暴太郎戦隊ドンブラザーズに愛を込めて

※暴太郎戦隊ドンブラザーズ最終回までのネタバレを大いに含みます。ご注意ください。





暴太郎?ドンブラザーズ??なんだそれ???

第一報を聞いた時、頭の中は疑問符でいっぱいになった。大好きなスーパー戦隊の次回作。普通はまあ、タイトルである程度モチーフ等が推察できるものであるが、「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」は正直何一つ意味がわからなかった。「あばたろう」なんて単語聞いたことがない。当然である。ドン?ブラザーズ??なに????

情報が解禁されるにつれ、「あばたろう」が「アバター」と「桃太郎」からくる造語であることはわかってきた。そして恐らく「どんぶらこ」と「ブラザーズ(仲間たち)」で「ドンブラザーズ」。それにしても「暴太郎」とは、強すぎるネーミングではなかろうか。ひと目でなんかヤバい奴らな感じがする。主役も「ドンモモタロウ」とかいう名前だし…。

そして実際、彼らはとんでもなくヤバい奴らだった。


昨日最終回を迎えた第46作目のスーパー戦隊、暴太郎戦隊ドンブラザーズ。一年間全50話を大いに楽しませてくれた最高の作品に愛と感謝を込めて、一緒に視聴した6歳の我が子の思い出を交えつつ、この物語を振り返ってみたいと思う。


初報でわけがわからないぞという印象を与えてきた次の衝撃は、脚本家の発表であった。井上敏樹。特撮界でその名を知らぬ者はいないであろう大ベテラン。しかしまだ特撮を改めて見始めて10年強の私には、彼のメインライター作品をリアルタイム視聴した経験はない。
なお、私の記憶にある最も古いスーパー戦隊は2歳の時の「恐竜戦隊ジュウレンジャー」。ちょうど井上先生が書いた「鳥人戦隊ジェットマン」の次作品であった。
リアルタイムで井上敏樹大先生メイン脚本のスーパー戦隊を見られる!人生で初めての体験にわくわくが止まらなくなった。
一方で、前作ゼンカイジャーはトンチキはちゃめちゃをしながらも芯の通った優しくて素晴らしいスーパー戦隊だった。あれだけ盛大にやった後って結構大変だぞ。なんて気持ちもあったのは事実。

まあ、そんな心配は言うまでもなく、杞憂であった。

幕を開けた第一話。
なんだこれは。
視聴者を置いていくようなジェットコースターの如き怒涛の展開、頭に浮かぶ疑問符を自覚するより早く叩き付けられる次の情報。息切れ寸前で見終えた後に残るのはただただ「面白かった」という感情と、何故かちゃんと世界観は掴めているという事実。
もはや匠の技である。

たった一話で「これはとんでもない作品が来てしまった」と思わせるそのパワーに圧倒され虜になった。

そしてそのパワーは、子どもにもきちんと伝わったようだ。我が子も一瞬でドンブラザーズのファンになった。今までニチアサで我が子の中の最上位にいたのはプリキュアであったが、なんと、ドンブラザーズが(リアタイ出来なかった日の)録画視聴の優先順位一位に躍り出たのである。
年齢が上がってきたこともあるが、初めて、ストーリーについての疑問点を私に尋ねてくるようにもなった。推しはイヌブラザー・犬塚翼。ぬいぐるみが欲しいとねだられて、変身前と変身後の両方を買った。頼まれてキャラ弁も作った。夏美を巡るソノニとの愛憎劇は6歳児にはやや難しかったようだが、それでも一生懸命視聴していた。

私のお気に入りはサルブラザー・猿原真一である。浮世離れと呼ぶには俗人過ぎるがどう考えても普通ではないそのバランス感が面白く、また、他のメンバーと違って縦軸を動かすような因縁が特にないのに何故か存在感はあるという独特の佇まいが気に入ってしまった。桃井タロウに何か思うところがある時だけ赤いネジネジしてるのもなんだか可愛いよね。


…話が少し逸れたが、ドンブラザーズはその勢いを衰えさせることなく、これまでに類を見ない独自の路線をどんどん爆走していった。

矢継早に飛び出してくる新情報、強烈な次回への引き、かと思えばそこはさして引っ張らずどんどん進んでいく展開、1回きりのゲストを含めあまりに濃すぎるキャラクターたち、時にそんなオチ?!となるようななかなかの終わり方(でもあのエンディングが流れるといい話だったな…という気持ちになってしまうからずるい)。巨大戦を毎回必ずやるというスーパー戦隊の定番すらひっくり返し、それでいて魅力的なロボも出してくる。
あまりにスピーディーながら人情にはしっかり寄り添ったその作劇は、毎度進む方向が全く読めないのに、終わってみるとなんだかじんわり心が温かくなるような、そんな不思議な魅力に満ちていた。
はちゃめちゃで自分勝手なメンバーが集まってはいるのだが、その根底にあるのは人間としての善性である。
めちゃくちゃなのに、優しい物語なのだ。


そして、その優しさとも通ずるところにあるドンブラザーズをオンリーワンたらしめていた最大の理由は、ラスボス(=倒すべき敵組織)の不在であろう。

人間が感情の暴走から怪人化するヒトツ鬼たちは倒されれば元の人に戻り、脳人たちもあくまで暴走した人間=ヒトツ鬼を消去していただけで人間に悪意をもっている敵ではなかった。人間を襲う獣人ですら、倒して解決というような存在でもない。
憎むべき諸悪の根源などどこにもいない、何かを倒せば終わる物語ではない。

では何をもってドンブラザーズの物語は終わるのか。

最終的に辿り着いたその答えは、ヒーローひとりひとりの成長であった。桃井タロウというリーダーを中心にチームが集まり、関係し合って、それぞれが新しい自分を見つけていく。彼らの人生は時に交わりながらもバラバラで、でも歩む道の道標に「ドンブラザーズ」の存在がある。言葉にするとありきたりにも思えるが、群像劇としてこれ以上の終着点はないだろう。そしてそんな彼らが歩む世界は、確かに少しずつ、よくなっているような気がするのだ。

ヒーロー番組の根幹であるような「敵を倒す」という構造そのものを覆してもなお、面白いヒーロー番組は作れるのだという、新たな境地を見せつけられた。ただただ脱帽するばかりである。

最終回でも解決されなかった謎はある。紐解かれなかった設定もある。勢いで押し通したなと思うところもそれなりにある。
でも、それでいいと思ってしまう自分がいる。

記憶が薄れゆくタロウのおでん屋台でのシーン、はるかの漫画の空白の吹き出し、最後の最後にムラサメまで入った豪華な名乗り。猿原が詠んだ一句。
各シーンで私は泣いた。どうしようもないくらい涙が溢れた。隣を見たら、我が子もボロボロと大粒の涙をこぼして泣いていた。暴太郎戦隊ドンブラザーズの物語が終わってしまうことが寂しくて仕方なく、同時になんと清々しい最終回だろうという心地好さもあった。


そして、最後にはるかの家のチャイムが鳴った時。
もう一度始まりの鐘が鳴ったと思った。
ラストシーンは、この一年でお馴染みとなったあの台詞で締められる。

「縁ができたな」


袖擦り合うも多生の縁。
始まった縁は世界を変えながら続いていくのだ、いつまでも。






最後に、私と同じくドンブラロスの皆さんにおすすめの本と動画を置いておく。
ファイナルライブツアーもVシネも、まだまだ楽しみだ。




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