父との永遠の別れと家族コンプレックス、そして私の思う家族の形

10歳の夏の海で、父は突然いなくなりました。
急にお休みが取れることになった父は、会社からうちに電話をかけて来て、『明日、海水浴に行こう』と…。
私達家族を喜ばせたかったのか、自分が行きたくなったのか…。
41年経った今では、その両方だったのかな、と思います。
シュノーケリングをしていた父が突然姿を消し、海底の中から見つかったのは翌日でした。
父は苦しかったのか、天に祈ったのか、両手を固く結んでいました。
死因は分からないままでした。

あれから40歳までの30年ほどの間、私は家族の形に憧れ続けていたのかもしれません。

でも、私の思い描く家族は得られないまま、40歳からシングルマザーとなり、ひとりで育てて来た2人の息子も成人となり自立していきます。息子達の父親とは、随分昔にお別れしましたが、数年前にその人もまた返らぬ人となりました。
悲しいことに息子達もまた、未成年で父親を亡くすこととなりました。


ところで、家族って一体…。
どんな形を指すのでしょう。

私が子どもの頃に失った家族像は、父親の居る家族でした。父親が居ない母子家庭(現在のひとり親家庭)を『普通ではない形』と思っていました。
けれど今思えば、母と弟と私、それも立派に家族です。

でもその形も次第に変化していきます。
私も弟も結婚し、家庭を持った時、別々の家族を作ることになります。
元の家族は、家族ではなくなるのでしょうか?親との親子関係は続くけれど、家族ではない。家族とは同居する人のことなのでしょうか?

私は父母の居る『普通の家族』を求めていました。けれどそれは難しく、夢敗れて、そして、永遠の課題となりました。今となっては、得られなかったもの、として、諦めています。人生の中で3回、その夢を失いました。

息子達もやがて家族を作っていきます。
幸せな家庭を築いてくれることだけが、私の願いです。たくさんの苦労をかけました。だからこそ…。


ここからがふと気付いた私の今の考えです。
私にとっての家族とは、きっと親子の形でした。でも、ふと思うのが、それって親のエゴでもあります。
子どもは親を選んで産まれて来ない。

親が思うように家族を築く中で、子どもが自我を持って生きるのは10歳を過ぎてからです。それまでは、親の設定した家族の中で生きます。それが正解だと思い込んで。家族団欒の時代でもありました。

今は、個人としての生き方の時代に思えます。
数年前、下重暁子さんの『家族という病』という本が話題になりました。
家族は仲良くしなければいけない。
子は親を敬わなければならない。
親孝行しなければならない。
親に感謝しなければならないという呪縛に囚われているといった内容です。読んだ当初は、なるほど、そんなものなのかな、、、と思うくらいでしたが、軽い衝撃を受けたのも感じています。


そして数年経って今は、そんな時代はもう終わっているような気がします。
逆に仲の良過ぎる家族を見て、しっくりと来ない今の私は、家族コンプレックスを抱いているのか、真理をついてしまったのか、そのどちらかだと思います。

親と一緒に住めない子ども達をたくさん見て来ました。
親を亡くした子ども達もたくさん居ます。
家族と暮らしても息苦しい思いをしている子どもも居ます。
親との折り合いの良い関係ばかりではありません。
子ども視点で家族を考える立場になった今、子どもに色々な価値観を刷り込んで満足している親ではいけないと思うようになりました。
子どもは小さな社会である家族の中で育ち、やがて大きな社会の中で、自分らしさを見つけていきます。それはもっと大きく広い世界です。それが自立です。小さな社会の中での価値観は、一種の刷り込みだと思います。
親よりも、職場の上司や配偶者の方が、その子のことをよく知ることもあるでしょう。親がしてやれる事は、その子の生きる上での基盤を作ること。それ以上でもそれ以下でもないような気がしています。

だとしたら、私の思っていた家族とは…。
永遠に変化し続けるもので、そして一人一人が心の中で感じること。具体的な目に見える形ではなく、『心の中の家族』が、1番しっくり来るのかもしれません。
それは、何の拘束力もなく、自然な思いであり、幸せに満たされた思いです。

普遍的なものの中に永遠を見つけたような気がします。

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