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生き抜くための雑記帳

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自己肯定感や生きづらさ、メンタルヘルス、思考のとらえ方などについて、生き抜くための問いや考え方を書いたり、学びになるnoteをまとめたりしたマガジンです。
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記事一覧

note開始前からずっと寄り添ってくれた、目標の2020年推しnote

私は今年たくさんのnoteの記事を読んで、いろいろな人に勇気づけられてきました。本当にたくさんの人に感謝でいっぱいなのですが、noteを書く原点となった方がもりやみほ さん。 noteをやってみようか迷っていたときに、たまたま読んだ人。 それから、毎日何となくもりやさんの文章を読んでいて、いつの間にか「今日は何を書いたのかな?」という感じですっと日常に溶け込んでいました。 そんな感じなので、いい意味で「これが推し!」というのは難しいのですが・・・1本上げるとしたら、こちら

感情に合わせたストレス発散方法

書いてる場合じゃない、と思っている自分に驚いた。 悩んだときはたいてい紙に書きなぐるか、曼荼羅ぬりえをひたすら塗るかをしてきたから。書くことで平穏を保ち、色付けすることで思考を整理する人間だと思っていた。けれど悩みの種類によって、ケアの方法は違うらしい。 たとえば、不安なことがあったり、同じことばかりを繰り返し思って心配してしまったりするとき。そんなときは脳内でぐるぐる回っている内容を紙に書いて見える化するのが効果的。筆記療法で思っていることを整理すると、だんだん心が落ち

「失敗が怖い」は具体的に言うと?

「失敗が怖い」と聞くと、失敗した時の怖さを思い浮かべるのは難しくない。けれど、本当にそれが、その人の言った“怖さ”なのかを考えたことはなかったなぁと思った。 お世話になっているライティングチームで、メンタルモデルのワークショップに参加させてもらっている。一人が推論のはしごを書いて発表し、聞き手が深堀の質問をしていくことで、潜在的にある無意識に気づいていくワークショップだ。 今回、完璧じゃないとすべてがダメだと考えてしまう「ゼロヒャク思考」について話していた時に、「失敗する

頑張るための休憩方法

仕事に疲れたな、と思ったら、座る場所を変えてみるのは一番簡単なリフレッシュ方法だ。 ここ数週間、朝の弱さに拍車がかかっている。一度起きても、胃のあたりがどんよりしていて気持ち悪い。ベッドやソファでギリギリまで横になり、出勤間近に急いで支度。パソコンを開ける手もなんだか重りがついているようだ。 今日は、ダイニングにパソコンを用意して、リビングを眺めながら仕事をすることにした。いつもは左腕にさんさんと照り付ける光が、後ろからやわらかく差し込んでくる。 部屋で仕事をしている同

「自分には価値がない」と見放すことの弊害

「自分は価値がない」と思ってしまう、その“価値”とはいったい何なのだろうか。 仕事で結果が残せない。周りの会話についていけない。誰からも必要とされていない。だから、自分には価値がない――。価値がない自分に向き合うのが怖くて、必死に上を目指し、誰かの役に立つことで、やっと自分の居場所が見つけられる。そんな、自分には価値がないことを必死で隠そうとしていた私を、そっと撫でてくれる言葉があった。  「自分の価値を忘れてる人はおっても、価値がない人はおらへんのやで」 水野敬也さん

自己肯定感を下げることで怠けていたあの頃

大学時代、私の手帳には月に数個、真っ赤な「寿」のマークがちりばめられた。 友達に約束をドタキャンされるたびに、黒い横線を引いて取り消すのが悲しくて、でも少しでも前向きにと、「寿」を書くようになったのだ。 「突然バイトに入らなきゃいけなくなった」 「急に行くのが難しくなった」 私の予定は暇つぶしのようなもので、どんな出来事よりも優先度が低い。「寿」を書いてはため息をつきながら、それでも「また今度ね!」と笑顔で返事をしていた。 そんな出来事を笑い話にしたら、笑い話どころ

「空気をよむ」より大切なこと

空気のよみ方がわからなくて、「この場でどんなことを言えば正解なんだろうか」と考えて、いつも反応が遅れてしまう。 「空気なんてよまなくていいんだよ」なんて優しい言葉をかけてくれる人もいるけれど、あえてよまないのと、よ"め"ないのとでは全然違う。私は空気を読まないと、周りの人に変に思われたり、とんちんかんなことを言ってしまうから、頑張って空気をよまなきゃいけないのだとずっと思っていた。いや、たぶん今も思っている。 そんなふうに「空気のよめない私」をずっと気にして生きていると、

この感情も、認めていい。「戸惑いこそが人生」

初めて手を付ける仕事はわからないことだらけ。暗中模索し、試行錯誤を繰り返し、何度も手戻りしながらようやく一通り終え、そこでぼんやりりんかくが見えてくる。そして次こそは、と何度もくりかえすうちに、スムーズに進められるようになる。 スポーツも、音楽も、絵を描くことだってやり方は同じ。1回目はいつもうまくできなくて、何度も同じことを繰り返し、練習を重ねるうちに、うまくやっていけるようになる。では、自分の人生は? こればっかりは、何度も繰り返すことができない。 「戸惑いこそが人生

「正解」探しから抜け出す方法

いつも正解を、狙いすぎてはいないだろうか。 「こんなこと言ったら嫌がられるかな」「嫌われるかな」と、相手の気持ちがマイナスになってしまうことを想像して、なかなか行動に出れない。気持ちよく過ごしてほしいからこそ、自分が邪魔をしないように、どうか相手の気分を損ねないようにと無意識に行動してしまう。そして自分と似ている人にはなおさら、いつもよりもいっそう気を遣うようになる。だって、些細なことで落ち込んでしまうことをよく知っているから。 それが最近、ちょっとストレスだ。 嫌な思

「あなたはあなたのままでいい」理由

「何もしなくても、あなたはいるだけでいいよ」と言われても、数年前はいまいちピンとこなかった。 何かの役に立っていないといけない、何もしないならいる価値はないと思って、何もできない自分に焦る。 時が経って少しづつ、「わたしはこのままでも、ここにいていい存在なのかも?」と考えるようになった。というか、「今のままでもここにいていいよ」と言ってくれる人を探して、その人のそばにずっといればいいんだ、私の「安全基地」を作ればいいのだと気持ちを切り替えてきた。 落ち込んだことがあって

毎日輝こうとしなくていい。「ちょっと愛せるようになる」ことが大事

昨日は「自分は何もできていない病」に倒れ、ぐるぐると苦しめられながらこんなnoteを書いた。 自分のほめ方、どうすればいいんだろう……そんな嘆きを書き終えたところで、以前に買った本を思い出した。 3年前、何が原因だったかはもう忘れてしまったけれど、最寄り駅にたどり着いてからどこへ向かったらいいのかわからなくなってしまった時があった。今思えばまっすぐ家に帰ればいい話。けれど当時は、どこにも行き場がないように感じ、駅ビルのベンチにとにかく座っていた。 そして20分くらい座っ

"死ぬのは今でなくてもよい。ならば、「命がけ」で何かしてからでも遅くない"

昨年行った恐山で、何度かすれ違った女の人が今でも印象に残っている。目が離せなくなるような思い詰めた顔をして俯き、早足で名所をくまなく回っていたのだ。 「恐山」という場所柄、死がすぐそばにあるように思う。死んでしまった人に会いたいと思う気持ち、自分自身が生きる意味を見出せなくなりそうな状況、あらゆる想いを抱えて恐山を目指す人が少なくないからだろう。 そんな恐山で院代を務める南直哉和尚の言葉は、死に対する重みと、死について考える人に向けて覚悟を決めた優しさが入っているように感

「すべきか」ではなく、「したいか」を大事に

「こんな課題に気づいたから、自分はこう動くべきだなと思っていて……」 会社でのこと、家でのこと、自分がすべきだと感じていることをゆうすけ先生に話していた時、先生は「やりたかったらやればいいよ。趣味程度に考えていいんだよ」と話した。 そんなふうに考えていいのかと、その時は見ている景色が変わったかのように感じた。「すべき」ばかりにとらわれて、自分の気持ちは「やりたい」のか、「やりたくない」のかなんて考えていなかったのだ。 「大事にすべきか」どうかではなく、あなた自身が「大事

悩んだら唱えたい。「八方ブスより良くね?」

文章に精通している人からのオススメは間違いない。あぁ、あのとき私に余裕があれば、これを読んで気持ちが浮かばれたのかもしれない…! 仕事に追われて倒れるギリギリ寸前のところで、「これ、読んでみるといいですよ」と紹介してもらったマンガがあった。グラマラスな女の子が描かれた表紙が私の目に飛び込む。あああ、読みたい気持ちはあっても余裕がない。ふあああ……。 そしてパタリと倒れた私。オススメされたマンガはドラマ化され、人気を集めた。けれど結局、それさえも見ずに今に至る。 先週、そ