないだろうし、ドラマチックに盛り上げる感じでもないけれど、劇的に動揺している内面がつぶさにわかるこの感じがね、大好き。

仲間との飲み会

 5年も付き合った彼女との予想もしなかった別れのあと、失恋の愚痴を聞いてもらおうとする仲間との飲み会。これもすごく好き。まず、主人公の態度の違いがいい。しみちゃんと会話するときの優しげな感じと、仲間内で話をするときの少し元気で勢いのある感じ。

 男性は誰しも、好きな女性の前での態度と男性同士の仲間内での態度が違うものだと私は思っている。もちろんこれは女性にも言えることだと思うけど、男性の場合、好きな女性の前では少しデレっとするあまり、優しげというか頼りなげというか、そんな雰囲気になる気がする。そういうところがね、別れを切り出されるまでのしみちゃんとの会話と、その後の仲間との飲み会の場面でね、ちゃんと出ているのがすごくいい。

 仲間内の飲み会での会話もね、すごく好き。なんてことのない会話だけど、その掛け合いというかテンポというか、私はずっと見ていたくなる心地よさがある。

感情の温度差

 しみちゃんは戻ってこないけど、仲間の後輩は女の子との出会いもあって楽しそう。家に帰って家具を組み立てようとしたら、六角穴付ボルトは思うように締まらない。なんだかいろいろうまくいかないし、孤独だし、と思っていても、姉からは「あんたのどこが孤独よ?」みたいに言われ、ますます虫の居所が悪くなる。この感じも、すごく好き。

 自分ではいろいろと行き詰まってどうしようもなくて、でも他人との温度差は確実にあって、勝手に機嫌を損ねて相手と衝突したり、八つ当たりしてみたり。必ずしも大喧嘩になるわけではないけれど(大喧嘩になるときもあるけれど)、ちょっとした感情の違いや、そのときの自分と他人に見えているものの違いからくる温度差が原因で他者とぶつかる感じが、すごくいい。

 あれがいい、これが好き、と書きながら、映画のストーリーを事細かに全部書いてしまいそうなので、これくらいにしておこうと思う。とにかく最初から最後まで、ありふれた日常が、さほど起伏なく描かれているように見えて、その実、すべての場面でちょっとした感情がとても豊かに描かれている。『アボカドの固さ』の、そういうところが私はたまらなく好き。

会話の妙と、ちょっとした喜劇

 どうしようもない悲劇や苦しさとか生きづらさとか、そういうものを描いた素晴らしい日本映画はたくさんあると思うけれど、劇的な何かが起こるでもないちょっとした日常の素晴らしさを、会話の妙で見せる日本映画って、意外となかったように思う。

 会話ベースの喜劇、これを飽きさせずに見せるのって、実はすごく難しい所業だと私は思っている。張り裂けんばかりの感情があふれる悲劇なんかより、とるに足らないような喜劇のほうが、映画として成立させるのはよっぽど難しいんじゃないかと思う。そんな、会話の妙で見せるちょっとした喜劇が見事に成立しているのが、『アボカドの固さ』じゃないかと思う。

ラストのこと(ネタバレ)

 最後に、ラストに私が思ったこと、たぶんどうでもいいことだけど、書いておく。たぶんネタバレなので、未見の方はここで離脱してくださいな。

 映画の中盤で、うまく組み立てられなかった椅子。たぶん組立用に付属していたL字型の六角レンチで、六角穴付きボルトがうまく締められず、工具を探してみたものの見つからず、そのままにしていた組立途中の家具。中盤では、L字型の六角レンチの長手部分をさしこんで、うまくボルトを回せずにいたのが、ラストでは短いほうが六角の穴にささっていた。それでうまく回せて、椅子が組み上がって、幸せそうに座る姿で終わる。いろいろ思うようにいかないこともあるけど、ささやかな幸せを感じる場面で、すごく好き。

 きっと、「本当の孤独なんて知らないくせに」みたいに言っていたお姉さんが、L字型の六角レンチをさしかえてくれたんだろうな。主人公は気づいているのかどうかわからないけど、やっぱりちっとも孤独じゃなくて、幸せなヤツだなあ、って思いつつ…

 どうでもいいことだけど、ここで私が思っていたのは、中盤でうまく締まらなかったボルトがうまく回せたからって、そんなにひとつのボルトだけギュウギュウに締めちゃだめ!ってこと。全部を均等に軽く締めて、最後は対角線状に順番に均等に締め付けていくもんだからね、ボルト締結のある組立作業なんて。特に椅子なんて、軽く締めた時点で平行に置いてトントンってやりながら均等に締めていかないと、完成したときに脚がガタつくんだから! いろんなものを試作して組み立てて、なんてことをやっていた時期もある私としては、そんなどうでもいいことが気になって仕方なかった。

 でもまあ、L字型の六角レンチの使い方もろくにわかっていなかった主人公が、そんなこと知るはずもないもんね。そのうち椅子の脚のがたつきが気になってくるかもしれないけど、とりあえず今は椅子が完成して幸せに座ってるんだから、いいよね。

 こんなことを思いながら、なんとなく自分の弟のことを思い出していた。私があのお姉さんに近くて、私の弟があの主人公に近いような気がしてね。いろいろ自分でやっちゃう姉と、その姉にいろいろ助けてもらっている弟、みたいな。映画は、本当のところはどうなのかわからないけど、なんとなくそんな気がした。そして、とても幸せな気分で映画館を後にした。

(2020/10/25追記)2回目、よく見たらL字型の六角レンチは映画の中盤で組み立てを中断したときのまま、長手部分をボルトの頭にさしていたのを、主人公が自分で持ち替えていた。だから、お姉さんは無関係で、自ら成長を遂げたってことよね。小さなことだけど、少し成長して、自分で完成させた椅子に座って、自分で作ったカップ麺を食べて、やっぱり幸せだと思った。アボカドは熟しすぎて使えなかったけど。でも、いいよね。2回目も、やっぱり幸せな気分で映画館を後にした。

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