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ドタバタ新卒日記。その2~入社半年で倒産したとしたら~

◆前回のあらすじ

福岡のド田舎からキャリアウーマンを目指して上京してきた私、片山。
会社員が皆無な家系からOLが生まれ、バリバリの新規開拓営業で
「仕事、面白いじゃん!!!」と思っていた矢先、集められた夕会で伝えられた事とは…??

◆エイプリルフールかと思ったハロウィーンの夜

半年の会社員生活の中でも、その日は本当に本当に本当に本当にテンションが高く、朝からルンルンで出社していました。
というのも、その日は上京1年目の私にとって、『渋谷ハロウィーンに行く』というミッションがあり、さらには友人と共同開催でにハロウィンパーティーも企画していたからです。

何のコスプレするー?と数週間前から友人らと一緒にワクワクしていましたし、営業マンとしても大手企業の案件をライバル企業から勝ち取り、大口の案件決まったー!と上司に報告しようとケータイを開いた京急電車の中。

上司「片山、早く帰ってこい!」
同期「お前が来ないと夕会が始まらないから早くー!」

当時、毎日朝会はありましたが、夕会はなく、業務が終わった人から「お疲れ様でした~」と帰宅してもOKな会社だったので
「何故、このタイミングで?」と半分疑問もありながらも、半分納得もしながらの帰路でした。
というのも、夏の終わりあたりから「社内の事業部がそれぞれ分社化するのでは?」という噂が立っており、分社化=海外への異動あるかも?という一握りの希望と、上層部の人事異動の異様な速さから脳裏に一瞬、絶望的な二文字(倒?産?)がよぎりましたが、「いやいやまさかそんな事はないだろう(笑)」と誤魔化しながら帰社したところ、


『皆さんにお伝えする事があります。
弊社の国内事業部は本日をもって、縮小することになりました。』


◆衝撃、ただその兆しは確かにあった

専務から伝えられたその一言に同期も先輩らも、何も言えず。
恐らく専務の口からは「力不足で申し訳ないー…」等があったと思いますが、私の記憶にはほぼありません。
思い出せるのは焦り、怒り、恐れ、そして無でした。

何故なら全営業マン中、9割が都内を担当する中、私だけが唯一、都内ではなく横浜市を受け持っていた関係から「私が一番先に首を切られるのでは???!」と焦りしかありませんでした。
(数字がどれくらいかは忘れましたが、営業トップではなかったのと、マーケット規模でいうとやはり都内の方が大きく、クビになる可能性が大いにあると感じていたからです。)
同時に、「やっぱりな、、」という怒りもありました。
というのも、兆しがあったことは入社当初から間違いなく、
・入社と同時に社長の入れ替え
・会長によるトップダウンな経営方針
・頼りにしていた営業本部長の突然の転職
・入社時の副社長が社長に昇進したものの、営業不振を理由に2人目も辞任
・その後釜としてグループ会社の専務が異動し、しまいには新卒相手に「どうやったら業績が上がると思う?」と意見を求められる。
(今思っても、新卒にまでそんな話が落ちてくる程、当時の専務含め上層部は焦りに焦っていたのだと感じます。)

こうやって文字にすると、今思えば「そりゃそうだわ」とも思います(笑)
ただ当時は本当に脳内がお花畑だった事と両親からの「自営業と違って、会社員は安定だから」の言葉をまるっと私自身も信じて込んでいたのです。

◆衝撃の告知を受けて…

場面を戻して、10月31日18時頃。
専務からの宣告に同期も先輩も言葉も何も出ませんでした。
特に私が覚えているのは30過ぎの先輩方。
直属の上司は第一子が生まれたばかり、他にも家を立て始めていた先輩もいて、守るべき存在がいた先輩方の顔の強張りようは今でも鮮明に思い出せます。
良く言えば”まだ”新卒だった私達は「自分の事」だけを考えれば良かったので、衝撃の告知を受けて
「どうしよう…」
「転職しなきゃ…」
「親に相談しなきゃ…」
などなど、頭の中をぐるぐる色々な思いが巡っていたかと思います。

この時の自分を今でも本当に心から褒めてあげたいなと思うのですが、この危機的な状況で私は
『事業縮小も大変だけど、わたしハロウィンパーティーの幹事やんなきゃなんだわ!!!!!早く帰るね!!!!じゃ!!!!』
と、しんみりした社内から逃げるようにいち早く退社しました(笑)

我ながら本当に人って危機的な状況になると面白い事を考えるんだなと思いますが、当時の私にとってはこの出来事は最高にラッキー☆だったのです。
(ちなみにハロウィンパーティーは大成功!その後は渋谷のスクランブル交差点で知り合いに会うたびに「弊社、倒産したっス!」とヤケ酒した記憶です(笑))

◆縮小から倒産へ。準備が10割、だと体感!!

ヤケ酒しまくり二日酔い状態で出社した11月1日の朝。
社内では事業縮小というワードが出社したら、「国内事業部は閉鎖します。」と文言が変わっていました。
昨日までは100が30になる、みたいな話だったのに、寝て起きたら
まさかの100が0になっていて、朝から多くの社員が上層部に
「どういう事ですか??!」と詰め寄っていましたが、告げられたのは
『転職するか、グループ会社に異動希望するか、ここ数日の内に結論を出しておいてください。』の一言のみ。
同期らや先輩が「どうする?」と焦りにながら相談している中、一方片山は「転職します!」とルンルンで専務との面接時に話したので、当時の専務からは『片山くんはもう次が決まっているのかい?』と不思議がられたのを覚えています。

今思えばその結果の原因はいくつかありまして、

原因その① 相談するオトナを間違えなかった(メンターを決める)
過去記事にしましたが私は上京する前から、人とのつながりを大切にしよう、と私なりに最大限行動してきました。
今この瞬間ではないかもしれない何かがあった時に、「人」が運んでくる「情報」に価値を感じていましたし、どれだけ自分のリソースを増やすか?に注力していました。
その時に相談させてもらったのは社内の先輩ではなく、「自分の人生、自分で面白くするぞ!」と未来志向でポジティブな先輩方でした。
クビを切られるかもしれない、という同じステージの人ではなく、【自分がカッコいいな、将来はこんなオトナになりたいな】という人、自分にとってはメンターに相談したのが本当に良かったです。
その人生の先輩には倒産の報告をした時に開口一番、
『やったね!給料を上げれるチャンスだね!』
と言われ、「いや、そうなんですよ〜やばくて、って、え?」と、同情してもらえると思っていた私は大きく拍子抜けし、同時に「確かに、これはチャンスかもしれない」と捉えられました。

事情縮小した(倒産)
=『やったね!給料を上げれるチャンスだね!』
↓「た、たしかに!!」
会社都合で転職できる
=失業手当がもらえて社会的にも悪い影響なく転職活動できる!!!

「え!?大丈夫??!」と心配されるのかと思っていた私は大きなギャップを感じつつ、同時に上記の様に生産的な方程式が脳内で出来上がりました。
もし相談先を同じステージにいた社内の人にしていたら、こんなにも前向きで生産的な回答には行き着かず、ずーーーんと落ち込んだままだったと思います。

原因その②「いつかは転職するだろうなあ」とキャリアプランをぼんやりとだが、考えていた
学生時代に『ライフシフト』や『金持ち父さん貧乏父さん』『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』『7つの習慣』『人を動かす』などなど、ベストセラーと呼ばれるものに目を通してきていたので、「入社した会社を勤め上げる」ではなく、「キャリアプランに合わせて、転職や引っ越しはあるもの」と認識していました。
実家の飲食店でも、留学先でも、ずっと会社員を頑張って専務になったり、自営業を極めて成功していたり、業界が全く違う分野に飛び込んでいく人がいたり、逆に自分の生き方に素直に行動していたり、とたくさんのオトナと話すことで人生の前例を見せてもらっていたので、「現状維持はありえない。逆に現状維持にも成長するにも努力が必要。」という感覚がありました。
良くなるか、悪くなるのか、どっちかしかないな、と。
当時の私なりには「これからどうしていこう?」は永遠のテーマで、そのヒントになるような読書や人の輪を広げる事は本当にしてきて良かったなと思います。

原因その③社内にロールモデルがいなかったので元々環境を変えたかった
ぶっちゃけ、入社2ヶ月目で転職を考えていたのもあります(笑)
「仕事もプライベートも全部取りなカッコいいお母さん」になりたい!!と思って、九州から上京し、東京になら自分が理想とする人がいるだろう、と求めて入社していました。
1社目はバチバチに営業マンに囲まれてはいましたが、女性で結果を出している人は皆無。理想だなと思えるロールモデルを入社2ヶ月目にして探していました。

<倒産してもすぐに行動できた原因>
原因その① 相談するオトナを間違えなかった(メンターを決める)
原因その②「いつかは転職するだろうなあ」とキャリアプランをぼんやりとだが、考えていた
原因その③社内にロールモデルがいなかったので元々環境を変えたかった

◆この経験から学んだこと

当時すぐに行動に移せたのはこれらの原因があったと思います。
全てに共通するのは「準備、大切!」
生きているだけでも人生、色々なイベントやハプニングがあります。
(異動、転職、結婚、離婚、出産、、、)
その場面になって「何も考えていなかったー!」となるのは、
『夏休みの宿題があると分かっていても、何の対策もしていない8月31日と同じだよね』とメンターに言っていただいた事を思い出しました。

「自営業と違って、会社員は安定だから」
両親のこの言葉は、今思えば時代錯誤だったのだと気付けますが
社会人1年目で親の言う事を聞いてきた身からしたら
まるっとそのまま内容を確かめようともせず、盲信して、両親のせいにしていたのだと思います。

社会人になって「会社が倒産する」という経験から学んだのは、

・従業員という働き方は安定していない
・安定したいなら、どんな経済状況に置かれても成果や結果を出せるような自力をつける必要がある
・世の中にはたくさんの働き方がある、たくさんの生き方がある
・影響を受ける人(メンター)を決めておくとブレないで凹まない
・分からない=怖い、と拒否するのではなく、自分の目で確かめていこう(百聞は一見にしかず)

◆倒産話を書こうと思った理由

長々と書かせていただきました、本シリーズ。
というのも片山個人のたくさんの想いがあります。
何か一歩踏み出そうとしているわくわくな人、正直ビビって一歩踏み出せない人、目の前も将来も見えない人、逆にビジョンが明確な人、どんな人にも何かの気付きがあれれば、読んでいただいた皆さんに貢献できればと思っています。
社会人1年目の波瀾万丈な事件があって、たくさんの人に助けられ、気付かされてきたからこそ、そのお返しをできればと、私の事業や行動で社会貢献していくのが私の人生の目的です。
若輩者ですが、あなたの背中を押せるnoteを今後も書き続けます。

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