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落ちざまに(?)何故に伏せたる桜かな

キャンパスを歩いていると、桜が満開だった。大学に桜を植えると学生が花見をし、そこで酒を飲んで困るから大学には銀杏の木を植える、という話を聞いたことがあるが、少なくともうちの大学はそういうわけでもないらしい。銀杏もあれば桜も植えてある。今日はいい天気で気温も高く、絶好のお花見日和だった。

見上げていた桜の花から視線を落とし、地面を見てみる。散った桜の花びらがあり、こちらも趣がある。すると、桜の花がその形を保ったまま、つまり5枚の花弁をつけたままガク(花と茎の間の部分)から落ちているものがいくつかあることに気がつく。

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これはスズメの仕業だと聞いたことがあった。メジロなどの鳥たちは桜の花の蜜を、桜を落とす(桜の花をガクから切り落とすことを「桜を落とす」と呼ぶことにしよう)ことなく吸うことができる。これは彼らのくちばしが細いためだ。一方でスズメのくちばしは太く、桜の花に差し込んで蜜を吸うことができない。そこで桜の花の根本、すなわちガクのあたりをくちばしで千切って蜜を吸うのだという。

ここで、一つの疑問がわいてきた。落ちた桜はどれも伏せているのだ。ここで伏せるとは、雌しべや雄しべがある方を下に向けている状態のことを指す。このときガクは上を向いている。

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これに違和感を感じた。僕の専門は物理学だ。僕の物理学的直観によると、桜が落ちるときには、ちょうどパラシュートの落下のように、額を下にして落ちるはずなのだ。にもかかわらず足元の落ちた桜たちはみな伏せている。

実は、かつて同様のことを考えた人がいたことを僕は知っていた。寺田寅彦という物理学者だ。彼は随筆家や俳人としても有名で、夏目漱石の弟子でもあった。彼の研究に、椿の花の落ち方の研究があるのだ。青空文庫にその研究について言及した文章がある。

「落ちざまに虻を伏せたる椿かな」漱石先生の句である。(略)ところがこの二三年前、偶然な機会から椿の花が落ちるときにたとえそれが落ち始める時にはうつ向きに落ち始めても空中で回転して仰向きになろうとするような傾向があるらしいことに気がついて、多少これについて観察しまた実験をした結果、やはり実際にそういう傾向のあることを確かめることができた。それで木が高いほどうつ向きに落ちた花よりも仰向きに落ちた花の数の比率が大きいという結果になるのである。(太字は引用者による)
寺田寅彦『思い出草』https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2490_11025.html

この研究は引用部冒頭にある夏目漱石の俳句に触発されたものだという。椿が落ちて、その花弁の中にアブを閉じ込めるという句だが、どうやら椿が落ちるときはむしろ逆で、仰向きになる傾向があることを寺田は実験と観察によって確認した。しかしアブが椿の花に止まっていると重心の位置が変わり、伏せて落ちやすくなるのだと寺田は結論付けている。

さて、寺田の研究によるとどうやら僕の物理学的直観は間違っていないらしい。やはり桜も仰向けで落ちるはずなのだ。そこで実験してみることにした。落ちている桜を何度か色々な向きで落としてみると、まず間違いなく仰向けで落ちる。しかも桜の木は僕の身長よりもずっと高い。寺田によると、木が高いほど仰向けに落ちやすくなるはずなので、桜の木から落ちた桜の花は仰向けに落ちると断定していいだろう。

となると桜がうつ伏せなのは、一度仰向けで落ちた後、地上でうつ伏せにされたからということになる。ここでもやはり物理学的直観が冴えた。うつ伏せの桜が仰向けの桜よりも安定な状態であることがこの現象の原因だ、という仮説だ。これはかなりもっともらしい。桜の形状的に、仰向けの桜は転がりやすく、ひっくり返りやすい、不安定な状態だ。しかし、一度うつ伏せになってしまえば空気抵抗も少なく、設置面積の大きさからそれに比例して摩擦力も大きいため仰向けになりにくいはずだ。

そこでやはり実験してみることにした。桜を仰向けにおいて風が吹くのを待つ。僕の仮説が正しければ仰向けの桜はすぐにひっくり返り、一度うつぶせになってしまえば、もう一度仰向けになることはまれなはずだ。地面にはいつくばって息を吹きかけてもいいが、さすがにやめておいた。ここまでも満開の桜を見ずに地面ばかり見てはウロウロし、落ちた桜を何度も落とし続けていたのだ。これ以上不審なことをしてはまずい。通行人の目が冷たかったのもうなずける。まだかまだかと待っていると、ついに風が吹いた。仰向けの桜は、予想通りすぐに裏返ってうつ伏せになったが、伏せた桜は仰向けにならなかった。僕の勝利だ!

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大変な満足感を感じながら桜のもとを離れる。少し歩くと草地に桜の木が生えていた。すると、仰向けの桜がたくさん落ちているではないか!僕は、なるほど!と膝を打った。先ほどの地面は平らなブロックタイルの地面だった。そのため仰向けに落ちた桜は風でうつ伏せになる。しかし、地面に草が生えているとそこに引っ掛かり、落ちたときのままで形が保たれる。ブロックタイルではうつ伏せが圧倒的多数だったのに対し、草地ではよくて半分、ともすれば仰向けの方が多いかもしれない。これは、やはり桜は落ちるときは仰向けであることを示している。僕の仮説は正しかったのだ!

桜を見ずに、地面を見る。道端で何度も桜の花を放り上げる。周りの人の冷たい視線に耐えながら、今日も僕は物理をしている。

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