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"怖い”という感情の原因

「ミホは怖いものが多すぎるよ。1つ1つ克服していこう? ほら、よーく見て。相手は何もしてこないから。」

アテネから電車を乗り継ぎ到着した小さな村の幼稚園で、私は暗闇に潜むカエルに怯えていた。その時、夏の間は使われない幼稚園を間借りして、ヨーロッパ各国から集まった人たちと2週間の共同生活をしていた。昼は村の公園で遊具にペンキを塗り直し、夜は外で宴する。標高の高い場所だったからか、エアコン無しでなんとかなってしまうその地域で、外も中もあまり変わらないような生活をしていた。

哺乳類以外は、基本怖い。虫も、鳩も、Gも。何かが出るごとに怖い、怖いと逃げ回っている人を見ると、少しいじめたくなるものだろうか。両手が必要なほど大きなカエルを手に持ったフランス人の大学生が、そのまま私のところにやってきた。

ぎゃぁ、と悲鳴をあげて走り回り、命からがらトイレに立てこもる。驚きすぎて電気をつけることも忘れ、ドアの間から零れ落ちる光だけの空間で、早くなりすぎた心臓の音をずっと聞いていた。

「もう大丈夫だから、出ておいで」

そんな声が聞こえ、恐る恐るドアを開ける。カエルは、外に置いてきた彼。少し心配そうに、「こっちへおいで」と私を誘導する。そして冒頭の言葉を放った。

「怖い」という感情は、「ある自体が起こった時に自分で対処できるかわからない時」に人は恐怖を感じるそうだ。

カエルが自分めがけて飛んできた時、それを阻止する方法がわからない。鳥が私めがけて飛んできた時、ちゃんとうまく避けられるかわからない。嫌だなと思う感情に対して、予測もつかずに起こってしまうことが、私を「恐怖」へと導く。それは対処法を「知らない」場合と、「避けられない」場合と2種類あると思う。

もっと色々知っていたら、「怖い」と思う感情は無くなったのかもな……なんて思い返しつつ、別にカエルを抱えて追いかけなくても良かったんじゃないかな、とギリシアで起こった回想を終えた。


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