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考えるということ

いつまでも考えてしまう言葉を聞いたとき、心が揺れる話を聞いたとき、いつも私はとまってしまう。「すごくよかった」を、自分の納得いく言葉にして、周りにすぐ伝えることが苦手だ。仕事で相談を受けても、その場でしっくりした回答をすることが難しく、帰り道にもやもや考えて、家についた頃色々消化されていることが多い。

今日のイベントもそうだった。ぐさぐさと刺さる言葉をたくさん聞いて、メモを取る手が止まらなかったにも関わらず、いざつぶやこうとすると高速連打していた手がぴたりと止まる。帰りの時間フルで使ってようやくちょっと整理出来てきた。

自分は「仮説を立てる」ことをあまりしていないのだろうな、と思った。話を聞くと、「なるほどね」「すごいね」と納得して聞いてしまい、それ以上の感想が少ない。また、仮説という名の準備をしていないこともあって、突然入ってくる言葉に頭が追い付かない。なので結局、「よかった」の後に続く自分の気持ちを言葉にできずにいるのだろうなぁ。

古賀さんも柿内さんも、常に「考える」人だった。それは、「いつ考えているんですか?」の質問に、「えー、いつ生きてるの?と同じ質問だよ」と答える柿内さんの言葉からも明確だ。頭の中でぽわぽわ浮かんでくるものをそのままにせず、しっかりつかんで自分のものにしていこうとするお二人の行動こそ、「考える」ということなのだろうなぁと思う。


もっと、「考える」ことをしよう。それは余計なことばかり考えて不安になることではなく、自分のことばで「考えをもつ」ことと、それと事実に差異があったとき、どうしてそうなったのだろうと「疑問をもつ」ことなのだろう。

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