みほ

1970年5月生まれ。O型。滋賀県彦根市出身。 サラリーマンの父と職場結婚した母の元に…

みほ

1970年5月生まれ。O型。滋賀県彦根市出身。 サラリーマンの父と職場結婚した母の元に第一子として産まれる。 幸せな家庭に育ったけれど、10歳で父が突然の他界。水の事故で、当時地方紙の片隅に載った。 パパっ子だった私には、大変衝撃的な出来事で、その後の人生に大きく影響を与えた。

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社会人になって自立した息子達への願い

とあるシンママ先輩友達とLINEで話してて気付いたことがある。 私は今、寝る前に(もう眠剤を飲んでいるが効かなくてシャワーを浴びた) ここに記そうと思う。 2024.2月に私は、ギリギリのところで生きている、と言う記事を書いたことがある。⇨https://note.com/miho517/n/n639fb032656b たった2ヶ月過ぎた今、仕事が順調な時は、全くそんな風な私ではない。 まだまだこれからやりたいことがたくさんあって、やり残したことがたくさんあって、前向きだ

    • 怒りと孤独

      怒りと言う感情は、あらゆる形で現れる。 その影にはおびただしい悲しみが隠れているのだと、 ここ最近、何度も思う。 怒りの感情を自分の中に捉えた時、 そんな自分がとても醜く卑しく愚かに思えて自分をも責める。 穏やかに過ごしたい。 誰に対しても怒りと言う感情を持つのはとてもしんどいことだ。 そんな感情を秘めた自分を鏡で見ることもできない。 特に自分が心を寄せる身近な人に対して、その怒りは向けられることが多い。それには必ずや強い悲しみや寂しさを伴う。 人に期待してはならない。そ

      • 私にとっての小さな旅の必要性について

        旅をして来た。大好きな東京に3泊4日で気ままな旅だ。 人と会う約束は極力少なくした。 私のこれからの生き方にヒントをいただけそうな方と初対面。 聡明な方で、天然なところがあるとご本人はおっしゃるけれど、 私から見れば、私が形にしたいことを既に始められている行動的な方だ。 私より3つ歳上なだけなのに、聞けばその業界に入ったのは10年前だと言う。10年前と言えば、これからの人生をどういう方向に進んでいこうかと私自身、考えた時期でもある。 あらゆる希望を諦めて、私にも手の届く、そし

        • 子どもからのSOSに気付ける大人に

          https://youtu.be/BL7ugDTyQYI?si=OVJ0gyQgp-mv_qfv 悠々ホルンさんのトーク&ライブに参加して来ました。 子どものサイン(SOS)に気付ける大人を増やしたいと言う悠々ホルンさん。それは同時に私が日頃思っていることでした。助けて欲しいと言えない子どもや大人への支援は行きづらいこと、生きる意味さえこの年齢になってでもいまだ、模索していたものでした。 講演の終わりに書いた私の思い ↓ 随分時間がかかったな…。 私が自立して幸せと思える

        社会人になって自立した息子達への願い

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          親としての威厳ってなに?敬うとは?

          最近ふと思っていた。 世の中が変化し続ける中で、昨今は上の者を敬うと言う教え、教育がされていないと言うこと。 そもそも上の者ってなに?と言う疑問も出てくるが、子育ての中でも上の人に従いなさい、なんて言ってこなかった。 子どもが学生の頃は、上の者と言えば分かりやすく学校の先生だ。 先生に失礼のないような振る舞いをすると言うことは、親が言わなくとも自然と息子達が感じてきたところもあっただろうが、特に昭和の時代と比べると、親子関係もそうだが、教師、先生も子ども達と随分フレンドリーに

          親としての威厳ってなに?敬うとは?

          社会的養護は他人事じゃない

          https://youtu.be/XJnfFesGJ-w?si=eSPJzY0HeCbLSv8Y 早川先生のお話はすーっと入ってくる。 過去に学んだ、経験したことと併せて今思うのは、大人や困ってない人の当事者意識の薄さ。 今や、児童福祉の前に社会福祉のあり方、結局、国のあり方、、 児童養護施設や児童相談所の関わる子どもや家庭のことを他人事と思っている社会構造、、一般家庭の中で生きている人が、その中身を知るきっかけもない。 でも本当は他人事じゃない。 いかに日本が、当事者

          社会的養護は他人事じゃない

          感受性の強さによる生きづらさ〜母と娘

          私は今、東京に居ます。 母の居る地元の大阪からいわば逃げて来ました。 今日、関西に戻りますが、何だか気持ちはどんよりです。 東京は、夢の中にいるような感じがします。横浜に住んでいた頃、いつも東京に向かっていました。刺激がたくさん、そして、ひとりひとりが独立していて、過度な人への干渉がない。 よく関西の人は、東京は冷たいと言うけれど、私はそれが心地良いです。 ひとり親の母は、末娘でお嬢さん育ちの天然さんですが、根底はとても共感性の強いところがあり、気持ちの切り替えが苦手です

          感受性の強さによる生きづらさ〜母と娘

          ギリギリのところで生きてる。

          幸せと不幸せのどちらでもない場所。 生きている意味を探しながら、 生きる努力、継続する力をつけるため切磋琢磨する。 自分自身の疲弊した心と悲鳴の声が聞こえて、 時にもうどうでもよくなって、全てをそのまま受け止めて、 少しだけ心が軽くなる。 自分のキャパが少しずつ擦り減って行くのを感じ、 時に投げ出したくもなり、嘆きたくもなる。 でも、そんな生活の中にも、断片的な幸せは感じ取れて、 その小さな光を見つけたときは、まだまだ生きていけると思う。 現実の社会は、悲しい出来事の連続

          ギリギリのところで生きてる。

          親孝行と言う名の呪縛〜もう時代遅れなのかも

          親孝行と言う名の下に苦しんでいる人がどれだけ多く居ることか。。。 ふとその一人がこの私だと、先ほど突然に気付いたのだ。 いや、心の底の方ではとっくに気付いてた。 親が生きているうちは、この呪縛に縛られ続ける、と。 かと言って、親には長生きしてもらいたいとは思っている。 けれど、後期高齢者になったばかりのひとり親である母親に対しては、育ちの中からずっと確執と葛藤があって、そのために私はかなり生きづらさを感じて生きて来た。人生の要所要所で母の存在が大きく影響する。 これは決して

          親孝行と言う名の呪縛〜もう時代遅れなのかも

          そんな時もある。

          溢れる涙を抑えられなくて、声を出して泣いてみた。 少しはスッキリするのかと思ったら、頭が痛くなってくる。 今の私は八方塞がりだ。 自信喪失、自己嫌悪の感情が押し寄せて来る。 久しぶりに銭湯に行こうかと思った。 木枯らし吹く寒い日に一人で満たされるのはそんな場所だ。 人のたくさん居るところに出向くのも億劫で、ここのところ随分と行けてなかった。そんな日に限って、本日清掃のため休業の知らせをSNSで見かけた。 なんだ、、、自分を癒やそうと思ったのに。 母には弱音を吐けない。母が

          そんな時もある。

          淋しくて泣く

          急に寒くなって、秋を楽しむ前に冬が来た。 慌てて真冬のセーターをクローゼットから出してみる。 思ったより少なくなった洋服、あっと言う間に衣替えが終わり、 ここ数年、服を買ってないことに気付く。 いつからこの服に袖を通してないのだろう・・・と思いながら、 一応、タンスの引き出しの中にしまう。 今年の冬、これを着ることがあるのだろうか・・・。 寒い季節の到来と共に、私の心も身体も財布の中身にも木枯らしが吹いて、 今の私は全くの無力だ。 保育士の仕事に燃え尽き、その場を離れて間も

          淋しくて泣く

          兄の結婚式で涙を見せたあなたへ

          貴方はなんて素敵な感性の持ち主なんでしょう。 兄の結婚式で真っ先に見せた貴方の涙は、私の心に強く響きました。 扉が開けられる前、貴方は「緊張する」と言っていました。まさにその時すでに扉の向こうに立っている兄の気持ちに感情移入していたのでしょう。 母親である私は、のほほんと「楽しみ〜」なんて浮かれていたと言うのに・・・。 いつも兄と共に居た。物理的距離が離れてもずっと共に。 扉が開いた瞬間にはもう一筋の涙が溢れ出していたのでしょう。 克俊に向かって歩く私の少し後に続く壮真を

          兄の結婚式で涙を見せたあなたへ

          息子からの想いをやっと受け取れた母より

          克俊が私に望んでいたことが、結婚式を通してやっと理解出来ました。 私自身が私の人生丸ごと受け止めて肯定して、自信を持って凛と生きること。周りからの想いの受け止め方を間違えてたね。きっとそれは、私自身が自分を受け入れてなかったから。 ある種、呪縛とも言える罪悪感がずっとあった。後悔もあった。 自分がひとり親家族で育ったのに克俊にまで同じ境遇にしてしまった。それも意図的に。 ひとり親の心細さを自分は十分知っていたのに両親の揃った家族を守れなかった。理由はどうであれそのことに私は

          息子からの想いをやっと受け取れた母より

          長男の結婚式を終えて〜私自身の意識の変化

          異例尽くしの結婚式でした。 昨年、9月17日に入籍を済ませていた長男の結婚式が、18日に京都のエースホテルでとり行われました。 ひとり親としてのプレッシャーがとてつもなくのしかかっていました。特に仕事に挫折し自信をなくし、体調も良くなかったので、そこに座っているだけでも精一杯かと思えました。 2週間ほど前に司会の方と直接お会いしました。『お母様にとって、息子様の結婚式はどう言う意味を持ちますか?』と聞かれ、即答できませんでした。 それからずっとその意味を考えていました。

          長男の結婚式を終えて〜私自身の意識の変化

          何者にもなれない今の私〜潜在保育士

          数年前に報道で子どもへの虐待が大きく報道されていた頃、子育ての中で何故そのような悲惨な虐待が起こるのか、どのような状況が重なってそのような事態になってしまうのかと心を痛め、 児童相談所のこと、一時保護所のことに関する書物を読み漁り、世の中どうなってるんだと、憤りと悲しみに包まれました。 そんな中、私に少しでも出来ることがないかと考え、Twitterの中で密かにささやかれる児童養護施設で暮らす少年、少女達の本音、叫びを見て、この現実を世間の中のどれだけの人が知っているのだろう

          何者にもなれない今の私〜潜在保育士

          えみり

          「私と出逢ってくれてありがとう」そう彼女は言った。 彼女からの着信はそれが最初で最後だった。 いつも連絡は私の方からだった。 甘えることを知らない、甘えられない女の子。 酷い苦しみに耐え切れず漏らす本音のツイートの数々に 私の目が止まったことが、彼女との出逢いだった。 当時、児童養護施設に入所したばかりの高校2年生の彼女だった。 そこから彼女が20歳になるまでの数年、 彼女と実際に会ったのは、ほんの数回だった。 横浜に住まいがあった私は、新幹線で彼女に逢いに行った。