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"運命"で片付けてしまえば

これも運命かな、と思う時はどんな時だろうか。

突然ふってかかってくる出来事に驚いてはいるけれど、心のどこかで諦めの感情を持っている時だろうか。これもまぁ運命かもしれないよなぁと、気持ちを引き出しにしまい込めるような気がする。

"新しい職種"についたことが、やけに不安に思えた時期があった。Webの編集者はここ数年に登場した職種だ。だれが発端かはわからないけれど、オウンドメディアの乱立により一気に職種が広まり、Webライターなるものも急激に増えた。私は、その"急激に増えた"中の一人だ。

イケイケドンドン、勢いよく新しいキャリアをスタートさせたはいいものの、仕事のしすぎでぐったりしてしまった。そんな時に、ぽーっと休みながらこれからのことを考えると、10年20年後のロールモデルになるような、人生の先輩がほとんどいないことに気づいた。

Webの歴史が浅いため、年上のライター・編集者は紙媒体の人がほとんど。私は紙を経験していない。自分の将来はどうなっていくのか、まだサンプルとなる道もないことに、将来像が描けず悩みだしてしまったのだった。

新しいことをするときは、"自分でサンプルを作っていく"気持ちでいないと、将来が不安になって思い切った行動ができなくなってしまう。「やれることはやっているんだから」という自信と、「それでダメでも、なんとかなる」という楽観さが、道なき道を歩いていくのに必要なのだろう。今は、「これも自分が選んだ運命だから」と、変に不安になることは無くなってきたように思う。

"シェアハウス"という比較的新しい居住形態に身を置いて数年が経った。居心地が良すぎて、「このまま一生住めてしまうけど、それでいいのだろうか」と不安も感じていた昨今、メンバー全員に突然の退去通告が出された。

「シェアハウスにずっと住む」先人たちもいなかったし、そろそろ今後を考えなきゃ、けれど考えたくない……なんて思っていたところでこの通告。うーん、これも運命なのかもしれない。


動揺。


去年の毎日note


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