見出し画像

編集者の必要性

取れ高のいいインタビューは気持ちがいい。話ははずみ、インタビュイーも楽しくなり、聞いているこっちもワクワクしてくる。

「いいインタビューだった!」と胸をときめかせ、「いい記事かくぞ!」と意気込み、文字起こしをしてハタと気が付く。切り口がいっぱいありすぎて、まとめ方がわからなくなっていることに。

昨日公開したサーティワン企画の記事が、まさにそれだ。インタビュー前にどんな話を聞きたいか、誰に向けて書きたいかは考えるものの、「これまでどう生きてきたの?」から聞いていくため聞きたかった話のほかに魅力的な内容が見つかることもある。テーマ自体が大きいので、魅力的な話があればそれは聞いておきたい。しかしそんなふうに話を聞いていたら、色々な切り口から紹介できる可能性が広がっていってしまった。

結論としては、最初に考えていたターゲットからは変えずに記事を書いた。なんでもそつなくこなす彼女の時間の使い方を学んで、子育てと仕事を両立したい人向けに、「こんな生き方もあるよ」と紹介する記事を目指し、それに沿って構成も練り、なんとか書き上げることができた。けれど彼女の場合、キャリアだけ見ても様々なポジションから学びを得ているし、妊娠の過程でも誰かの支えになりそうなストーリーがある。今回はほぼ触れなかったけれど、失恋に悩む人向けのコンテンツも作れてしまう。どれも捨てがたく、またどれも気になる内容で、"時間の使い方"を軸にそれぞれ要素を入れられないかとすごく悩んだ。

記事の構成が決まらずもやもや書き直していた時、「こんな時編集者がいてくれたら……」と、編集者の存在を強く願ったのだ。

編集者は、自分の記事の一番最初の読者になってくれる。記事の流れやバランスの良し悪しなどを客観的に見て、コメントをくれる存在だ。また書く前でも悩んでいることがあれば相談できるし、どんな構成がいいか会話ができる。会話することで自分の頭が整理されることもあるから、素晴らしい壁打ち相手にもなるだろう。一人でやっていると壁打ち相手がいないのはもちろん、書くことに集中するので引いた目で全体のバランスが見えにくくなる。1日空けて読み直したりはするものの、やっぱり第三者の目がほしい。記事を良くしたい、一人でも多くの人に届けたいと思ったらなおさらだ。

すごく実りあるインタビューで伝えたい気持ちが強いからこそ、熱い私の心と頭で考えた原稿を、クールなそれらをもつ編集者に見てもらえたら……と編集者の存在を切に願った記事だった。

公開した記事に対して、良かったのか悪かったのか。どうしたらもっと良くなるか。自主企画で熱がこもるならなおさら、編集者がいるとありがたいなぁ。

次はまず友達に読んでもらおう。


去年の毎日note

今日もペペロンチーノを食べました。

最後までありがとうございます!いただいたサポートは、元気がない時のご褒美代にします。