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私の恋人。

「あの子と飲みに行ったらずーっと彼氏の話をされて、ヘトヘトになって帰ったよ」

もくもくと煙が立ち込める焼き肉屋の2階で、そんな話が始まった。聞き役は既婚者。話し手は(ほぼ)初めての彼ができたタイミング。女子会に恋バナはメインイベントのはずなのに、時々それがうんざりする時間になるのは何が起こっているのだろう。

恋人との出来事を生き生きと語る人もいれば、何人と遊んだとか、こんなにいい人が寄ってきているとか、豊作な時期を報告してくれる人もいる。30を過ぎるとそんなフェーズはすっかり通り過ぎ、子どもの話がメインになるものだけど、彼女たちの場合はそうではなかったらしい。へとへとになった彼女の話を聞きながら、"楽しい恋バナ"とは一体どんなことを指しているんだっけ、と考えた。

気になるあの子とメッセージのやり取りが続いているとか、飲みに行った帰りにちゃんと帰れたか連絡が届いたとか、渦中にいる本人からしてみたら一大事。それは毎日が楽しくなるスパイスを味わっている。あの子のことを考えれば気持ちはワクワクし始め、今何してるんだろう、次いつ会えるかな、なんて思いを巡らせてはホワホワと気持ちがういてしまう。

そんな話を誰かが聞いてくれるのは楽しい。話せば話すほどその人を考える時間が増えて、どんどんのめり込んでいく様子は麻薬のような感じだろうか。けれど当の本人が楽しく話しても、麻薬を使っていない友達にとってそれは、遠い国で起こった話。「事実」としては話も聞くし興味深いものもあるかもしれないけれど、「あの人はどう思ってるんだろう」とか、「あの時どんな気持ちだったんだろう」とか、一歩妄想に入ってしまうとそこは踏み込めない領域になる。話しかけられているはずなのに、相手の目に映るのは自分ではない気までしてくる。「楽しい恋バナ」とは、「"話している自分が"楽しい恋バナ」ということなのかもしれない。

若い頃は聞き手にも「"自分が"楽しい恋バナ」が備わっていたはずだ。相手が一息つくタイミングを見計らい、すかさず「私もさ…」と言って会話を奪う。そうやって各々が自分の楽しい話をできたから、きっと恋バナは楽しいものだったのだろう。けれど今はそれがない。自分が入り込めない領域で、楽しそうに話す人の話をずっと聞いているのは、確かに辛いものがあるのかもしれない。


「何かに夢中になっている時、その話を誰かにする場合は注意が必要なんだろうな」と、焼き肉臭をプンプンさせて電車の椅子に座った。冒頭で始まった"恋バナ"はほんの一瞬で、すぐに他の話題に移り、焼き肉中に再び話が出ることはなかった。恋バナの楽しい時期はやっぱり、20代そこそこで終わるのだろう。


スマホを見ると、「休みの日なのに仕事してるんですね」と、最近知り合った人から連絡が来ていた。何も考えずに手が動く。「恋人とは休みの日でも一緒にいたくなっちゃって」。あぁいけない。次のメッセージは注意しないと、「"自分が"楽しい恋バナ」になってしまいそうだ。


去年の毎日note


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