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【あれから14年】3.11を生で見て

東日本大震災から14年が経ちます。地震が起きてから初めて、震災の被害が大きかった街を見に行きました。見せたい写真がたくさんある。ただ、人によって見たい、そうではないって人がいると思うから、1番最後にまとめて載せる。けど、その前に当時のことを書く。

ぼくは当時小学校6年生でした。今は北海道に住んでるけど、当時は横浜市にいました。この日は忘れもしない。
6年生になって初めて風邪をひいた。しかも卒業式1週間前に。卒業式が控えてるってのもそうだし、2日後に通ってたソフトボールチームでの送別会があるから、大事を取って休むことにした。だから、2011年3月11日は家にいた。
そして、ぐっすりと寝てたら急に揺れた。震度5強。もちろん人生で1番大きく揺れたし、これ以上揺れる体験をまだしたことがない。2回の本が倒れる音がした。とんでもないやつが来たぞと。
当時は震源地が自宅ではないかと思うくらいには揺れた。
ただ、震源地はあるか遠く。行ったことのない宮城県、岩手県など、東北で大きな地震があったとのこと。とりあえずテレビをつけようって。つけてみたら、どこもかしこも地震の報道。揺れるし、ものは倒れるし。自宅が受けた被害とか比にならない。そして、もっと衝撃的なものを見てしまう。

「津波」

初めて海のことを怖いって思った。ぼくは海の近くには住んでいなかったが、横浜市の中心である、横浜駅、みなとみらいは海に近い。これらが流されたら。なんて思ったら、怖くて仕方がなかった。
幸い、ぼくは地震が起きた時には母がいたので、1人じゃなかった。ただ、地震が起きて1時間とか。親が学校に通ってる妹を迎えに行くとのことで家から出て行った。ただ、なかなか帰ってこない。余震は続く。自分1人。小6ながら怖かった。めちゃめちゃ泣いてたし、熱も上がって行った。家を出てから1時間半後。やっと帰ってきた。妹も怖かったみたい。けど、学校で友だちと一緒に入れたから良かったって。
ちなみに、ソフトボールの送別会は無事行われた。熱はあったけど、参加しないと後悔すると思い、気合いで行った。そして、バットを振ったら熱も場外に消えて行った。ボールは、バットの後ろに構えてるミットに入っちゃったけど。

そんなわけで、ずっと見たかった景色を見に行った。

まずは、生きてるうちに見れて良かったなって。テレビで見たことあるものではあったが、現地で見るからこそ、リアルを知れるし、色々考えられる。写真、映像って偉大だ。パシャリと撮ってしまえば、捨てない限りは永遠に見れる。背景、色、人の顔。じっくり見て、当時何を思ってたのかを推測する。

現地の地形。陸前高田、気仙沼、南三陸。どれも海は美しいし、すぐ近くには山がある。360°見渡せる自然は本当に美しい。毎日こんな景色が見れるなんて素敵。なんて思ったけど、自然って偉大だけど、まれに悪いやつになる。とんでもない悪いやつ。こんな素敵な自然によって、多くの人に影響を与える被害が生まれるなんて。綺麗だからこそ、衝撃だった。

津波。所々に津波の位置(ここまできたよ。みたいなもの)が書かれてる。あまりにも高い。メディアでは、上から写真を撮ってるのもあって、「こんなに高いんだ」って実感するのは難しいと思う。だからこそ、現地で行って、3次元空間で見ることで、津波の凄まじさを感じることができると思う。こんなに高い位置に来るなんて。あり得ないし、嘘だと思いたいけど、本当なんだ。本当にびっくりした。

あとは町。

まずは、震災前。それはもう、どこの街でもそうだけど、とっても素敵だ。人が笑顔で、街も家があって、お店があって、その中を自然が囲んでいて、これが「全壊」される景色なんて想像もできないくらいに素敵だった。

そして、震災直後。1日でめちゃくちゃに。映像をきちんと見ると、地震そのものの被害は小さいように見えた。よく考えると、これってものすごいことだと思う。震度6前後に耐えられる耐震構造。さすが日本だなって。
ただ、それを超えてくるものがある。津波。津波に勝てるものはいないと思う。だって、家、車、船。全部流されるんだもん。こんなに威力あるんだ。って。衝撃的だった。ちなみに、今回のサムネイルにある木は、津波に耐えた「唯一の木」らしい。本当に強い。こんな芯のある人間になりたい。
津波による2次被害がトドメを指す。火災。押し寄せた津波が海に引き戻される。これによってたった1日で、街がガラクタだらけになってしまった。果たして、いつになったらこの街が元通りになるとか。1日でも早く、1人残らず、救える日が来るのだろうか。

そしてここに繋がるのが「働く」ということ。
驚いたのが、ガラクタまみれになってしまった街を再生した人がいる。消防士、自衛隊、お医者さん、ボランティアなど。たくさんの人によって、少しずつ、少しずつ。元に戻していく。場所によっては、「復興」によって新しい街が創り上げられたところもある。被害直後の写真を見ると「これを元に戻すなんてできるのだろうか」って思うけど、人間が「働く」ことで実現した。人々の笑顔を少しずつ取り戻すことができた。すごいなと思うと共に、込み上げるものがあった。

これに重ねて。福岡に行った時に聞いた言葉。大切にしてる言葉を思い出す。

「仕事ってのは、アンパンマン。アンパンマンはお腹が空いて困った人にあんぱんを上げる。ただ、これをずっとしていると顔のパンがなくなっていく。そんな状況を救うのがジャムおじさん。人々は助け合いで生きている様子を表してるものだと思うんだ」

まさにこれだなって思った。責任、使命。色んな思いがあるだろうけど、考えられないパワーを合わせて、目指してるものを実現させ、みんなを喜ばせる。

なんかこれ見てたら、仕事に対してネガティブな感情なんて思っちゃいけないなって。「楽な仕事したい」「福利厚生が」「お金稼ぎたい」とか。これをモチベーションに生きることも大切だし、全部がダメだとは思わないけど。現地で見て、「働く」ことについて考えがアップデートされた気がしたので、GW明け。新しい気持ちで挑みたいなって思った。

そんなこんなで、新しい1日が始まった。GWもあと少し。今回の旅では色んなものが見れてものすごく満足してる。もっと色んな景色みたいな。ってことで、現地で撮った写真と共に終わりです。

ありがとうございました!

見かけたので降りてみた
あまりにも高い
部屋の中、1つ1つもみれた。ここまでリアルに残してるのはすごいと思う
4階までが津波の被害。これを見ると、地震よりも津波の被害の方が凄まじいものであることがわかる
自然は偉大。だか、とっても凶暴
青い海。資料館でみた津波はとっても黒かった。
奇跡の1本松
ここに来れてよかった。生きてるうちに見た方がいいなって思った
階段
3階
当時を想像されるくらいリアルに残してるのがすごい
色々な思い出が、、
3階。この中に車が津波で流されてきた
考えられないよ。けど、本当に起きたことなんだ
ここに避難。見守ってた。どんな表情、言葉を発して見守ってたんだろう

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