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Will Hunting ['s music] is good

こんばんは、平野と申します。もうすっかり夏になりましたがいかがお過ごしでしょうか? 僕は夏が本当に嫌い、憎い、滅亡して欲しいと思っているので、その感情は英語に訳せば即ち”HATE”に当たる訳でございますが、あなた様と夏の距離感や愛憎は如何に。

さて。「う」で頂きまして、今回はガス・ヴァン・サントエリオット・スミスにしようかなと思いました。「1番好きな音楽家は誰?」と聞かれると回答に困る…というか恐らく回答できないのですが、これを映画監督に変換すると少し様相が変わります。これは所謂シネフィルの猛者とは違う位置に自分が座標しているからでありますが、ともかく音楽よりは選択肢が狭まります。ですが、その手札には常にガス・ヴァン・サントが含まれていることは間違いありません。僕が映画を観る時の価値判断を植え付けた張本人であり、時には「1番好きな映画監督」だと言ってしまえるくらいの偉大なお方です。

ガス・ヴァン・サントはアメリカ・ポートランド出身の映画監督です。インディ的な価値観を非常に重視する一方、大衆映画に求められる一種のカタルシスやハリウッド的な感性を否定することなく、それらと程よく距離を保ちながら自分の作品に持ち込む手腕が特徴と言えます。そしてもうひとつ、彼の映画の重要な要素は「優しいまなざし」です。彼の作品全てに共通するのはアウトサイダーやマイノリティへの愛情で、その視線はゲイ・ジャンキー・路上生活者・銃乱射事件の首謀者など社会的なアウトサイダーはもちろん、絶筆した小説家・家庭が崩壊した男・両親を事故で亡くしたひきこもりなど個人的 / 精神的なアウトサイダーにも向きます───つまり「周囲とうまくいっていない弱き人たち」を彼の作品は取り上げていく訳ですが、このうまくいかなさを見る側のそれとリンクさせる…というのが彼の作風であり、そしてそこには常に彼の優しさが存在しています。

加えて、どうしても見逃せないのが彼の音楽のセンスの素晴らしさなのです。「音楽がさりげなく、でも必要なところに、必要なだけ存在する」、簡単なようで全くそうでないこのセンスをクリアしてしまうのがガス・ヴァン・サント作品のマジカル。僕は映画の良し悪しのひとつにどうしても音楽───正確には「音響」を求めてしまうところがあるのですが (つまり映画には「それらしい音楽がない」ということも重要なのです)、話題になった映画を観てみたらすごく「音痴」な作品と映画監督でマジガッカリ。みたいなパターンも数多く経験してきました。それは大体「音楽がうるさい → 音響の感覚がひどい」ということ、そして「いらないところに音楽がある / 映像が求めていないところに音楽がある」ということなのですが、僕にこの観点を植え付けハードルを上げさせた人こそがガス・ヴァン・サントなのです。



彼の映画には傑作が多過ぎて紹介するのも難しいのですが、一般的な代表作というと『グッド・ウィル・ハンティング』になるのかなと思います。これぞ彼がハリウッドに残したヒューマンドラマの傑作であり、ガス・ヴァン・サントの個性を世間に知らしめた一作。荒れた生活を送る孤児の青年・しかし実は数学の天才であるウィル・ハンティングと、妻を亡くして以来孤独の殻に閉じこもる心理学者ショーン・マグワイアの交流を描く作品…ということでシナリオだけ辿ると滅茶苦茶にハリウッド感満載、結末もなんとなーーーーく想像がつくし、大凡その想像通りに結末するのですが、さりげない時間を丁寧に積み重ね、ドラマをゆっくりと展開させ、登場人物と観客をじわじわ同化させていき…という手腕は本当に見事。鑑賞後の優しい気持ちたるや…ほっこりし湧き上がる愛情たるや…。

そしてこの映画に絶大な貢献を果たしたのがエリオット・スミスの音楽でしょう。90年代を代表する繊細系の名SSWによる楽曲が劇中で流れてくるのですが、それらは非常に印象的に用いられ、登場人物の心理を見事に炙り出していきます。さらに、エリオット・スミスのファンだったガス・ヴァン・サント直々のラブコールによって書き下ろしの楽曲まで用意されたのです…というこれぞ超名曲”Miss Misery”なのですが、ひとまずどうぞお聴きください。

泣けます。これだけで泣けます。しかしね、ちっちっちっ甘いっす。”Miss Misery”はエンディングに流れてくるのですが、そうすればたちまち号泣っす。シナリオは終わるけれどもしかしその先の未来がしっかり刻まれている、そんな美しい高速道路の映像に合わせてこの曲が流れてきた時、もうゾクゾクっとしてウルウルっすよ。これぞ「映画って本当にいいもんですねえ」という名言に相応しい絶品のマリアージュ。こればかりは経験して頂かないと味わえないカタルシスでございます。いま思い出しただけで泣けるもんね…

エリオット・スミスの世界観はともかく繊細 + ともかく暗い。詩を見ていてもハッピーな瞬間がかなり少なくて、孤独の中で呼びかけているような、もういない誰かへ届かない声を歌にしているような…そんなものがずらりと並ぶ訳ですが、だからと言って完全に絶望しているのでもなく、僕には道に迷っている最中のことを歌っているように感じられます。だからこそ彼の音楽は人気を得たのかもしれません───そうまさにガス・ヴァン・サントが「周囲とうまくいっていない弱き人たち」を題材にするのと同じく、エリオット・スミスも「群れからはぐれている感覚」と「それを内省すること」によって音楽を構築してきたのでした。”Miss Misery”ではそれがこんな言葉として表れます。



姿を消して忘れることは容易い
そして努めてそうしようとしている
でも君は僕のことを知っている
君が求めてくれれば 僕は戻ってくる
恋しいと思ってくれるかい
ミス・ミザリー *
君がそう口にするように

*「ミス・ミザリー」はダブルミーニングだと言われています。「ミザリーさん」という捉え方と、こちらも文字通り「惨めさが恋しい」という捉え方の両方が並列して成り立ちそうです。こんなところからも彼の繊細さが立ち込めるようですね。



もうひとつ加えたいのが、この曲のコード進行ってオールドスタイル / トラディショナルなジャズのもののように聴こえるんですよね。勘違いで実際は違うかもしれないですが…僕はコードが全く分からないので是非とも専門家に確認して欲しいところです、が、もしそうだとしたら、この辺にも”Miss Misery”が持つ普遍性、多くの人を惹きつける要因があるかもしれません。映画の話を受けてオールドスクールな映画音楽スタイルを敢えて踏襲した曲を制作した、ハリウッドという映画文化を歴々と積み上げてきた土壌において意識的にそれをしたのだとしたら…と思わず邪推もしたくなっちゃいますが、いやでもあり得そうな気がする。エリオット・スミスの楽曲にはかなり器用なところも見受けられるので、全然ありそう。真相やいかに。



周囲を惹きつける才気を爆発させてきたエリオット・スミスですが、「周囲とうまくいっていない弱き人たち」を見つけるガス・ヴァン・サントの慧眼はそのまま彼にも適用されるのでした。決定的な名曲と大ヒットした映画によって名声を得た一方、どこへ行っても「プリーズ!ミス!ミザリー!」と言われることに心底うんざりしてしまい、エリオット・スミスはこの曲を封印してしまいます。改めて探してみましたけど、”Miss Misery”は楽曲の知名度に対して映像も音源も本当に少ない。珍しいであろうピアノバージョンがYouTubeにありましたが、弾き終わった後にちょっと浮かない顔をしているように見えます。それをフォローするかの如くかなり丁寧に「ありがとうございます」とも言われているので、乗らないな…と思いながら(もしかしたらちょっと文句を言いながら)サービスで演奏してくれていたのかもしれません。

この表情を見るだに非常に苦しい気持ちになる訳ですが…自分自身と社会との間、正確には社会から求められる自分自身との間で苦しみ、どんどん傷ついていったような印象を彼には持ちます。そしてもうひとつ、彼の特性・人間性が彼自身に重しを乗せていったのも間違いないのかなと思います。残された作品群には共通して繊細さ故の完璧主義が見て取れますが、それは時間が経てば経つほどに大きくなっていきました。初期作は自宅で静かに録音された弾き語り集という趣、それが3rdアルバム以降は多彩な楽器によるアンサンブルをひとりで多重録音していく箱庭的スタイルへと変化していくのですが、この変化が苛烈に発生しているタイミングで生み出されたのが”Miss Misery”。なのでこの曲は彼の完璧主義が際限なく膨張し始めている兆しを捉えたサウンドだとも言えるでしょう。実際、3rd以降の箱庭アンサンブル作品はまるで隙がない彫刻のように聴こえてきますが、隙がないが故、一箇所でも崩したら全てが崩壊してしまうことが嫌でも分かってしまう、そんな儚い雰囲気も常に付き纏います。

映像を観ていると、歌詞を間違えて演奏を途中で止めたり、うまく運指できなかった箇所で苦笑いしていたりするものがかなり散見されます。

箱庭アンサンブルのみならず彼のこういった側面からも、最早病的と言って良いほどの完璧主義が見え隠れしているように感じます。こんなに精緻な音楽を創り、時には「彼女の目を通して僕は世界と恋に落ちる」なんて歌ってしまう人とは、この世界に存在するありとあらゆる繊細さを抱えた天使のようなものだと僕は思います。彼にとってこの世界はとんでもなく悪魔的で息苦しい存在だったことは容易く想像できますが、一方それらが招いたであろう彼の自殺…という報を聞いたガス・ヴァン・サント、彼の悔しさと悲しさに関しては、他者の言葉ではまるで表現することができず、他者の想像力では描ききれないほど巨大なものだったはずです。

『グッド・ウィル・ハンティング』にふたつの儚さがあるとするならば、ひとつは繊細さを見つけて優しく愛することのできる儚さと、自分の繊細さに振り回されながら傷つきぼろぼろになっていく儚さではないでしょうか。些細で面倒で傷だらけ、でも愛さずにはいられない「周囲とうまくいっていない弱き人たち」への優しさ───ガス・ヴァン・サントとエリオット・スミスの交差した『グッド・ウィル・ハンティング』が今でも多くの人を魅了し続けていられているのは、つまりそういうことではないかなあと思うこの頃です。

僕的なエリオット・スミスの傑作は生前最後のアルバムになってしまった『Figure 8』ですね。
箱庭スタイルここに極まれり…ですがこんなものぽんぽん創るのは、確かに生き急いでいる気がする。


最後に脱線すると、ガス・ヴァン・サントには『永遠の僕たち』という!「周囲とうまくいっていない弱き人」同士による!恋愛映画の!最高傑作!あんなもん!泣く!泣かないやつは!人間ではない!と僕の独断と偏見によって人間扱いされない誰かが生まれてきてしまうかもしれない、ともかく恋愛映画の大傑作がございまして、そちらの音楽を担当しているのはエリオット・スミスの正当なる後継者と言っても差し支えないであろうスフィアン・スティーヴンス。彼もまた儚い世界を丁寧かつささやかな歌声で描いていく素晴らしい演奏家で大変おすすめです。あの美し過ぎる恋愛映画にスフィアンを採用するガス・ヴァン・サントの凄まじいセンス…ですが、それは後年、やはりモダンな恋愛映画の金字塔となった『君の名前で僕を呼んで』の音楽をスフィアンが担当したことによってさらに証明されることとなります。

それにしたってガス・ヴァン・サントの映画はじっくりと話したいものばかりだよなあ~~~~~~~~音楽絡みで言えば『ジェリー』とアルヴォ・ペルト『エレファント』でのベートーヴェンずばりカート・コバーンの『ラスト・デイズ』だろうし、作品の素晴らしさで言えば『パラノイド・パーク』についても話したいし…でも『追憶の森』って何であんなに駄作だったんだろう………と止まらない感じですので、ガス・ヴァン・サント映画について語り合える方を随時募集しております。

さて今日はここまで。次は「と」でお願いします!

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