今日の自分はどっちだ
今日のエッセイを書こうとキーボードの上に指を置いた時にふと気づいたことがある。自分は書く時に2種類のどちらかの人間になり、本当に書く直前までどちらの自分になるか分からないということだ。
1つ目はリアルタイプである。このタイプは直前まで調べごとをしていたり、また強烈な出来事があったときになりやすい。
どのようなタイプかと言うとその日起こった出来事や調べごとの報告といった現実に起こった出来事に即することを書くタイプだ。このような内容を書くということはすなわちエッセイというよりも日記という要素の比重が増える。
そしてこれらを書いているところで最後の方になって「あっ・・・これ日記になってる」ということに突然気づいて申し訳ない程度の心情的な気づきを入れるという蛇足とも思えるものを書くのも特徴の一つである。
正直入れなくていいのではと内心思いつつも日記にしすぎない自分をどうしても意識してしまいついつい入れてしまう。こうみると少し可愛くなるがもう少し本文や文章の中にもいろいろと散りばめて入れたいところだ。
2つ目のタイプは心情タイプだ。このタイプは書くことが思いつかない、心理的に何かと弱気になっているなどその日の出来事として妙に内容が薄いと感じた日に起こりやすい。
このタイプはとにかく心情的なものを書くのがメインとなる。現実に起こった出来事を書いた上で自分の心情を書く場合や自分の心情としてふと気づいたことをまとめたりして書く場合とかが上げられる。こう考えると少し変な話になるがすごくエッセイっぽい。
「この時どう動いた」「心はどのようなことを思った」ある種瞑想のように自分の内面に焦点を当てて書く。これらは出さなきゃと意識すればするほど出てこないものなのでひたすら達観視をしながら出てくるのを待つ。
ここまで上げたリアルタイプと心情タイプの2つは本当に書く直前までどっちに転ぶか分からない。例えばダンボーと共に写真を撮りに行くといった強烈な出来事があるならすぐリアルタイプに傾くが実際の毎日はそこまで変化があるわけではない。
今日はなんとかについて書こうとリアルタイプで書いていたものの途中から気持ちに変化が生まれ心情タイプのような文章になるというのもよくある話だ。そしてその逆もあり心情の方で書いていたら「あっ、まてよ」と思い突然リアルタイプになることもある。
これらのことに気づいた影響で自分のエッセイのことを最近は「日記とエッセイの中間のようなもの」と表現するようにしている。2つのタイプを反映しての言葉だ。
その日によって変わる2つのタイプ、書いている側もどっちに転ぶのかよくわかっていない。そう考えると日々のエッセイを書くというのは本当面白いことだ。毎日このどちらに転ぶのかという変化を味わうというのはなかなかにない。
ちなみに今日のようなものはリアルタイプの例である。
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