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アサヒ版恋愛解体新書~愛情の三段階編~

⚠今回のnoteは、他エッセイ媒体での教訓や「読みにくい」というご意見を参考にアサヒのnoteらしからぬSEOエッセイ記事要素が含まれた構成となっています。文章長いわ!のツッコミに対応する目的もあるため、小見出しなど試験的に付けておりますので、“いつもの感じ”のご期待には沿っておりません。ご了承お願い致します。(すでに長い注意書きでした)

【コロナ禍で生まれた暇な時間。私は恋愛を哲学する。】


コロナによる自粛期間中、パラレルワークのほとんどが休止となったアサヒです。

皆様いかかがお過ごしでしょうか。“人と会えない”という状況にストレスを抱えてる人も沢山いるはず。恋愛において「会いたいのに会えない」というシチュエーションは、ドラマや映画で見る限りちょっとロマンティックに思えるのに、実際は多種多様。「自粛要請を機に別れた!」とか「同棲しちゃった!」 「違う一面が見えてもっと好き!」などなどSNSを通じて様々な恋愛模様を目にするようになりました。


んで、私自身はというと。しっかりちゃっかり恋愛している派。自粛要請が出る前に滑り込みセーフ!と言わんばかりに彼氏ができました。


今回はその新しい恋愛、の話ではございません。いや、それも含めだけれどこのエッセイは自粛期間にできた “暇な時間” や “ひとりの時間” に哲学書や今までの恋愛を思い返してムクムクと浮かんできた <アサヒ版恋愛の解体新書> です。久しぶりに恋愛のエッセイ。最近 “おっとり” したエッセイが多い気がするからたまには “アサヒっぽいやつ” 書いてみようかと。


はじまりはじまり。


【「愛するということ」のステップアップ。恋から愛へ、愛から人間愛へ】


noteや某エッセイWebサイトでこれまでの恋愛についてたくさん書いてきた今年24歳の私ですが、最近自分の恋愛観が一区切りついて「どうしてこんなに悲しいの?」「なんでわたしはこんなんなの?」と感傷的になることなく、自己分析できるようになりました。そのなかで気づいたことがぽつぽつとございました。


まずはじめに結論から言うと、恋愛感情における“愛するということ” には三段階の愛情、恋→愛→人間愛があること。これはいろんなところで言われているけど、いくつか恋愛をして身をもって実感し、そのうえ私はしっかり段階を踏んでいないことに気づきました。紐解いていきましょう。

恋愛はまず本気と遊びに分かれると思っていて(全部マジや!という人はとりあえず読み進めてね)遊びの恋愛に関しては、言語道断、“恋” で終わるもの。「見た目がタイプ」とか「雰囲気がいい」とかね。ここは本気の恋愛の過程にもあるもので、遊びの場合は表面的なところだけど本気の恋愛になったときは「優しいところが好き」とか「この人といると面白い」など少し中身にフォーカスが向く感じ。本気になったときどうしても “人は見た目じゃない” と思いたくなるし、なにより中身を見ようとするからですかね。



次の過程にいくと、“愛” になります。ここでは与えたいという気持ちが芽生えてくるイメージ。でも自己犠牲と混同してはいけなくて、具体例を挙げると、好きな人と一緒にいないときに「あ、Netflixに彼が好きな映画あるじゃん、教えてあげよ。」とか「あ、明太子安売りしてる。いま買って次来るときまで保つかな?」と自然に自分の生活や意識の中に彼がいて、それを支柱に行動してしまっている状態や精神。まさに無意識のGIVEが愛なのです!


そして、最終段階が “人間愛”。ここで超重要なのが、この言葉は安心や甘えという言葉に言い換えられること。愛を通り越した先には信頼しているがゆえに生まれる安心によって不安や嫉妬が少なくなったり、「こんな自分を見せても彼には嫌われない」という甘えから生まれた機嫌の悪い姿や怠惰なしぐさ、喧嘩が起きたりします。この段階に入るということは、「この人と生きていきたい。」という共存意識が芽生えている証拠だから悪いことではないし、信頼関係が結ばれているからこそでき、仲直りもできます。デメリットとしては人によってセックスレスが生まれたり、“恋” 段階のときめきを求めてどちらかが浮気することなどもあります。


【愛するということの三段階から見える恋愛パターン】


この、恋→愛→人間愛のステップアップを “お互いに” できたならば、最強になれるわけなのだ!


でも、これが一番難しいのですよ・・・“お互いに”
お互いにできることなんて滅多になくて、すれ違って別れたり、ゴールインしたとしても結婚間際や結婚直後、最悪なのは何十年もして現れて離婚してしまったりする人々は山ほどいるわけです。


ちなみに私の場合はというと。
パターン1:恋段階で愛段階に上げられず冷める。
パターン2:すっ飛ばして人間愛段階を相手に強いることで冷められる。
パターン3:3段階をお互いに行ったり来たりしてくっついたり離れたりを繰り返す。


この三つの中に当てはめられることがわかりました。
で、パターン3が実に厄介。でも三段階目の人間愛に到達したため、行き来したものの、このエッセイ含め様々なことに気づかせてくれ人間的にも変化のある恋愛だったから感謝しかないのですが、問題は別れ時を見失うこと。新しい恋愛に出会ったとしても、人間愛まで到達した瞬間と同時に依存が生まれるため、「やっぱりこの人しか分かり合えない。」という感情が芽生えるのです。これは経験がある人もちらほらいらっしゃるのではないでしょうか。
新しい恋愛ってまた恋段階からやり直さなくちゃいけないですからね。恋段階から愛段階に上がるのが難しい。そのため私は人間愛段階にひとっとびしようとした結果、ギャップの激しさから冷められたりします。(いきなり強い主張を繰り出してしまうなど)


このパターン3の彼から抜け出せた理由。それは、
新しい恋愛に人間愛へステップアップできる可能性を見出せたから。
この可能性を見い出せた時は奇跡だと思いましたね。人間愛段階までお互いに歩める人なんて人生にひとりいてくれただけで御の字です。(まあ未来がどうなるかはさて置き)


でもどうして人間愛まで到達できたんだろう?なぜパターン3の彼から離れられなかったのだろう?



これについての見解から、次回は “人を好きになる”ことについて解体していこうかなと思います。最後まで読んで下さりありがとうございました!


次回もお楽しみに。








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