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自分への信頼を取り戻す

星の数ほどの投稿がある中、
ご訪問くださりありがとうございます。

わたしは、【信じる】や【信じている】という言葉が大嫌いでして、去年や一昨年、こんなことを投稿しているくらいの嫌いっぷりでした。


母の意に沿わない行動をしたときに「信じていたのに!」と攻め立てられた経験などを書いていますが、それ以上の何かあるんじゃないかとも感じていて。

それがやっと、あ~ぁ、そっかー、なるほどね~と思えたのです。

【信じる】や【信じている】という言葉に伴う感情が何なのか?が、こちらの本を読んで分かりました。

信じる、信じている、では、そのベクトルは停止している。
止まっているものはいずれ澱み、信じる気持ちが揺らいでゆくだろう。
しかし、信じようとする気持ちは、常に信じる方向へと瞳を向けて、その先の光は絶えることがない。

宇宙の羅針盤<下>より

信じるとは、結果だけれど、《信じようとする気持ち》はプロセス(過程)であり、そこには流れがあるから、澱みがなく、つまり、相手に対してのコントロールがなく、これが信頼なのだと思いました。

何かや誰かを【信じる】、【信じている】から、期待通りの反応がないと、裏切られた!や嘘をつかれた!になり、相手の態度次第で気持ちが揺らいだり、振り回されます。

わたしは、【信じる】、【信じている】の言葉に、固定された結果を感じ、「押し付けないで!」「自由じゃない!」と、反応していたことが分かりました。

本当の《信頼とは?》は、ここ2年くらいのわたしの重要なテーマになっていたように思います。

ですが、向き合い続ける中で、【信じている】の言葉を、以前ほどは気にならなくなってきていて。

そんな忘れかけていた今、この本と出会い、過去に投稿してきた想いのまとめを、書くことができています。

願いは忘れた頃に叶うものですね(笑)

結局のところ、その【結果】を一番自分に押し付けていたのは、わたし自身だったのです。

だから、ある過去の自分や出来事に、唯一の正解などないのだから、仕方がなかったのだと言い聞かせながらも、別の方法もあったのでは?わたしじゃなければ、もっと上手く立ち回れたのでは?誰も傷つけずに生きていけたら、どんなにいいだろう、、、との後悔を強く持ち続けていた自分がいたのです。

けれど、だんだんと自分の中で、【結果】よりも《プロセス》に視点を向け、《プロセス》を大切にできるようになってきたことで、【信じる】の言葉に過剰に反応しなくなってきたのだと思います。

過去の自分に対して、出来たかどうか、そうなったかどうかではなく、いつも、どんな時も、誰かや何かを《大切にしよう》としていた自分を見つけてあげられて、あの時のわたしに、やっとマルをしてあげられました。

あの時に失った《自分への信頼》を取り戻したことで、自分の中で止まっていたものが流れ始め、澱みが解消されて行くのを感じています。

そして今も、いつも、誰かや何かを《大切にしよう》《大切にしたい》と思っている自分を見つけてあげられています。

これが、絶えず流れ続ける《今・この瞬間》に生きることであり、自分への問いかけのベクトルを、過去の原因探しにではなく、未来に向けるということなのかなと。

今日につながる先日のこちらの投稿も、目を通して頂けたら嬉しいです。

何一つ欠けても、こう感じている今のわたしはいないので、全ての出会いと出来事に感謝を込めて。

本当に望みさえすれば人生の再設定は可能です。
過去だって書き換えられる。
「あなたが見てる世界は、あなたが創っている」のだから。

読んでくださった優しい魂のあなたへ。
明日が来る「奇跡」に、全ての存在と出来事に、感謝を込めて。
大地と宇宙のエネルギーを取り込んで、わたしからのマゼンタ色の愛をミックスして送ります♡

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