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あの日見た2人の後ろ姿

3年くらい前のお正月。母と、90を過ぎた祖母と3人で近くのイオンモールまでドライブをした。私と祖母が座る後部座席には西陽が横から差し込み、車内はとても暖かい。運転席にも陽があたり、母は少し眩しそうだ。

車内は祖母と母の会話がメイン。あの薬ちゃんと飲んだ?とか、親戚のあの人に最近会って、とか。毎日話している2人だからこそできる、2人の共通言語が飛び交う。

車を降りると、母は祖母の近くに寄り、何も言わずに手を取り合って歩き始めた。祖母は母の手を握り、そこに力を預けてゆっくり、ゆっくり歩いている。母は力いっぱいよりかかってくるその手を、しっかりと受け止めて歩幅を合わせている。私と歩くときは小走りしても間に合わないくらいのはや足の母が、まるで落としたコンタクトを探しているかのように1歩1歩ゆっくりと、注意深く足を運んでいた。

初めて見たその光景に、私は幸せなような、寂しいような、どこにも綺麗にしまえない感情を抱いた。

90歳近くになった頃から祖母は、ひとりで歩くのが大変になったようだ。「杖はあんまり好きじゃない」と嫌う祖母のため、母が手を握って歩いているという。支え、支えられながら歩く2人のうしろ姿はたくましく、優しさもあった。2人は今まで、こんな風に毎日をすごしてきたんだろうなぁと、なんだか割り込めない親子の愛も感じる。

ただそれと同時に、"老いていく母"を実感してしまうことに対して、逃げ出したいような気持ちにもなった。


きっと母は小さい頃、祖母の手に支えられて歩いてきたんだろう。祖母はぎゅっと手を握り、歩幅をあわせ、一緒に歩いたんだろう。

支えてくれていた人を、今度は支える側になる。今まで1人でできたことが、だんだん出来なくなっていく。その事実を、目の前を歩く2人から教えられたような気がしたのだ。

いつか私が母の手を握り、一緒に歩く日が来るかもしれない。いつも3歩先を歩いている母と、肩を並べて歩く日は多分そう遠くない。もう追いかけることは無く、私が待つ側になるのかな。そこまで一緒に生きていけるんなら、その日を迎えられるのは幸せなことでもあるんだろうけど、やっぱりちょっと寂しい。


レストランに入り向かい合った、いつのまにか一回り小さくなっていた母の姿に祖母の面影を見つけた時、やわらかい陽に照らされた、あの日のうしろ姿をふと思い出した。

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