Naked Desire〜姫君たちの野望

第3回 メモワール その3

そして勢いよく立ち上がると、窓に映る景色を見つめた。
暗闇の中に、部屋から漏れる光が、幻想的な光景を生み出している。
それを眺めながら、私は知り合いから、日本に古くから伝わる昔話を思い出した。
ある日、民のかまどから煙が上っていない光景を目にした天皇は、その理由を家臣に問うた。
家臣は天皇に、税金が重すぎるから、民のかまどから煙が立たないのですと返答した。
その話を聞いた天皇は、家臣の意見を聞き入れ、翌年の税金を軽くするお触れを出した。
民は喜び、その年の秋には、国内の民のかまどからは、たくさん煙がのぼった。
その様子を見た天皇はたいそう喜び、以後自分が玉座にいるうちは、税金を軽くしたと、その言い伝えは結ばれている。
その話を聞いた私は、これこそが君主のあるべき姿であると確信した。
翻って、私の祖父はどうだっただろうか。
ため息を一つ突いた私は、目線を机の上に移した。
万年筆をペン立てに居れ、やや乱雑に積まれていた書類を、丁寧に整理した。
机上のスイッチをオンにすると、空中にコンソールの操作画面が現れた。
コンソールのアイコンを指でタッチすると、部屋に設置してあるスピーカーから、ピアノの音が流れ出した。
今私が聴いているのは、20世紀を代表する大ピアニストである、アルトゥール・ルービンシュタインが演奏する、ブラームスの小品集だ。
辛い時。
悲しい時。
不安な時。
憂鬱になった時。
そして、私がよく知っている人間が、手の届かない世界に行ってしまった時。
私はいつも、このアルバムを聴いていたっけ。
そのたびに、9世紀以上前の名ピアニストは、天国で私に微笑みかけてくれた。
この演奏を聴きながら、私は誓う。
世界から憎しみと戦いを放逐し、希望と幸せに満ちた世界を作り出すのだ、と。
深呼吸を一つした。
新政権発足のスピーチで、私は国民に呼びかけた。
「とにかく、我慢してください」と。
「不満をぶちまけるのではなく、真摯に具体的な提案をしてください」と。
そうすれば、あなた方が願っていた世界は実現できるのです、と。
宮殿に押し寄せた国民は歓声を上げ、口々に
「新政権、万歳!!」
「新体制、万歳!!」
「新皇帝、万歳!!」
と叫んだ。
でも現状は、とても「万歳」と叫んでいられるものではない。
言葉は悪いが、大衆の気持ちは飽きやすい。
明確な指針を打ち出さないと、あっという間に我々は主導権を失うだろう。
新政権のメンバーには、そのことを肝に銘じてほしいものだが……。
コンソールの時計を見ると、夜も遅い時間だ。
もうそろそろ、夫がやってきてもおかしくない。
そう考えた私は、執務室の隣にある寝室に入った。
ガウンを脱いでベッドの上に置くと、バスタオルを身に纏った。
私が選んだ一品は、アビスアンドハビデコールというブランド。色は濃紺。
ダブルベッドの隣にある兄弟の椅子に座ると、手早くアイシャドウを塗りつける。
今日選んだのは、濃い紫のジェルタイプ。
そして、素肌の上に金色のネックレスをつける。
これで、今夜の準備は整った。
夫も、その気になってくれるはずだ……と、少々浮かれていると、キャビネットにおかれているインターフォンのブザーが鳴った。
「皇女殿下、旦那様がお待ちですが、いかがなさいますか?」
声の主は、私付きの筆頭女官である。
「わかりました。応接間にお通しなさい」
「かしこまりました」
私は、いそいそと夫の待つ応接間に向かった。

「おっ 今日は一段と色っぽい姿だね」
私の姿を見るなり、彼は穏やかな笑みを浮かべた。
夫は、ロング丈のナイトガウンを羽織って、私の部屋にやってきた。色はネイビーで、袖口には赤のパイピングが施されている。生地はウールで、一目で丁寧な仕事が施されているとわかるものだ。
「いつもワインじゃ能がないからね。趣向を変えて、今日はこれを持ってきた」
夫が持ってきたワゴンの上には、銀色のボックスが一つ置かれている。
「なに、これ?」
人差し指を指して、私は夫に尋ねる。
「ああ、これかい?」
夫はそう言いながら、私に鍵を渡した。
鍵の入り口に鍵を挿すと、ボックスがカチンと音を立て、蓋が上に少し外れた状態になった。
蓋を開けてみると、その裏には鏡が貼られている。
箱の中には、銀製の瓶入れに入ったボトルと、透き通ったブランデーグラスが収められていた。
どちらも、手の込んだな装飾が施されている。
おそらく値段も、かなり値が張るものだろう。
「さて、ご主人様」
夫は得意顔で私に話しかけ、ボトルをボックスの中から取り出す。
「ヘネシー・ボーテ・デュ・シエークル・コニャックというコニャックだ」

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