見出し画像

「止める」方法より、「受け止める」方法

「小学校の教科で1教科加えるとしたら?」

に対して

「上手ないじめられ方」と、谷川俊太郎さんの質問箱に回答があった。

学校でも、メディアでも、あらゆるところでいじめに対する“悪”の報道が流れ、いじめは“するな”と誰もが止めるにも関わらず、結局人間関係があるところには、大小さまざまないじめが存在してしまっているものだ。

どんなに注意しても、関わった人のその時の虫の居所やタイミングによって、自分が被害者になる日がやってくるかもしれない。それならいっそ、もしもの時に備えて「いじめられ方・いじめの受け止め方」を学んでしまえば、ショックはいくらか和らげられるはずだ。

例えば、下駄箱に置いた靴の中に、自分が写った写真がビリビリに破かれて入っていた時。---その時は、泣いて自分で始末するのではなく、先生に連絡して処分してもらいましょう、とか。

何もしていないのに、自分だけに冷たく当たる会社の先輩がいる時。---顔色をうかがうのはやめて、“仕事をするうえで”必要な話を、できる限り冷静に話しましょう、または会話のすべてを上司経由で話しましょう、とか。

その人たちは精神的に追い詰めてくるかもしれないけれど、決して殺しに来ることはないから。自分から死を選ばないように、もしもの時に備えて対処法を準備しておく。

いじめはいつ起こるかわからない。けれど事前に準備をしておくことで、被害に遭った時の衝撃はいくらかやわらぐ。地震や台風などの自然災害と、実はすごく似ているものなのかもしれない。

働きかける力を「止めろ」と制御することは難しい。特にそれが一般的に“いけないこと”とされているものであればあるほど、それを知りながらやってしまう人に、止める力は残っていないのだ。それならばいっそ、いざおこってしまった時のための準備をしておく。変えられる部分はきっと、そこしかないのだと思う。


最後までありがとうございます!いただいたサポートは、元気がない時のご褒美代にします。