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休むのが怖い

「土日は休み」と決めた人は画期的なアイデアマンだ。

本腰入れて複業を始めて1年。気が付くと私の「休み」はどこかに消えていて、とうとう限界を感じ1か月ほど複業分を休もうと思った。去年は頑張れたのに、なんで今年は頑張れないんだろう。むなしさがこみ上げる。


お世話になっている人へメッセージを送ろうとslackを開く。頭の中で文章を考える。そして「お疲れ様です!」と打った時に、恐ろしいくらいの不安が襲ってきた。

私は本当に、休んでも良いのだろうか。

バリバリ働いている編集者の方々の顔や、構成段階からうまく組めなかった赤字だらけの原稿が、頭のなかいっぱいに広がった。自分はまだまだ未熟なのに、休む暇なんてあるの? 迷惑かけてるんだから、せめてコンスタントに記事あげるべきなんじゃないの? と、スパルタの私が声を上げ始めたのだ。

私は今、休んでいる余裕があるのだろうか。

だんだん自信が持てなくなって、そっとslackを閉じた。複業分、それも一部を休むだけなのに。どうしてこんなに自分を責めてしまうのだろう。

年末ぐらいから、いまいち気持ちがスッキリしなかった。

新年に持ち越した納期が頭の隅っこに腰を下ろして、休んでいるような休んでいないような気持ちが続く。

新年を過ぎても変わらなかった。日中遊びに行っても、夜飲みに行っても、常に「明日はこの案件を提出して……」と"納期"を休みに連れて行ってしまっていた。

会社員もやって、フリーで仕事ももらって、となると、自分の「休み」がわからなくなる。会社員の仕事は土日が休みだけれど、その「休み」を使ってフリーの仕事をしているわけだから、どこが自分の「休み」なのか、見つけられなくなってしまったようだ。

仕事は楽しい。だからこそ、空いている時間があれば入れてしまう。けれどまだ、自分の状態を正確に把握できていなかったのだろう。「これぐらいならいけるかも」と甘く見積もった計算で、結果「終わらないかもしれない」の緊張感と、疲れていても書かなきゃいけない圧迫感で、へとへとになりながら仕事をするようになってしまった。一つできてもまた一つ、ひっきりなしに続く生活に、とうとうガタがき始めた。


「休む」とはこんなにも難しいことだったのかと不思議に思う。自分で休みを決めることは、「自分は何もしていなくても価値がある」と信じられること。どうやら私は、強制的に休みを強いられないと、自分に休みを許せない人間だったようだ。

家に帰り、「休むのこわい」と電話をしてはまた大泣きして、「スキルがないから休めないなんて、そんな決まりないから」と友達に諭された。今日のランチでは「休んでる間、インプットするための無理のない目標を立ててみれば」と同僚にアドバイスをもらい、夜もう1度slackを開き、「休みます」の連絡をした。

不安が完全になくなったわけじゃない。けれど、恐る恐るでも自分に「休むこと」を許せたのは良かったのかなと思う。この勢いでほかのクライアントにも相談して、3月納品予定の記事をしっかり書き上げ、4月はストップしていた読書、映画、ピラティスを再開しようと思う。

「休む」決断が、ちゃんと今後の自分のプラスになれますように。


去年の毎日note


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