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NFLハーフタイムショーに寄せて。もし、このショーがある国に、私が生まれていたら。

NYは朝から雪で、すっかり忘れていてたのだが、今日は「スーパーボール」の日だった。

スーパーボールとは米国プロ・フットボール・リーグNFLの優勝決定戦で、その休憩時間「ハーフタイム」には豪華なショーが行われるのが恒例。今年もSNSではたくさんの方がその動画をシェアしたり、感想を投稿していた。私のハーフタイムショーお気に入りは、もうずーっと前の動画だけれどやはり、マイケル・ジャクソンのこれ! 

これらの動画を見るチャンスがあるといつも思うのだ。

わたしがもしアメリカに生まれた子どもで、これを「自分の国の出来事」として見ていたら、どんな大人になっていただろうな、と。

子どもの可能性はすごい。それを潰さないようにするだけで、教育は十分。

今は音楽家の私だけれど、進学したのは上智大学の教育学科だった。高校生の頃から私は、みんなが幸せになる社会を作りたいと思っていて「未来を作るのは教育だ」とある時に気づいたから教育学科を選んだ。

リクルートに行ってからも音楽家になってからも、私のこころはいつも「人」にあり、教育活動をずっと続けている。中学・高校大学でも講演したし、大人へのコーチングもずっとしてきて、最近気づいたのは

子どもの時に持っていた才能を、大人は人生のどこかの段階で潰している

ということだ。

多分私たちは、才能と希望と愛と興味をいっぱいに満たして、おぎゃーと生まれてくるのだ。

その時抱えていた才能と愛と希望と興味の活き活きしたカラフルなブーケのようなものを、成長する途中で、複雑怪奇な仕組みの社会や不安に怯えたおとなが摘んでいく。

枯れかけた自分に気づいて、水をやったり種を取って植え直したり、色んな手術をして。なんとか笑顔で生きられるように工夫して私達は大人になっているのだけれど、生まれた時に持っていた花束は、見るも無残な形になっていることが多いと感じている。

10代の頃、「私はここには行けない」とグラミー賞の授賞式を見て泣いた

10代の頃、Quincy Jonesがアルバムを出して、家電メーカーHITACHIがなんと、彼をCMに起用し、同アルバム内のTomorrowという曲をCMで使った。このアルバムは大ヒットし、この音にしびれた茨城の田舎の中学生みぎわまでが、アルバムを購入。その中に「Birdland(バードランド)」という曲が収められており、面白いイントロが付けられていた。このイントロに、私は衝撃を受けた!

なんとも形容できないカッコいいものが、どんどん出てくる!
これは、なんだ?!

ライナーノーツを一生懸命読んで勉強すると、これは、バードランドというNYのジャズ・クラブで実際に演奏された有名な演奏家の名演らしかった。短く切って、組み合わせて、曲にしたものだという。

ある日、グラミー賞式典の中継があった。確かこの時にQuincy Jonesがこのアルバム関連で、出ていたのだと思う。TVを見ていた私は、突然、大粒の涙が吹き出して全然止まらなくなったのを感じて、急いで一番奥の部屋に駆け込んだ。

遠すぎる。私と、この素晴らしい音楽が遠すぎる。私は、その「遠さ」にクラクラした。とってもカッコいいもの、こんなにカッコいいものを知った、けれども、このカッコいいものと、私の距離が遠すぎる。なんとも説明のできない絶望感で一杯になって、ガクガクするぐらい悲しかった。

家族に心配されるだろうと思ったから、一生懸命隠れて泣いた。私は、まだ何も分かっていない中学生だったけれど、この「衝撃的にかっこいい」と感じた音楽と、茨城の田舎に生まれた普通の女の子である自分の間に、埋められない巨大な溝があると感じたのだった。

社会の空気感によって、私の夢は「ピアノの先生」に

私は空気が読めすぎたのだと思う。

実は幼稚園の頃、私の夢は作曲家、だった。私がもしそれを貫けば、父も母も全力で応援してくれたことと思うが、私は自分の夢を忘れていった。

田舎の幼稚園で私が作曲家になりたい、と言った時、先生たちは「この子は頭がおかしいのかしら」という目で私を見た。小学生になる頃には、私は社会の空気を読んでおり「ピアノの先生と言えば誰も疑問を持たない」と気づいていた。そして夢をピアノの先生にすげかえ「それが自分の一番やりたいことだ」と思い込むことに、すでに成功してしまっていた。

音大に行くと決めたら音楽の勉強しかできなくなり、他の教科を楽しむことができなくなると知って、私の気持ちは余計音大コースから遠のいた。音楽の才能を見抜いてくれていた母が、音大コースに行かなくて良いの?と確認してくれて「私は社会も国語も算数も理科も勉強したいから、行かない」と伝えた幼い日のことを、なんとなくまだ覚えている。

スケールの大きな舞台がたくさんあるアメリカ

人生で「良かったと思うこと」を選ぶとしたら、その一つに私は「変人で良かった」を入れる。私は本当に、変人で良かった。他の人の言うことを気にしすぎない、はなっぱしの強さがある。周囲の方はきっと私と付き合うのが大変だと思うけれども、私はそのおかげで今幸せだ。

幼稚園の時になりたかった「作曲家」が本当にやりたいことだと気づいてリクルートの楽しかった仕事を辞めたのが30歳。NYに来たのが38歳。上記のBirdlandの舞台に立って自分の作った曲を演奏したのが44歳くらいだ。奥の部屋に駆け込んで泣いたのは多分14歳くらいだから30年経っている。

30年の遠回り。上智大学は素晴らしい学校だったし、リクルートは本当に面白い会社だったし、Vanguard Jazz Orchestraに出会ってNYに引っ越して来るというドラマチックな人生の展開を誇りに思うし、後悔はひとつもない。

だけどやっぱり、時々思う。

スケールの大きな舞台がたくさんあるアメリカに生まれて、当たり前のように大きなショーを英語ネイティブのアメリカ人として見て、アメリカの、個性を伸ばす教育を受けていたら、私はどうなっていただろうな?と。

去年初めてリンカーンセンターのステージに出た時、1000席あるこの会場のスタッフの方々の仕事の素晴らしさに驚いた。大きなステージが多い国だし、NYは特に大規模な催しが多いので、ステージ専門のスタッフがたくさんいて、プロ度がやはり、違う。

美しい照明は照明専門のエンジニアさんが担当していて、音声担当は、私が挨拶できただけでも4人はいた。私の後ろに映像を写す担当者は3-4人いて、それ以外にステージマネージャーも数人いて、全員で何度もテストを繰り返して、映像がきれいに流せることを確認してくれた。
屋外なのにピアノはフルコンで、当たり前だけれど調律も調整も最高のコンディションにされており、屋外にありがちな音の不具合が一つもなかった。私からサウンド・エンジニアさんまでの距離は近くて、いつでも希望が伝えられる素晴らしい環境だった。

私のパートナーのElio Villafranca (エリオ・ビジャフランカ)がグラミー賞にノミネートされて一緒に式典に出席したときには、豪華なショーをノミネート者専用の席から生で見た。ミシェル・オバマさんがゲストで登場したその年の式典は女性アーティストをフィーチャーした作りになっていて、私はその時もつくづく思った。

これを、子どもの時に「自分の国の出来事」として見ていたら、私は、どんな大人になっただろうな?と。ステージ上の女性たちだって、最初はただの女の赤ちゃんだったんだよな、と。

子どもを枠に入れないで。伸びたがっている自分の芽を大人は思い出して。

この投稿を読んでくださって、なにか感じるところがあったなら、お願いしたい。

あなたの周りの子どもを、狭い小さい枠に入れないでほしい。
あなたの周りの若い才能を、受験だとか、テストだとか、そんなもので測らないでほしい。

あなたが大人なら、あなたは自分を、それらで測らないで。
伸びたがっている自分の芽を、いつも感じようとしながら生きてほしい。

アメリカは問題だらけの国で、アメリカに生まれれば良いというわけではない。だけどもし、映画などで見るように生まれ変わりが本当にあって、私のこの人生の次にも新しい人生があるのなら、次は音楽家としての自分の未来を描きやすい国で生まれさせてもらえたら楽しいのかもしれない。

個性を潰す国に生まれたのに、父と母と二人の妹は、私をいつも全身全霊で応援してくれたから(そして今も応援してくれているから)父と母と妹たちは必ず一緒の生まれ変わりで、それとパートナーのエリオも一緒で、それから甥っ子姪っ子も一緒の生まれ変わりで … と、想像したらお願いばかりになってしまって、結局私は、今の人生をとても幸せだと思っているのかもしれない。それでもやっぱり、どんな未来になっていたのか、ちょっと見てみたかった気がするなあ!!


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