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どうして自信が欲しいのか。どうして自己肯定感をあげたいのか。

もっと自分に自信がもてれば、もっと自己肯定感があれば、きっと世界は生きやすくなるだろうなぁと思うことがしばしばある。

「自分はここにいるに値しない」とか、「才能がないからつらいことでも耐えるしかない」なんて考えながら生きる人生は確かに旨味がない。もっと軽やかに、楽しく生きられればそっちのほうがいい。


マイナスな面がある一方で、ダメなことばかりではないよなぁとも思う。自信が無いことによって努力することを覚えたし、同じ気持ちの人に寄り添えたりもする。自信がないこと、自己肯定感が低いことそれ自体が"悪”ではなくて、それによって「自分が好きな自分」でいられるのなら、特に問題は無いのかもしれない。

そうなると、私は何をもって「自信をつけたい」と思ったのだろうか。ノートに「どうして自己肯定感をあげたいの?」と書きながら、ぼんやり遠くを見た。

「場違いかも」という現場に出くわすことは、生きてきた中で何度かある。自分だけ歳が離れている、自分だけ違う業界にいる、みんなと好きなものが違う……。話に乗れないときはここにいるべきじゃないと思うし、いないほうが空気が乱れずに済むんじゃないかなんて思う。

もちろんその人達自体のことは好きなのだけれど、「みんなと違う自分」に自信がもてず勝手に委縮してしまうのである。

その事実を第三者の視点から見てみると、ふと気づいたことがあった。私の言っていることは「自分と少しでも違う相手はいないでほしいと、この人たちは思う」ということになるんじゃないか。周りの人を、なんて心の狭い人間だと思って見ていたのだろう。

「こんな私は受け入れられない」と思うことは逆に、「周りの人は色々な特色の人を受け入れることができない」と思っていることに近いのかもしれない。大切な人たちをそんなふうに思うなんて、ちゃんと信じられていない証拠。

周りのことが信じられないなんて、何よりもそれは避けたい。信じたい人を信じていたい。だからもっと、自分に自信をもちたいな、と思った。

考え方や行動は、それ自体が絶対的な善悪をもっているわけではない。時代が変われば善悪の定義も変わる。こうしたらダメ、こんなふうにしなきゃいけない、と考えるよりも、どう考えると自分が幸せで、安心できて、楽しくなれるかを考えていきたい。


周りの人たちを信じて生きることが自分にとって幸せな生き方だなと思ったので、そのためにも自分に自信をつけていきたいです。


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