「常に穏やかである」ことの違和感

嬉しいことと悲しいことは必ずセットでやってくるから厄介だ。

転職後に「こんな幸せな仕事ってある…?」と毎日思っていた。以前は業務後の時間を使ってやっていたことを、平日昼間に思う存分できるのだから。

高校時代に部活の引退試合でシュートを決め、手が震えてしまった。先輩、後輩、みんなが喜んでくれているのを見て、「嬉しい」では収められない思いが強くなってしまったからだ。

しかしそんな「嬉しいな」と思う背景には、必ず辛いな・悲しいな、という気持ちが潜んでいる。上の話で言うと、前職時代に仕事が難しくて泣きながら帰ったり、眩暈が治らなかったりしてたことも頭によぎるし、引退試合では、今まで怪我で練習にも出れなかったこと、辞めたくないけどうまくいかないもどがしさにずっと悩んでいたことがすぐによみがえった。

そして厄介なことに、辛い・悲しいのネガティブな感情は、その感情の真っ最中に、どうにか自分の力で乗り越えないと落とし穴にハマって一生抜け出せなくなってしまう。それはいわゆる鬱だったり、トラウマだったりと名前がついている。

「人生をかけてネガティブな感情をコントロールしなきゃいけないなんて、もう疲れたよ」と言いたくなったタイミングで、「ブッダの言葉」という本を読み始めた。悩むと寺での修行や滝行に興味を持ち始める私の習慣の延長で、知り合いに勧められて手に取ったものだった。

最初はすがるように読んでいた。心を落ち着かせる方法、周りと比べない方法……。読めば読むほど、私に必要なものがすべて書かれている? もう弟子入りするしかないんじゃ? と思っていた。けれど、7割ぐらい読み終わってふと違和感を持ち始めた。

心を落ち着かせると、喜ぶこともできなくなる……?

ケンカした後の仲直りとか、不安いっぱいで挑戦したインタビューで喜んでもらえたとか。そんな不安定な気持ちを落ち着かせてしまうと、心の動揺は少なくなる。そしてそれは、喜びの幅も狭くなっているのだ。

ブッダになる前に、もっと心がホカホカするような出来事や、夜も眠れない位ワクワクすることに出会いたいなぁ。どん底に冷たい時期を知っているからこそ、単調な日々に飽き飽きした経験があるからこそ、そう感じられるんだよなぁ。


悲しさとセットの嬉しさを受け入れて喜んでこそ、その行為自体が人間らしいのかもしれない。厄介だけど、それが生きるっていうことなのかも。人間って大変だ。

私がブッダになったら、毎日平常心でなければいけないのだったら、それはそれでつまらないのだろうなぁと思う。

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